ジムに来ると一際目を引く光景がある。虎徹が賑やかなのは元からではあるが、その虎徹と一緒にいる人物が、普段の雰囲気と明らかに違うのだ。むしろ、いるのかいないのかも分からないような人物、イワン・カレリン。あの大人しい彼が、虎徹と笑いあっている。
 その異様といえば異様な光景に、どう声をかけたものか?と困る面々の中、1人だけ堂々と突っ込んで行ってしまった。

「……タイガーちゃぁん?」
「っ!」

 いつも通りのシナを作った動作。綺麗にマニキュアが塗られた爪が虎徹の肩に添えられる。小指を立てているものの、握力が見た目以上に発揮されており、掴まれた虎徹が息をのんだ。更に向かいにいたイワンの顔がみるみる青ざめていく。

「ちょぉっと……面ぁ貸せや」
「……あい……」
「折紙も一緒に……な?」
「……はぃ……」

 重低音で響く声は、『否』とは言わせない迫力と威圧に満ちていた。

 ジャスティスタワー内の、人目につかない場所……というのはそうそう存在しない。けれど、話を聞きとられにくく出来る場所はいくつかあるし、部屋にロックを掛けられる部屋も存在している。その内の一つ。小会議室のような小さいけれど防音設備がしっかりした部屋に連れ込まれた虎徹とイワンは床に正座を命じられていた。

「………以上です……」
「………」

 その2人の目の前に仁王立ちするネイサンは、昨夜に何があったのか洗い浚い吐く様に言いつけた結果、しどろもどろになりながら紡がれる虎徹の話と、珍しく積極的な行動に出たイワンの昨夜の動きを照らし合わせる事が出来た。そしてその二つが鉢合わせになってしまった事によって予期せぬ事態が起こってしまったのだと理解する。

「……まったくもって……予想外の出来事よね……」
「……は……はぁ……」
「……すいま……せん……」
「謝ることないわよ。タイガーちゃんに確認を取らず教えた私にも責はあるからね?」

 少し困ったような笑みを浮かべるネイサンは、一つため息をつくとイワンをじっと見つめた。

「折紙ちゃんの強い願望が実現してしまったのか……もしかしたら、運命ってやつか……」
「「運命?」」
「遅かれ早かれ……折紙ちゃんにはばれる事になってたかもしれないって事よ」

 茶目っけたっぷりに言われた言葉に二人は顔を合わせる。ヒーロー事業の体制が変わった今、以前とは打って変わってヒーロー同士のコミュニケーションの機会が増えていた。それはつまり、ヒーローではなく、一般人として触れ合う事が多くなったということであり、今まで知らなかった事もうんと分かりあえることとなる、ということだ。

「……今後、身辺にもっと危機感を持たないといけないわね?タイガーちゃん」
「へ?」
「この秘密って、言ってしまえば企業秘密じゃない?しかも社内でも知っている人間は限られているような……云わば『トップシークレット』」
「……あ〜……まぁ……大げさではあるけど……」
「だっ大丈夫です!僕、死んでも口を割りません!」
「って言ってくれるからいいけど……もしこれが折紙ちゃんじゃなければ……」
「……そうだな……これ以上はばれないようにした方がいいよな……」
「秘密を知る人間は少なければ少ない方がいいでしょうしね?」

 ネイサンの危惧している事は、ヒーロー間のみではない。今回は『たまたま』イワンにばれてしまったが、もしこれが他の誰かだったら……イワンは『誰にも言わない』と言ってくれているが、違う人だったらもしかすると、その秘密を利用して揺さぶりをかけてくるかもしれない。しかも、虎徹個人として一番の痛手は『ヒーローを辞めさせられる』ことだ。いくら上司が承認していた、といっても女である事を黙っていた事には違いないし、会社側にも『偽造』の罪で法的な罰が下るだろう。
 つまり、虎徹の性別がばれてしまう事によってプラスになる事は何一つないのだ。

「ぼ、僕もっ!何か協力しますっ!」
「そうね。知られた以上は協力者になってもらわないとね?」
「はい!なんなりとお任せあれ!」
「……ん。よろしく頼むわ、折紙」
「合点承知!」

 ガッツポーズを決めるイワンに笑みを浮かべると解散となった。

 * * * * *

 午前九時。いつもの就業時間開始の時刻。立ち上げたパソコンで、また溜まりに溜まったファンからのメールにざっと目を通していく。ヒーロー事業部のパソコンには、メールを開くと自動的に送り主へとお礼メールが送られていた。お礼のメールには、自動送信である事、バーナビーが確かにメールを読んだ事が書き込まれ、最後にバーナビー自らが書き込む一言コメントが入ったものだ。この一言コメントも週一で更新されているので、一週間に一度コメントを見るためにメールを送るマメなファンもいる。
 そんなわけで、バーナビーあてに送られる膨大な量のメールを本人自らチェックしているわけだが…端から端まできっちり読み込んでいるわけではない。ほとんどが斜め読みで、気を惹かせようとしているワードを拾い上げてメモに打ち込んでいた。そうしてコメント更新の際のネタに活用している。

「………」

 午前中はほぼこの作業で潰されてしまうのだが、バーナビーはちらりと横のデスクに視線を走らせた。そこに座っているのはもちろん、コンビを組んでいるワイルドタイガー、鏑木・T・虎徹、その人。通勤途中で買ったのだろう、新聞を広げて黙々と読んでいる。
 その珍しくまじめな横顔をしばらく見つめてから、バーナビーは小さくため息を吐き出した。

 昨日、午前中に取材が入っていたために遅れてジムに向かったのだが……

 異様な光景に出くわしてしまった。

 自販機のある休憩スペース。そのベンチに腰掛ける虎徹と、その目の前には思いつめた表情のイワンがいる。虎徹の方も、何を言われたのか、ぽかん、とした表情をしていた。
 そんな二人を遠目に確認し、話しかけるのも、近くを通り過ぎるのも憚られる雰囲気にどうしたものか、と立ち止まる。

「(……しばらく様子をみてみようか)」

 悩み相談、となるとこの雰囲気も納得できる。だとしたら下手に割り込んでしまうと、人一倍繊細なイワンが傷ついてしまう可能性が充分にあるだろう。ただ、こんなところで虎徹と二人きり、というのが少々ムカムカとするのだが。その理由がイマイチ思い当たらず、結局は見守るほかなかった。

「……え……と……」

 二人からは死角になるようにと柱と壁の間に身を潜め、僅かに聞こえてくる声に耳を傾ける。

「……誰かに言うための練習?」
「違います。僕は、タイガーさんに向けて言いました。愛しています」

 僅かに震える声で紡ぎだされた言葉にバーナビーはショックを受けた。一瞬にして全身から汗が噴出し、指先が震えるほどに緊張と焦りが体を支配していく。

「ほ……本気?」
「はい。」
「や、でも……お前、まだまだ若いし……」
「年齢は関係ありません」
「……あ……ぅ、ん……」
「……分かってます」
「へ?」
「僕が『そういう』対象として見られていないって」
「う……わ、わりぃ……」

 再び訪れる居心地の悪い沈黙。当事者ではないのに、動悸が乱れ、上手く呼吸が出来なくなる。静かな空間に己の吐く呼吸音が嫌に大きく聞こえていた。

「だから……返事はいつでもいいです」
「……折紙……」
「ただ……僕の気持ちを知ってもらいたかった……今はそれだけで満足ですから」

 頬を真っ赤に染めてはにかむイワンを虎徹はじっと見上げている。その光景を見たくない、と思いながらも視線を外せずにいると、虎徹の手がそっと伸びてイワンのシャツの端を摘み取った。

「……折紙……?」
「は、はい?」
「その……この先さ……え、と……どうなるか……とか……
 ぐ、具体的には全く分かんねぇんだけど…」
「……はい……」
「メ、メル友とかから……始めねぇ?」
「………え?」
「っだ!……だからっ……ちゃんと、向き合って、考えるから……
 ちょっとだけ……距離を縮めて……だな……」
「……いいん、ですか?」
「……いいも、悪いも……何も返事できねぇの……やだし……」

 俯き加減で表情は見えないが、黒髪の隙間から見える頬が赤く染まっているのが分かる。

 そこからどう離れてどこを歩いていったのか分からないが、気づくとジャスティスタワーの展望台にいた。吹き荒れる風も分からないほどにぼんやりと立ち尽くしていたようだ。指先がかじかむほどに冷えている。
 いつからここに立っているのかさえも分からないほどに自分が混乱しているのだと理解出来た。けれど、それ以外には何一つとして理解は出来ない。

 何故ここにきたのか?
 何故あの場を離れたのか?
 何故ショックを受けたのか?

 何故……こうも胸が苦しいのか?

 ぐるぐると出口のない迷路の中で、どうにか動き出せばもう新しい日を迎えていた。

 いつものオフィス。いつものデスクワーク。いつもの就業時間五分前に来る『パートナー』。

 椅子に座るなり大きな欠伸を漏らすところも、腕を目一杯伸ばして首をこきこき鳴らすところも、パソコンを点けたら真っ先に新聞を広げるところも。
 何一つとして変わってはいない。
 何もかもが『いつも通り』。『今まで通り』。

 静かに流れ行く時間に…昨日見たと思った光景は夢だったのかもしれない。そんな事を考えていると……

「おっと……失礼」

 携帯のメロディが鳴り出した。かと思うとすぐに途切れたのでどうやらメールのようだ。ほとんど読み終わっていた新聞を横に置いてそそくさと携帯を取り出す。そんな彼の様子から、娘か?と予想を立てた。

「!」

 メールの内容を読み終わった彼の横顔に息を詰まらせる。『笑顔』になることはかなり多い。多いには多いのだが……

 こんなに優しげな笑みは初めて見る。

 いつもは照れたような笑みだったり、少し困ったような笑みだったり。それはまだまだ幼い娘の精一杯の我侭が原因であると言っていた。しかし、今の『笑み』はまったく別のものに見える。むしろ、メールに限らず、普段の生活の中でも『初めてみる笑み』だった。

「……なにか……喜ばしいことでも?」

 何が彼にそんな笑みを浮かべさせているのか知りたくて、思わず口をついて出た質問に、きょとりと不思議そうな目で振り向かれてしまった。

「……へ?」
「あ、いえ……その……やけにニヤニヤしてて気持ち悪いな、と」
「だっ……気持ち悪いって……ひっでぇなぁ……」

 途端にしょんぼりとした表情になってしまった虎徹に多少の罪悪感を感じながらも、表には一切ださずに眼鏡のブリッジを押し上げる。しばらくは拗ねたように唇を尖らせていたが、次第に照れくさそうに頬を掻き始めた。

「……そっか……にやけてたのか……俺……」
「……えぇ、それはもう…すぐに分かるほど。」
「はは……あー………うん……」
「……なんですか?」
「思い出し笑いっていうのかな……巴との手紙のやり取りとか思い出しちまって……」
「……トモエ?」
「うん?あぁ、俺の……嫁さんの名前。」
「……はぁ」

 器用にも携帯を弄りながら昔を懐かしむようにしずかに語り始める。それは先ほどの笑みに酷似しており、止めたいような気分に駆られてしまった。けれど、そんなバーナビーの葛藤を知る由もない虎徹はぽつぽつと言葉を零していく。

「バニーちゃんはしないだろうけど……
 俺が学生ん頃にさ、授業の合間に手紙の交換するのが流行ってたんだよ
 メモ帳とか、メートの切れ端とかに先生の目、盗んでちょこちょこ手紙書いて……
 休憩時間に交換すんの。手紙っつっても、今のメールとかと変わんないんだけどさ」

 ちょうど話し終えたところでメールの返信文も完成したらしい、ぽちぽちと動かしていた指が動きを止めて携帯をポケットに直してしまった。

「……今のメールの相手は……奥さんですか?」
「いんや。別の人。書き方とか文の構成とかが似ててさ」
「……そう……ですか」

 楽しげに話す横顔が何故だか見ていられず、それ以上は聞けなくなった。


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