「刹那は座ったままでいいよ。」
「そうなのか?」
「うん。自然体でいて。」
「…しぜんたい?」
「ん。カメラ向けられてるって思わないで。」
「…難しい事を言うな…」
「でもよく言われたりするらしいよ?」
「…そうか…」
「ね?慣れた方がいいだろ?」

テレビでのトーク番組などに出るゲストにモデル出身の人などが出ると撮影の裏話のような内容を話している時がある。その内容を聞いていれば撮影で色々とカメラマンから指示されるという。その指示も慣れと経験が必要なのだろう、とプロが言うのだから、ニールはさっそく『カメラ慣れ』する、という事を提案してみる。知識や業界の情報収集も確かに大事かもしれないが、所詮は知識であって現場で必要ではないかもしれない。となれば、実践や経験を積んでおくことも大切なのでは?と思ったのだ。

「俺もカメラ慣れ出来るから丁度いいしさ。」
「ニールもカメラ慣れしないといけないのか?」
「うん。刹那の魅せ方とかも必要なんじゃないかな?って思ってさ。」

そう呟きながらカメラのレンズを覗き込む。今使っているカメラはつい最近父が新しいものを買った為に使わなくなりしまい込んでいたものだ。それでも練習に使う程度なのだから充分だ、と思って持ってきたのだが…レンズ越しになると少し見え方が違うせいかいつもと雰囲気が変わって見えるから面白いものだ、と一人ごちてみる。

「刹那、こっちばかり見てないで何かして?」
「何かって…」
「んーと…ジュースを注ぐとか…」
「そんなことでいいのか?」
「まぁ時と場合によるだろうけどさ。」
「…色々な場合に慣れておけばいいという事か?」
「ん。とにかく色々撮ってみればいいかと…」

レンズの中で動く刹那に思いつくような理由を並べてみると確かにそうかも、という納得の声が返ってくる。ニールとてカメラマンではないのだから正確には伝えられない為想像の中になってしまいがちではあるが…想定出来るといえば想定出来る。『多分こう』といった程度でも何事もやってみないことには分からないものだろう。

「自由に動いていいんだな?」
「や、自由過ぎても困るかも…」
「自然体でいいと言っただろう?」
「ん。でもさ。カメラのシャッター速度ってのもあって…早すぎても撮れないわけ。」
「…つまり意識しないようで意識しておけということか。」
「うん。矛盾してるけどそういうことだと思う。」

言葉にするとこうも矛盾した事を言う事になるのか…と思いつつもニールはカメラのレンズをずっと覗いたままだった。一瞬でも離れたら撮り逃がしてしまうようなシーンがあるかもしれない、と思ったからだが。もっとモデルのノウハウ本とかも探した方がいいかな…などと考えていると刹那の方が納得いったように頷いてみせる。

「了解した。」
「へ?」
「『動きを魅せればいい』…という事だろう?」
「うん?…そうなの…かな?」

何かに納得した刹那に対してニールの方は反応が鈍かった。何となくではあるが刹那の言う事も分かる気がして頷いたのだが、はっきりとした肯定を示すことは出来ない。とりあえず頷いてみたところ、刹那の方でスイッチの切り替えがあったようだ。

「要は…」
「うん…」
「動作を少しだけ大きくして…」
「……」
「写しやすくすればいいんだろう。」

言葉で確認しながら刹那はゆっくりとグラスの中へジュースを注いでいく。それは大げさではなく、自然な動きにも見えるが早さがさっきまでと違ってゆったりしているので迷いなくシャッターが切れた。

「…どうだ?」
「ん…あ、ちょっと待って…」

グラスをテーブルの上に置いたところで刹那が顔を上げた。レンズを覗きっぱなしだったニールが慌てて確認をするとぶれているものはまったくなかった。

「うん。ばっちり撮れてる。」
「そうか。」
「この調子で撮ってみようか。」
「了解。」

上手く撮れると自分まで腕が上がったように錯覚してしまいつつも、雑誌を捲ってるところや何気なく寝転んでいる状態を撮ってみたりとして漸く二人揃って座る事にした。休憩もかねての画像チェックだ。片手にファッション系の雑誌を引き寄せ似たような構図でも撮ってみたものを並べて見比べてみる。

「もっと…指の先まで意識しないといけないようだな…」
「うん…たまに可笑しな具合に固まってるのがあるよな。」
「眼の閉じたものもあるようだ。」
「それは多分俺のシャッターの切り方。」
「それでも…瞬きの数を減らしておくようにするのも必要に思えるが…」
「んー…それもあるけど…」
「…何か引っかかるか?」

肩を寄せ合って小さい画面に映し出される画像を拡大してみたりして見ていたのだが…ニールはある事に気付いてしまった。あれこれと注意するべきところは回数を重ねればいいとして…それよりも…

「表情が…固い…というか…ない?」
「………そうだな。」

手の動きや顔の向きなどは多彩ではあるが、表情はどれも同じように見える。うーん…と一頻り唸ってニールが再びカメラを構える動きをするので、刹那も条件反射のようにレンズに瞳を向けた。

「カメラへの反射は悪くない気もするんだけどなぁ…」
「…表情か?」
「うん。普段話してる時よりも表情がない気がする。」
「…普段よりも?」

普段でさえ表情がほとんどない事を自覚している刹那は思わず頬に手を当ててしまう。無表情が決して悪いわけではないようだが、全て無表情というのはまずい気がする。

「うん。…あ、刹那。」
「?なんだ?」
「ちょっとそのまま。」

『表情』という言葉に頭の中を埋め尽くされていた刹那にニールがふと手を伸ばしてきた。手は僅かに上に上がっていくので髪の毛に何か付いていたのか?と特に何もせずされるがままになる。さらりと髪を撫でてすぐに離れていったので顔を見つめればにっこりと微笑まれ釣られてしまった。

−カシャ…
「!」
「ほら。ちゃんと笑ってる顔も出来る。」

不意打ちで撮られた画像を見せられれば確かに淡く微笑みを浮かべる己の顔が映し出されている。

「…それはニールの笑顔に釣られただけだと思うが…」
「そうかもしれないけどさ…笑えないわけじゃないし…けど現場でいつも俺が見える位置に居て笑いかけるわけにもいかなくない?」
「…それもそうか…」

この話し合いによって刹那の今後の課題が明確化することになった。

 * * * * *

−…表情…表情…

その後結局表情を自由に変えることは出来ず、カメラに初挑戦、という事で締めくくりニールを帰らせた。当分の刹那の課題は表情を自由に変えることだという事に気付いた。雑誌のモデルを見る限りでは笑顔は必須のようだし、笑顔だけでなくわざと睨みつけたり困ったような顔もしているものもある。
業界誌では体型に重点を置いているとは書かれていたが、即戦力も考えると表情の硬さというのはマイナスになると思われる。指示にすぐに答えられる俊敏性と柔軟性もいるのでは?というのがニールと話し合った結果でもあった。コーディネートは全てお任せとはいえ、魅せ方だけではどう考えても足りない。第一印象としても笑顔というのは欠かせないだろう。
目指すと決めた以上はクリアしておかなくては…と思い風呂上りの洗面台の鏡と睨めっこをしているのだが思ったように『微笑み』が作れずどこか強張ってみえてしまう。

「…難しいな…」

台に両手をついてがっくりと項垂れていると控えめなノックが聞こえる。ドアを開けるとマリナが立っていた。

「何かあったか?」
「いいえ。…ただ…刹那がなかなか出てこないから何かあったのかと思って…」
「あ…あぁ…すまない。大丈夫だ。」

入浴自体はさほど時間はとっていなかっただろうけれどその後がどうやら随分時間を取っていたらしい。
声優というジャンルを目指してみようという考えをマリナに伝えてから、音楽関係に携わっている彼女からボイストレーニングをした方がいいのでは?と言われて付き合ってもらっている。どこかに習いに行けばいいと思っていたが、どうやらマリナは何か手伝える事は手伝いたいらしく、自らボイストレーニングの先生を買って出てくれた。マリナの仕事が休みの日や、平日も夜寝る前などにトレーニングをしてくれている。今日もこれから練習するつもりだったのだが、表情作りという新たな課題に頭がいっぱいになりすっかり忘れてしまっていた。
タオルを洗濯機に放り込んで2人でピアノの置いてある部屋へ移動していく。

「何か悩み事?」
「…分かってしまうんだな。」
「えぇ。これまでずっと見てきたんだもの。どんな些細な変化も見逃していないつもりよ。」

自信満々の笑顔でそう言われてしまうと、適わないな、と苦笑を浮かべざるを得ない。

「発声の方はばっちりだと思うけど…別の事で悩んでるんでしょ?」
「あぁ。その通りだ。」
「アドバイスすら出来ないことかしら?」
「…どうだろう?」

部屋に入ると彼女はソファに腰掛けるように指示するので、どうやら『悩み事』を話さないとトレーニングを開始してくれないらしい。向かいに腰掛けた彼女はことん、と首を傾げて微笑みを浮かべたままに催促してきた。その行動に小さくため息をついて話すことにする。

「表情に困っている。」
「表情?」
「あぁ。思うように表情を動かせない。」

声優として働くようになるのならプロフィールなどで写真を撮ることもあるかもしれないし、雑誌のインタビューを受けるようになるかもしれない。そこまで人気になるかは分からないが、どちらにせよ思うように笑顔を浮かべられるという事は必要に思われる。それに第一印象でも笑顔というのは有効に思える。と簡単に説明を入れれば納得してくれたらしい。口元に手を添えて考え始めた。

「目が合っただけで笑顔を浮かべられるっていうのは確かに有効かもしれないわね。」
「だろう?」
「…でも…」

また少し首を傾げて不思議そうな顔をする彼女に刹那も首を傾げる。マリナにはまた違う、別の方向で必要なことが思い浮かんでいるのだろうか?と言葉を待った。

「刹那は…私と一緒に街に出た時はころころと表情が変わっていたように覚えているのだけれど…」
「…一緒に街へ?」
「えぇ。去年くらいだったかしら。」
「…あれは…」
「あの時みたいにしてはダメかしら?」

マリナの言う当時の状態を思い出してみると『その時』は特殊な状態だったことを思い出した。けれど『表情を変える』という事においては有効な『状態』である、と判断した刹那は一つ頷く。

「ダメ…ではないかもしれない。」

 * * * * *

「どうだ?ニール。」
「うん…」

次の日。昼からニールを迎えて昨日と同じくカメラを向けられてしばらく撮影を重ねる。ニールも何かと調べてきたらしく、昨日には無かった表情や仕草に対する指示が入ってきていた。その指示通りに従いつつも撮影をこなし、写り具合を確認してもらう。両手の中にすっぽりと納まるカメラをいじる横へと座ると、ちょうど笑顔を浮かべている画像で止まった。

「…何だか…別人みたい。」
「演じているからな。」
「?演じる?」
「あぁ。『俺』自身ではどうしても表情が乏しいからな。別人になりきってみた。」
「…刹那…演劇とかしたことあるの?」

きょとりとした顔にどこか期待めいた色を浮かべるニールに刹那は思わず苦笑を浮かべてしまう。

「いや、残念ながら。」
「え?でも演じて…って…」
「それは…」
「…言いにくいこと?」

どう説明しようか…と少し言葉を濁してしまうとニールの表情が途端に曇ってしまった。人の嫌がることはしたくないという心と知りたいという好奇心がせめぎあっているのがよく伝わるだけに刹那も困った笑みを浮かべてしまう。子供の好奇心を折ってしまうのはどうにも後ろめたい気がして、思い浮かぶ言葉の中からソレらしいものを引っ張り出してきた。

「今はもうしていないんだが…」
「うん。」
「…この国に来る前は探偵のようなことをしていたんだ。」
「…探偵?」
「潜入調査専門でな。」
「…潜入調査…」
「あぁ。だから見た目や人格を作りこんで人目を欺くとかな?」
「へぇ〜…」

分かりやすいように説明を重ねれば雲ってしまったニールの表情が次第に輝きを取り戻してきた。その変化に刹那はそっとため息を溢す。

 * * * * *

「探偵ねぇ…」
「一番無難だろう?」
「あぁ、無難っちゃあ無難だろ。」

刹那の朝食はいつもマリナが仕事に出た後になっている。と、いうのも、その時間帯に帰ってくるもう一人の同居人と食事を摂る為でもあった。マリナの方針で食事を一人で摂らない様に言いつけられている。というのも、刹那は目を離せば食事は愚か、水の一滴すら摂らないので必ず食事をさせるためのものでもあった。
今日も仕事に出るマリナを見送り、入れ違いに帰ってきた同居人とテーブルに向かい合わせに座りながら近況報告をしていた。見た目に似合わず和食を好むこの同居人は、無造作に伸ばした赤毛に鋭い目つきと精悍な顔付きをしており、着込んだスーツの上からでも分かる筋肉が年齢よりもずっと若く見せている。
名はアリー・アル・サーシェス。刹那の教育係であり、育て親でもあった。
彼はニホンに来てから太陽の光があまり好きではないとか言って夜の商売についた。刹那も同じ職に就こうかと考えた時期もあったが、アリーのように愛想いいわけでもなく、一歩二歩先を考えて行動出来るわけでもないので断念したのだった。
その彼は今でも刹那の相談相手になってくれており、マリナには言えない事も彼には言えるのだ。それも一重に彼が育て親でもあるからだが…

「ま。使いようによっちゃ探偵となんら変わらなかったからな。」

苦笑を浮かべながら澄まし汁を口にするアリーをちらりと見上げる刹那は、昨日一日の内容を報告していた。使い慣れてきた箸で御飯を口に運びもそもそと咀嚼する。

「本当はそういう使い方したかったんだがな。」
「あの国にいれば仕方ないだろう。それにこの国は平和だから同じことをするようにはならないと思う…」
「あぁ。だから嬢ちゃんを野放し状態に出来るんだがな。」
「…野放し、というのは言葉が悪いと思うが…」
「本人はいないんだから気にすんな。」
「………」

ちょいと肩を竦める相手に刹那も何も言わず黙々と食事を続けることにする。


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