酷く目が冴えたままのバーナビーは仮眠室に入ったものの、眠れる気配もなく部屋から出て行った。じっとしている事が苦痛に感じてならないのだ。

「<やぁ、バーナビー>」

 廊下を重い足取りで歩いていると声が掛けられる。振り向くといつもの白衣姿に小脇へ書類を挟んだ斎藤が立っていた。

「斎藤さん……どうしたんですか?こんな所で」
「<うん。最近のタイガーの様子が気になっていてね>」
「先輩の?」
「<このところ出動中によく倒れていただろう?>」
「えぇ、寝不足で……」
「<あぁ。だけど、他に何かきっかけがあるように思う>」
「きっかけ?」
「<そう。寝不足だったのは確かなんだけど、日中もよく居眠りしていたこともあっただろ?
 それに加えて倒れる直前の数値が異常だ>」

 そう言って差し出したのはワイルドタイガーの脈拍や体温を折れ線グラフにした資料だ。並べてみれば確かに『異常』だという言葉がよく分かる。
 急速に低下している体温に比べ、脈拍は徐々に数値を上げているのだ。

「……確かに……異常ですね」
「<最初に倒れた川辺にはすでに行ったが、特に何も見つからなかったんだ
 だからこれから工場跡に向かうよ>」

 差し出した時のままの斎藤の手に書類を返したバーナビーは顔を上げた。

「ついていっても?」
「<うん。構わないよ>」

 伺うように見つめてみれば、すでにその答えを予測していたかのように即答が帰って来た。

 * * * * *

 アポロンメディアの車では目立つので、バーナビーの車で移動をする。
 斎藤の案内で向かったのは工場跡。つい最近犯行グループの残党を捕獲した場所だ。建物の敷地内に車を止めて降りると、斎藤は後部座席に積んでいた荷物を漁り始めた。じっと待っていればその手にはライトが二つ。一つを手渡され、開け放たれたままの扉から中へと進んでいった。

「………思った以上に暗い……」
「<建物の場所が密集地の真ん中に近いせいか、日の光が入りにくいんだよ>」

 彼の言う通り、一階のフロアはほとんど灯りはなく、うっすらと入り込む光だけでは足元が見えにくかった。通路の壁にいくつか扉が並んでいるようだが、よく目を凝らさないと見えない程だ。
 斎藤がライトを点灯すると、割れた窓ガラスがキラキラと光り、辺りをうろついていた虫が一斉に逃げ出していった。

「<……う〜ん……>」

 一番最後に逃げてきたネズミが足元を通過するのを見ていたら斎藤が首を傾げた。早速何か見つけたのか、と彼が照らし出す通路を見てみるも、バーナビーには引っ掛かるものが全くない。

「……何か?」
「<可笑しいと思わないかい?>」

 短い指が示すのは照らされた通路の真ん中辺り。

「<以前来た時は反対側の階段を上がったから気づかなかったが、通路の中央に『道』が出来ているだろう?>」

 斎藤の言葉を頭に置きながら再度通路を見てみると……確かに『道』らしきものが出来ていた。
 使われなくなって何年も経ったのだろう、埃や塵が通路の目地を覆い隠すほど積もっている中、中央を緩く曲線を描きながら細い『道』が出来ている。まさに蛇が通り過ぎた後のように、その差は目に見えてくっきりと浮かび上がっていた。

「何かが出入りしていた、ということですか?」
「<うん、恐らくは>」

 線の脇を数歩進んでみると、その『道』は割れたガラスや崩れ落ちてきた天井の瓦礫などを避けて進んでいる。バーナビーも渡されたライトで照らし注意深く見ながら斎藤の後に続いた。

「随分頻繁に出入りしていたんですね」
「<そうだな。しかし……また埃が被り始めている>」
「……そういえば……」

 他の瓦礫の上や通路の端に溜まっている埃などに比べるとはっきり浮かび上がっているのだが、その『道』も埃が積もり始めているらしく目地がぼやけている。その場に屈んだバーナビーはライトを照らしてじっと見つめてみると、うっすら白くなっていた。

「……随分奥まで続いてますね」
「<辿ってみるか>」

 入口周辺で探っていたものの、『道』はずっと奥の方まで伸びている。ライトの光が届く範囲よりも向うまであるらしく、まるで鬱蒼とした森の奥へと続く小道のようだ。幾度も曲がり長く続く道は一枚の扉へとバーナビー達を導いた。

「ここ?」
「<そのようだね>」

 扉はあちらこちら錆びれており、ノブの下に付けられた錠もぼろぼろだ。飼育小屋に付けられているような簡易な錠ではあるが頻繁に使っていたのだろう、扉と擦れて綺麗な円を描き出している。一通り周辺や扉を調べて何もない事を確認すると、手袋を付けた斎藤の手がノブに掛かった。……きぃ……と小さく軋みながら開いていく。

「ッ!!」
「<?どうした?>」

 外の空気が中へと吸い込まれていくと共にバーナビーの背がぞっと震えあがる。まるで魂が吸い込まれるかのような錯覚に己の体を掻き抱いた。

「何て言ったらいいのか……酷く嫌な感じがして……」
「<そうだね……冥土の門を開いたかのような感覚がある……>」

 その物言いに反して表情や声音に何の変化は見られないが、顔色は良くないように見える。
 開いた扉からライトを照らしこみ警戒しながら中の様子を窺うも何もない部屋だった。ゆっくりと足を踏み入れ、天井から壁まで隅々をライトで照らし出す。

「これほどまで暗いと衛生上あまり良いとは言えませんね」
「<まったくだな>」

 窓一つない部屋の中はじっとりと湿った空気で充満して黴臭い。床を照らしてみるもさきほどまで浮かび上がっていた道はなかった。

「……中には入っていなかったようですね」
「<けれど……『人』はいたようだよ>」
「え?」

 床にばかり気を取られていたバーナビーとは反対に天井や壁を重点的に見ていた斎藤が呟く。振り返れば彼は扉のすぐ傍にじっと立っていた。何かを見つけたのだろうか、隣に立つと彼のライトが照らし出す場所を見る。

「っ……これ……」

 人が寝た形に似たシミのようなものが浮かび上がったいる。さらにすぐ傍にはボンベらしき鉄の塊と黒ずんだ医療用マスクが転がっていた。  喉を押し上げてくる吐き気に思わず口元を覆っていると斎藤は錆びだらけのボンベを調べ始めた。さほど動じていないように見えるがその横顔は険しく、眉はぎゅっとしかめられている。どうやら耐えているだけらしく、バーナビーはわずかに安心してしまった。

「……何か、わかりますか?」
「<うん、医療用酸素ボンベだ>」
「医療用?重病人がこんなところにいたってことですか?」
「<どうだろう?ただ、制作会社やロットナンバーが分かれば使用していた病院がわかるかと思ってね>」
「……なるほど」

 胸ポケットからメモを取り出すと素早く書き写していく。所々錆で埋め尽くされていて読み取れないが、彼には十分のようだ。更に小型パソコンを取り出すと検索を始めた。
 ほどなくして見つかったのは医療器具製造メーカー。そのホームページには契約している病院や施設が書き込まれている。その中からいくつかピックアップして書き出すとバーナビーに差し出した。

「<酸素ボンベを必要とする科があるのはこれらの病院だけだ>」
「では、この中のどれかにこの部屋にいた患者が診察を受けたということですね」
「<うん。行く前に製造メーカーに連絡してナンバーから搬入先を絞りこむといい>」
「分かりました」
「<じゃあ僕は会社に戻るから>」
「一緒に行かないんですか?」
「<少し調べたいんだよ>」

 そういった彼はポケットから小さな袋とピンセットを取り出すとシミの辺りを削り詰め始めた。更に大きなシートを取り出しボンベを包み込むと小脇に抱える。

「<遺留品というのは膨大な情報を持っているからね>」

 きひっと笑って見せる斎藤はすっかり科学者の顔になっていた。

 * * * * *

 斎藤と別れたバーナビーは早速製造メーカーに電話をして目論見通り搬入先の病院を聞き出して訪ねていた。それは古くからシュテルンビルドにある総合病院でかなり大きい。広いフロアを横切り受付で事情を説明するとナースステーションの奥へと案内された。

「はい、確かにこの会社とは契約しておりますが……当時はナンバーの管理まではしておりませんでしたので……」
「そうですか……」
「お役に立てず申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。ありがとうございました」

 丁寧なお辞儀をして見送ってくれる看護婦長に会釈をして病院から出てきた。さすがに20年以上前に作られたらしいボンベを誰が使っていたかという記録は残っていなかった。むしろどのナンバーをどこの病院に搬入していたかが分かったのも奇跡と言っていい。何せちょうどナンバーの管理を始めた頃だったのだ。

「……もう少し手掛かりがあればよかったけど……」

 思わず落胆してしまう心をため息に変換して携帯を取り出すとそろそろ昼になる時間帯。メンバーと約束した時間だ。今から向かえばちょうどいい時間になるだろう。早速向かおうと足を踏み出した瞬間、着メロが流れ出す。

「はい」
<「はぁい、ハンサム」>

 画面で確認した人物の明るい声に思わず笑みをこぼしてしまう。

「こんにちは。もうみなさん集まってますか?」
<「さぁ?私達もまだ着いてないのよ」>
「?誰かと一緒ですか?」
<「えぇ、牛ちゃんとね」>
「……あぁ、ロペス先輩ですか」

 一瞬誰だかわからなかったが、電話の向こう側で怒鳴り声が響いていてネイサンが軽くいなしている。きっとアントニオがネイサンに文句を言っているのだろう。

<「ちょっと調べたい事があってね。今からもう一件用事を済ませてから行こうと思って」>
「遅くなる、ということですか」
<「そういう事よ。ハンサムもどこかに出てたの?」>
「えぇ、ちょっと病院まで来てまして」
<「あら。どこか怪我でもしてた?」>
「いいえ、違います。とある場所で酸素ボンベを拾得しまして。誰が使っていたものかを調べにいったんですよ」
<「……それで……誰かは分かったの?」>
「いえ。残念ながら」
<「……そう……」>
「?シーモア先輩?」

 電話口で明るく話していたネイサンの声音が徐々に強張ってきた。そしてついには黙ってしまう。何かあったのか?とじっと待つとようやく声をかけてくれた。

<「その病院って……総合病院かしら?」>
「えぇ、そうですけど……」
<「そこにね……ルイがいたらしいの」>
「……また……ルイ・ラグランジュ……」

 偶然と呼ぶには重なり過ぎる事態に背筋がぶるりと震える。

<「……ひとまず合流してから情報交換と行きましょう」>
「………はい」

 * * * * *

「…………何やってんだ?」

 虎徹の部屋に入ると先客がいた。時間からしてまだ集合には早いのだが、落ち着かなかったのか、それとも心配でならなかったのか。ただ、普通に『居た』わけではなく、何故か床に這いつくばっていて気づかずに踏んでしまうところだったのだ。

「……いえ……ちょっと……」

 具合でも悪くなったとか?とアントニオが担ぎ上げようとしたが、平たくなっている体がソファの下へと腕を必死に伸ばしていることに気づいてやめておいた。淡い金髪を床に擦り付けて睨みつけるようにしている表情から、先客であるイワンが何かを掴もうとしている事が分かった。

「……持ち上げましょうか?」

 静観する事数分。届きそうで届かないのだろう、足が床を何度も蹴り、呻き声まで聞こえてきた。その必死過ぎる背中にバーナビーが提案を持ちかけると、ぱぁっと輝いた瞳が上げられる。アントニオに目配せをすると両端をそれぞれに持ち、軽々と上げてしまった。

「か、かたじけないっ!」

 やっと取る事が出来た!と感激に顔を綻ばせるイワンにバーナビーとアントニオも笑みが浮かんでくる。しかし、その光景を静観したままだったネイサンは小さく首を傾げ……

「別の方向から手を伸ばせば届いたんじゃない?」
「「「!!」」」

 衝撃の一言を放ったのだった。


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