<「それで?」>
「うん?」
<「お母さんは誰がタイプなの?」>
「だ……だ、誰って……」
<「例えば、でしょ?」>
「あぁ……うん……」

 楓の意見を聞いてみようとしただけなのに反対に聞かれてしまいかなり困ってしまう。折紙サイクロンであるイワンと『お付き合い』らしい事を始めはしたが、恋愛感情はもとより、結婚云々まで考えがちっとも及んでいない。『嫌い』という感情は一切働いていないとはいえ、その一点で絞ってしまうと誰もが当てはまってしまう。
 適当な事をいっても巴に似て鋭い楓は誤魔化しきれそうにないし……と唸っていると助け舟が入ってきた。

<「楓、そろそろ風呂に入らないと明日起きれないよ?」>
<「え?」>
「お?」

 割って入ってきた声に時計を見上げてみるとそろそろ深夜帯に突入しようとする時間帯だ。楓も確認したのだろう、酷く残念そうな表情でしぶしぶ返事を返している。

<「じゃ、お母さん。あたしそろそろ……」>
「ん、風邪引かないようにちゃんと温まってな?」
<「うん。」>
「それから……え〜と……さっきの答えは次の電話の時に、な?」
<「うん!じゃあ、お母さん。お仕事頑張ってね!」>
「おう!楓も学校、頑張れよ!」
<「ん!あ、おばあちゃんに変わるね?」>
「ん、わかった。お休み、楓」
<「お休みなさい、お母さん」>

 受話器を傍に置いてモニタから出て行ってしまう楓に手を振り続け、廊下を小走りに駆けて行く音で小さくため息をついた。笑顔で隠してしまっているが、随分淋しい思いを募らせているだろう楓に申し訳ない気持ちがいっぱいになる。チクチクと痛む胸に気付かない振りをしていると、モニタに母親の姿が入って来た。

<「それで?」>
「うん??」
<「何て告白されたんだい?」>
「はぃい!?」

 モニタの前に座るなりとんでもない事を聞いてきた母の顔をまじまじと見つめる。至極真面目な表情に混乱が積み重なっていく。

「こ、こ、告白って……何?いきなり……どっからそんな……」
<「でも、誰かと付き合ってるだろ?」>
「あ……う……」
<「おや……図星だったのかい?」>
「へ?」
<「カマかけたつもりだったんだけどねぇ」>
「だっ!」

 朗らかに笑う安寿の顔に虎徹は脱力してしまった。どうやら自ら大きな墓穴を掘ったようだ。机の上に突っ伏して恨めしげに見上げると小さく首を傾げられる。

<「でも告白を受けたのは本当だろう?」>
「……何だよ、今度は……」
<「母ちゃんの観察眼だよ。誰かに告白されたろう?」>
「……された……けど」
<「やっぱり」>
「…………どうして分かんの?」
<「20年も前になるかね……巴さんから告白された時と同じ顔してるからさ」>
「顔ぉ??」

 母に指摘されて思わず頬に手を当ててしまう。そうしたからといって何が分かるでもないのだが、一種の条件反射だ。そんな虎徹を安寿はますます楽しそうに笑みを深める。

<「どんなに男らしく振る舞ったとて『恋する乙女』は誤魔化せないよ」>
「ぅわぁ……四十路前のおばさんに『乙女』とかってどうよ?」
<「おや。女は幾つになっても『女』なんだよ」>

 したり顔をして見せる安寿に虎徹はぐうの音も出てこなくなってしまった。机に突っ伏し気味になっているとモニタの隅に見切れている村正の顔が見える。普段から無表情に近い兄ではあるが、共に過ごし育った虎徹には分かる……とても複雑な気分になっている、と。その証拠に眉間へ皺が寄り始めている。

<「あんたもまだ若いんだし、母ちゃんは再婚に反対はしないよ」>
「え……」
<「仕事柄もあるけど、将来を考えるとね……一人ってのは寂しいもんだよ」>

 どこか哀愁を感じるその声と表情に茶化す色はない。そんな母に苦笑を漏らすと一つため息を吐き出す。

「まぁ……ぼちぼち考えるよ」
<「あぁ、そうしな。決して悪い事じゃないんだからね」>
「ん。じゃ、おやすみ」
<「おやすみ」>

 ちらりと視線を移すと村正は背中を向けてしまっていた。けれどその背中が兄なりの激励なのだと感じ取り静かに受話器を置く。

「…………」

 静かになった部屋の中。虎徹はぼんやりと伏せてある写真立てを眺める。
 母に言われたように告白された。そしてすでに『お付き合い』と呼べるものも始めている。久しぶりに味わう甘やかな日々。心の底から笑っている自覚はある。楽しんでいる感覚もある。
 けれどどこか後ろめたかった。生涯最愛であったたった一人の人を想い続けられないようになるのが怖かった。どこか踏み出せずに一線を引いている自分に気づいている。きっと若い彼は気づいていないだろうけれど、どこか距離を置いていただろう。

 でも。

 彼の人は愛おしい一人娘に『気持ち』を託してあった。直接に交わした約束だけでは虎徹は踏み切れないと分かっていたのだろう。独りにならないように。また虎徹が一緒にいた頃のように笑えるように。

「優し過ぎるよ……ばか……」

 ソファの上で両膝を引き寄せて顔を埋め込んだ。

 * * * * 

 爽やかに晴れた日曜日。公園のベンチに一人の女性が長い足をゆったり組んで座っていた。度々時計を見上げているから待ち合わせをしているのだろう。さほど珍しくはない光景なのだが、いかんせん、その女性のプロポーションが人々の目を惹きつけてやまない。
 美しい脚線美を描く足を持つ女性は黒髪に黄色人種特有の少し濃い肌色、琥珀色の瞳を持っている。少し幼く見える顔の作りはアジアン故か。きっと年齢を予想しも実年齢よりも10は低くなるだろう。本人としては特に隠しているつもりはない。

 なぜならその人は……虎徹なのだから。

 自分で自分の事をおばさん扱いして年齢を自覚しているのだが、どうも東洋の遺伝子は年齢相応には見せてくれないらしい。その証拠に遠巻きに見ている高校生や大学生くらいの男の子達が興味津々に話し合い、ナンパしてみるかどうかと話しているのが聞こえる。下手したら親子ほど年齢が離れているんだぞ?と思いながら虎徹は今の自分の格好が何よりの原因だと考えため息をこぼした。

「(う〜ん……気合入れ過ぎたか……)」

 少々苦い表情をしながら見下ろした服装は普段なら絶対に着ないタイプの清楚系ワンピースだ。若草色の地に唐草模様のシフォン布地で作られたワンピースはパフスリーブに小さいけれど、白いレースまで付いている。しかも足元も虎徹なら絶対に選ばないような細身のミュール。顔にも薄く化粧を施し、頭は普段と雰囲気をがらっと変える為にも毛先を巻いたハーフウィッグも着用している。
 以前までならここまで極端な服装は選ばなかったのだが、ワイルドタイガーの素顔としてアイパッチを着けただけの状態で露出することも増えた為、いつものパンツスタイルにするわけにはいかなかったのだ。

「(……それでも……)」

 やはり気合を入れ過ぎた、と苦笑を漏らしたスカートの裾を摘む。我ながらこんな可愛いものを着る日が来るとは思わなかった。
 それというのも、服装に悩んだ挙句、相談相手としてネイサンを選び最終決定権を楓に委ねたからである。

 ネイサンがトータルコーディネイトしてくれた姿をメールで送り、楓にどれが良かったか選んでもらう。
 その結果がこの格好。

 楓曰く−−−

 「いつもボーイッシュなカジュアルスタイルなんだから。
  たまには女性らしさ全開な服装をしたらいいじゃない」

 だ、そうだ。更に……

 「年齢がどうだこうだっていうけど、そんなの服とメイク次第でどうとでもなるわよ」

 というトドメまで刺されてしまった。これはもう「否。」と言える訳がない。そのメールの返信を横から覗いていたネイサンも大笑いだ。
 「もぉどうとでもなれ。」とな半ばやけになりつつもしっかり仕上げてきたのだが……
 もう一つ苦笑を漏らす。

「(ここんとこずっと潰してたもんなぁ……)」

 腕組をすると自然と寄ってしまう胸元。この所『虎徹』として過ごすことが多かった為ブラを着ける事自体が久しぶりで、顎のすぐ下に見える谷間に「こんなにあったっけ??」と思わず首を捻りそうになっていた。

「(ん〜……落ちつかないなぁ……)」

 無意識の内に撫でてしまう顎にももちろん虎の牙を模したタトゥーは貼っておらず……貼った状態に慣れてしまった分、ないと落ちつかなくなってしまう。

「(……慣れって怖い……)」

 ひっそりとため息を零し無意識に顎を撫でていた手を腕組状態に戻すとふと周りに視線を送ってみた。遠巻きにこちらをじっと見ている男性や、何やらひそひそ話をしている女性の様子がどうも居心地を悪くさせている。
 もう一つ深いため息を吐き出して近くの時計を見上げた。

「(もっとゆっくり出てくれば良かった……)」

 見上げた時計は約束の時間よりも半時間も早い時刻を差している。己がいかに浮かれているかを思い知らされるようで苦笑いが浮かんで来た。

「わふっ!!」
「おあ?!」

 いっその事、公園から出て少し時間潰しとかしてみようか、と考え始めた時、大型犬が突進してきた。
 ふわふわとした柔らかい毛並みに垂れた耳とクリクリの瞳。あまり犬種に詳しくはないが、ゴールデンレトリバーだと分かった。長い尻尾を千切れんばかりに振り回す犬はすぐ隣に飛び乗ると、膝の上に上体を乗せてきて「遊んでくれ」と言っているかのように擦り寄ってくる。
 犬が苦手な訳でもなく、どちらかというと動物好きな虎徹は人懐っこい犬の頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めるものだから顔全体を包み込むように両手で撫で回してやった。すると……

「ジョーン!」
「!」

 犬が走ってきた方向からリードをもつ青年が駆け寄ってくる。聞き覚えのある声と、遠くてもよく分かる爽やかオーラ全開の彼に虎徹は顔を引きつらせた。

「(スカイハイッ!!!)」

 スカイハイ、ことキースの姿が徐々に大きくなる中、撫でまわしていた犬が振り向き元気に吼える。どうらや彼の飼い犬のようだ。

「ジョン、駄目じゃないか。急に走って行ったりしては」
「くぅ」

 すぐ前まで走ってきたキースは「めっ!」と言って犬、こと、ジョンを叱りつけている。叱りつけて、とはいうが怒鳴っているわけではなく、大声を出しているわけでもないのでさほど注目されることもない。けれど虎徹は背中までびっしょりと冷や汗が噴き出している状態でただただ静観をしていた。

「おや?」
「!」

 ジョンの躾が終わったところでキースが虎徹の存在にようやく気付いた。ぱちりと優しげな青い瞳を瞬かせてじっと見つめてくる。顔が引きつってる自覚は大いにあるが、下手に口を開くことはしない。墓穴を掘りかねないからだ。

「こんにちは」
「こ、こんちは……」

 あまりの緊張に喋りが怪しくなっている。相手の出方が分かるまではシラをきり通さなくては、と気が気でないのだ。

「申し訳ない。私の犬が粗相をしてしまったようで」
「あ、いえ……その、犬……好きですし」

 混乱がちになっている脳内を整理しながらなんとか言葉をひねり出すとにっこりと微笑んでくれる。その顔につられてにこりと笑うと小さく首が傾げられる。

「失礼だが……どこかで会ったかな?」
「へ?」
「とても親近感が湧いていてね。もしかして知っている人が変装をしているのかと思って」
「へ……変装って……どうして、そんなことをする必要が?」

 腕組みをして真剣に考え始めたキースを見上げながら虎徹は内心バクバクと忙しなく打ち付ける心臓と、震えそうになる手足を抑えることに必死だった。しかも今しがたまで浮かべられていた笑みが引っ込められ、真摯な眼差しを向けられるから気が気でない。けれど、言動からばれてはいない事が分かるのでこちらがぼろを出すわけにはいかないとどうにか取り繕う。


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