ついに夏休み開始。
朝早く起きなくて済んだと思いきや、地域ごとでラジオ体操に参加することを義務付けられている。朝に弱いライルはしょぼしょぼする目を擦りながらエイミーに手を引かれ、ニールに背を押されて芝生公園へと向かうのだった。ラジオ体操が終われば最年長である六年生が首からぶら下げるスタンプカードにスタンプを押してちゃんと来ていたという印をつけることになっている。
六年生はニールとライルの他にもいるのだが、学校で人気のあるこの兄弟にスタンプを押してもらおうとあっという間に長蛇の列を作ってしまった。明らかに列の人数が多いにも関わらず二人は黙々と押していき、終わる頃には帰っていない人はディランディ兄弟とラジカセを準備してくれる父兄のみになっている。

「はぁ〜…終わったぁ…」
「お疲れ様、ニル兄、ライ兄。」
「これが夏休み中続くってなるとちょっと勘弁だな…」
「明日からは平等に並ぶように言ってみるか。」
「だな。」

やれやれと言わんばかりにぐったりとした表情を見せるライルはきっと帰ったらもう一度惰眠を貪るつもりだろう。大きな欠伸を一つ溢した。それを見上げるエイミーもいつもより早く起きる為少し眠そうだ。そんな中でニールはふと見回す仕草を見せる。

「さっさと帰ろうぜー…って…どうかしたのか?兄さん」
「ニル兄?」
「うん?あ、いや。なんでもない。…ちょっとだけ待っててくれ。」

ある一点に顔を向けたままのニールに気付いたライルが声を掛けるとエイミーも不思議そうに見上げてくる。すぐに反応を返せたが、どう言葉を繕っても誤魔化す事は出来ないと判断したニールは二人をその場に残していつもの桜の木の下へと駆け寄っていく。その場にしゃがみ込むとジャージのポケットから赤い紐を取り出すと根元にある小さな空洞に放り込んだ。

「お待たせ!さ、帰ろうぜ!」
「…何してたの?」
「ん?ちょっとした願掛けみたいな。」
「がんかけってなぁに?」
「おまじないみたいなやつ。」
「…兄さん…少女趣味?」
「ちげぇよ!」


 * * * * *
「…赤紐…」

ラジオ体操が終わった数時間後の同じ場所に刹那が座り込んでいた。木の根元にある小さな空洞から紐を引き出すと色を確かめている。
この紐は夏休み中の2人で決めた合図だった。
学校がないから、と毎日逢うというのは友達との時間を全く失くしてしまうだろう?という刹那の発言により、合図を決めた。それがこの紐。赤の場合は刹那の部屋へは訪問しない。もしこれが緑の紐だったら訪問します、という合図だった。
つまり『今日は行かない』という事だという連絡。ちゃんと刹那が見た証拠としてチョウチョ結びを解いて片花結びにするとまた穴の中へと放り込んでおいた。

「………」

その一連の動作を済ませると刹那はふっとため息を吐き出した。

「…来ない…か…」

ぽつりと呟いたところで胸に広がる感情に首を傾げた。ニールが学校帰りに毎日来ていたのに少々後ろめたい気分があったのは確かで…その気持ちから夏休み中に毎日来る事を留めれば何故か寂しいという感情が湧いてきている。

「…それは…我侭だろう。」

来てもらえばどこか後ろめたい気分になるし、来なければそれはそれで寂しいなど…
もう一度ため息を吐き出すと、刹那はいつものようにその木の根元で読書をすることなく帰って行った。


 * * * * *

「エイミー?」
「うん?」
「ちょっといいか?」

夏休みが始まって1週間経った日のこと。
恒例のラジオ体操が終わり帰宅した三人が朝食を食べた後、ライルはエイミーの部屋を訪れていた。

「どうかしたの?ライ兄?」
「俺がどうかっていうより…兄さんの方の事なんだけどさ…」

すんなりと部屋に招き入れてもらったライルは困り果てたような表情で床に座り込んだ。ライルの前にちょこんと同じように座り込んだエイミーは首を傾げる。

「ニル兄?」
「ラジオ体操から帰ってきて朝飯食うなり宿題漬けなんだよな。」
「へぇ〜…部屋に篭ってるなぁ…って思ってたけど…宿題してたんだ?」
「あぁ。しかも…こう…鬼気迫るような気迫にみなぎってんの。」
「ふぅん?」

ライルが困り果てた表情をしているのは同じ部屋のニールが朝食を食べ終わるなり昼食や夕食までの時間を全て宿題に費やしているからだ。去年までの夏休みなら終了までの10日間ほどを費やしてなんとか終わらせるというのが通常だったはずが。今年は全く違うようだった。いつもならベッドの上でごろごろしながら漫画を読んだり携帯ゲームをやったりして過ごす時間だが、同じ部屋のニールが横でがりがりと宿題に打ち込まれているととても居心地が悪い。
そんなわけでライルはエイミーの部屋に非難してきたのだ。

「どうももう少しでドリル全部終わるみたいなんだよな…」
「うわぁ!早ッ!!」
「読書感想文ももう書いたみたいだし…あとは自由製作と日記くらいかな?」
「じゃあもう宿題はほとんど終わってるんだ?」
「そうみてぇ。」

天井に視線を飛ばしながらニールの机の上に詰まれた宿題を思い浮かべる。読書感想は夏休み始まってすぐに終わらせていたのを知っている。元々本を読むのが好きなニールだ。読む本を探したりしなくとも今まで読んできた本をチョイスしてその感想を書いてもいい。その他…教科ごとに存在するドリルは中々に厄介ではあるが、これももう残すところは国語くらいのような気がする。しかしそれももうあと2・3ページで終わりを見せていた。

「ん〜…何か夏休みにしたいことあるのかな?」
「それでさっさと宿題終わらせてるってことか?」
「うん。きっと『したい事』は学校とは全く関係ないんだろうね。」
「だとしても…もっと気持ちに余裕持ってして欲しいなぁ…」

ぐったりとした表情でへたり込んだライルにエイミーは小さく笑ってみせる。

「そんなに必死なんだ?ニル兄。」
「もう必死必死。何もないのに声かけようもんならガン飛ばされるし。」
「うわぁ…すごい…」

普段はまったくといっていいほど怒らない、荒げないニールがそんな剣呑な態度を取っているなんて異例すぎる。そんな状態のニールと同室のライルにとっては溜まったものではないかもしれない。

「ここんとこ落ち着いてたけど…やっぱ探りいれてみようかなぁ…」
「?何を探るの?」
「んー…ほら。春くらいにすっげぇおかしかったじゃん、兄さん。」
「うん。恋愛関係で何かあるかも、ってライ兄言ってたもんね?」
「あれ…突き止めてみようかな…」

ぽつりと呟いたライルは頭の中でこのところのニールの行動を振り返っているのだろう。考え込むような表情を浮かべている。

「そんな事して大丈夫?」
「ばれなきゃいいんだ。なんとかなるだろ!エイミーだって気になるだろ?」
「…うん…ちょっとは…」
「よし!決まり!エイミーも協力してくれよ?兄さんをターゲットに探偵だ!」
「いぇーっさぁー!」

二人揃ってびしりと敬礼が決まったところで、今後の計画を話すべく床の上にらくがき帳を広げ始めるのだった。

 * * * * *

いつものラジオ体操。順応が早いのか…朝の早起きにそろそろ慣れてきた子達はラジオ体操が終わってもすぐには帰らなくなった。その代わり学校で会わない分を埋めるような立ち話をするようになってくる。
そんな中、いつも通りスタンプを押しているニールが鼻歌でも始めそうなほどににこにことしている。その様子に列の一番最後に並んでいた同じクラスの女の子がことんと首を傾げた。

「ニールくん、朝から楽しそうだね?」
「んー?まぁねぇ〜。」

そう聞かれるとニールの表情がさらに微笑みでいっぱいになっていく。その様子を目敏く見つけた…こっちも同じクラスの男子が首を突っ込んできた。

「お、なんだよ?面白い遊びでも見つけたのか?」
「いんやぁ?ただ…」
「「ただ?」」

わざとらしく言葉を区切るニールに2人は引き込まれるようぐっと顔を近づける。

「夏休みの宿題があと自由製作だけなんだよなぁ〜」
「「えぇ〜?!」」
「ドリルは全部済んだし読書感想文もばっちり☆」
「「うそぉ〜!!」」

えっへん、と胸を張ったニールの言葉に綺麗なハモリが生まれた。

「つまり残り1ヶ月足らず…遊び放題?」
「なんってうらやましい!!」
「ほ…ホントなの?ライルくん?」
「んー?ホントホント。ここんとこ毎日1日中机にかじりついてたな…」
「あり得ねぇ〜!」
「はっはっはっ!努力の成果さ!」

羨ましかろう?と自慢するニールにはライルのじっと観察するような目線は気付けなかったようだ。
このところニールの機嫌がすこぶる上昇している。しかし…どこか出かけているかと言えばそうでもなく…ラジオ体操から帰ったらすぐに部屋へ入って宿題を始めているのは知っている。ではこの変化はなんだろう?とライルには疑問符が浮かぶばかりだ。
彼は知らないのだ。ニールの机の引き出しにはメモ用紙が数枚…綺麗にファイリングされていた事を。

 * * * * *

「…今日から行きます。昼御飯食べたらすぐ行くから…か。」

木の根元に紐と共にメモ用紙が入っていたのは夏休みに入って2日目から。
初めは『俺は元気です』としか書かれていなかったが、次第に文字数が増え…ここ数日の進捗を書いてみたりこちら側の様子を聞いてみたり…聞かれている事に答えようとしても紙もペンもない…と思えば一緒に余分に白紙がもう一枚とペンが入ってあった。
ニールはいつも刹那の思いつく一つ先のことまで気が付いている。その証拠にこうして必要に駆られるものが用意されていた。部屋で勉強を見ている時も刹那が見やすいようにさりげなくノートの向きを変えたり、体をずらしていた。そんな気遣いがここにもちゃんと存在していて刹那はくすぐったい気持ちになってしまう。
そんな風にメモで文通の様な事が始まった今は刹那も紐を確認するだけに終わらず、入っていたニールからのメモを持ち帰り、返事をその場で書いて入れるようになった。しかし、この遣り取りも今日で終わるらしい。夏休みの宿題がほとんど終わったから来るというメモだけが入っており、いつものように白紙のメモは入っていない。

「昼からか…」

紐を戻した刹那は時計を確認する。ニールに会う前はこの公園に来るのは昼過ぎだったはずが、いつのまにやら午前中に来るようになっていた。なので昼過ぎといっても時間がそれなりにある。どうせだったら一緒に昼御飯を食べてもいいかもしれないが、返事を入れても回収は明日の朝。いや、それ以前に白紙のメモがないから返事の書きようも無い。

「………よし。」

しばし考え込んだ刹那は一つ頷くと家路についた。その足取りが僅かに浮き足立っていることを当人は気付いていない…

 * * * * *

「刹那ー!」

昼過ぎのチャイムに予告通りの訪問だな、と扉を開けば予想通りニールの満面の笑みがあった。その笑顔に口元を弛めたのだが…

「久しぶり!」
「あ、あぁ…久しぶり…」

玄関を開いて招き入れれば突然抱きつかれてしまったので固まってしまう。顎の下にふわふわとした茶色の髪に、腰に回された腕にどうしたらいいのか分からずに硬直したままなんとか言葉を返した。そんな刹那の様子に気付いていないのかニールは久々に会えた感動を胸いっぱいに感じるべく抱きついたままだ。

−…出身国の習慣の違いというやつか…?

抱き締められるがままに色々考えた結果それらしい答えを弾き出した刹那は慣れない事ながらもぎこちなくニールの背に腕を回してみた。暑い日ざしの中、熱せられたのだろう、薄手のシャツはじっとりとして体温がいつもより熱く感じる。

「あれ?…刹那…エプロン?」

存分に刹那の存在を満喫したのだろうか…ふと視界に写る青い布に気付いたニールは頭を離してしまう。ニールがじっと見つめるそれは首から下げるタイプのエプロンだ。ついでにいうと少し粉っぽい。首を傾げるのに刹那は小さく笑いかけてやった。

「ん?あぁ。タルトを作ってた。」
「…タルト…」
「三時になってからな?」
「うん!楽しみ!!」

ぱぁっと瞳を輝かせるニールに刹那は頭を撫でてやる。この辺りがすっかり犬の扱いになっているのだが…果たして当人は気付いているのか?
飲み物の用意をするから先に部屋で待っているように言われてニールは二階へと上がっていく。刹那の部屋は前に来たときと変わらず殺風景なのだが…そのローテーブルの前に座るとごつりと頭をぶるけるように伏せた。

「あまりの嬉しさに…抱きついてしまった…」

はぁ〜…と深いため息を溢しながら額をぐりぐりとテーブルに押し付けた。ほんの一週間ちょっとの期間会えなかっただけだというのに、出迎えてくれた刹那を見た瞬間思わず抱きついてしまっていた。抱きついた事に謝るというのもなんだか可笑しな気がしてどう流そうかと考えていたら背にそっと腕が回されて…ますます気分が高潮してしまう。
幸せを存分に味わった…という満足気なため息を一つ溢すと、ふと顔を持ち上げる。その視界の先に両腕を広げてそっと輪を作ってみた。

「……細いんだな…刹那の腰って…」

ぼんやりと両腕を眺めてぽつりと吐き出された言葉にじわじわと込み上げるものがある。

「ッ!!!」

赤くなっているだろう顔が、刹那が来るまでに引いてくれるようにとぶつぶつ言いながらしばらくそのままでいるのだった。

 * * * * *

「お待たせ。」
−…カシャッ…

氷の入ったグラスと容器に移したボトルを手に刹那が部屋に入ると小さな電子音がした。その音に顔を上げるとニールがカメラを両手に持って構えている。

「…ニール?」
「へへー。」

きょとんとした顔で首を傾げると悪戯が成功したような笑みを返された。とえりあえず手に持った物を置いてニールの横へ腰掛けると今撮った写真をリプレイ機能で見せてくれる。

「…なんだ?突然。」
「うん。必要なんじゃないかなって思って。」
「日常風景が、か?」
「そうじゃなくて。カメラを向けられるのに慣れること。」

そう言いながら撮影モードに戻すとニールはまた刹那に向かってカメラを構えて一つシャッターの音を響かせる。すると今度は立ち上がるから刹那も立ち上がろうとすれば止められてしまった。


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