昼間、バーナビーとの会話で中断していた考え事を頭の隅から引っ張り出してきた。考えれば考えるほど違和感が強くなってくる。

「(…川辺で見た時…)」

 何か見落としはないか…何か違う点はないか…それらを探しながら虎徹は頭の中に何度も再生する。その度に胃が捩れそうな気分になるのだが…弱音を言っていられない。

「…(何か…何…か…)」

 ふと視線をテーブルの上へと落とす。今日もまた仲間の皆で相談して丹精込めて作り上げてくれた温かい料理が用意されていた。キッチンで料理を温めなおす間、ソファに座って待ち続けているのだが…

 違和感に気付いた。

 どうして今まで気付かなかったのだろう?…と思うくらい…気付いてしまえば限りなく湧き上がる感覚に虎徹は顎髭を撫でる。ちらりと見つめる先は隣にちょこんと腰かけたアーチェの姿。しばしその小さい少女を目に映して視線を移動させるとローテーブルに置かれた食事…スプーン、皿、コップ…

 すべてが一人分。

 今までずっと…一人分だったことに何故不思議だと思わなかったのか…見つめている間にも、少女はうつらうつらと船をこぎ、眠りに落ちていく。ずりずりと背凭れを横に滑り落ちる体をそっと受け止めた…

 すると…その顔が…姿がぶれ始める。

「!?」

 蜃気楼のようにゆらりと揺れ動き…少女とは別の形が重なっては消えて…と繰り返していた。

「おい、虎徹?」
「…うん?」
「とりあえず先にサラダを渡しておく」
「おぅ、さんきゅ」

 ソファ越しに渡される器を受け取りながら視界の端にアーチェを捉えていると、揺らいでいた姿がはっきりと浮き出る。そのまましばらく見つめていると、再び揺らぎだした。
 ちらり…と肩越しに振り返るとシンクに戻ったアントニオが鼻歌を歌いながら鍋の中を掻き回している。

「・・・」

 しばらく考えこんだ虎徹はそっとアーチェを抱き上げると徐に立ち上がった。

「ん?おい?もうすぐ出来るってのにどこ行くんだ?」
「便所だよ、便所。生理現象ぐらい好きにさせろよ」
「あぁ…そうだな…気を付けていけよ?」
「あのな…俺はまだじいさんなんて呼ばれる歳じゃねぇの。要介護な体でもねぇし…」
「悪かった。ま、ある種病人なんだし…手取り足取り手伝ってもいいけどな?」
「謹んでご遠慮申し上げます。」
「そりゃ残念だ」

 そんな遣り取りを軽く交わしつつリビングを後にする。今しがた立てた予想が当たっているのか…それとも見当違いなのか…ひとまず確かめてみなくては…と、思わず走りだしそうになる足をどうにか落ち着けて不自然ではないように洗面台を目指した。
 真っ暗な廊下ではあるが…勝手知ったる自宅の中…手探りで電気のスイッチを探していたのだが…その手が、ぎくり、と強張った。淡く輝く青いオーラ…間違いなくそれは…NEXT能力が発動されている瞬間の色。

「(…なに…?)」

 途端に霞む視界と襲い来る倦怠感…いや、倦怠感というには強烈過ぎて…真っ直ぐに立っている感覚すらなくなっていく。ふらつく足で思わず入り口に寄り掛かると…目の前にある洗面台の鏡が見えた。

「!?」

 暗闇の中にぼんやりと光る己の姿…鏡に映り込んだ『自分』の口が緩やかに動き…言葉を紡ぐ。

 − た す け て

 辛うじて読み取れたその言葉を最後に『虎徹』の意識がぷつりと途切れる…

 * * * * *

「おっせぇなぁ…」

 一人ソファに腰掛けたアントニオはなかなか戻って来ない虎徹の事が気になり始めた。いくら便所とはいえ、あまりに長過ぎないだろうか?普通長くても5分程度だろう…それ以上にこの静けさが気に掛かる。
 ソファにどっかり座っていたのだが、どうにも落ち着かずそわそわと巨体を揺らしてしまう。ちらちらと何度も壁掛け時計を見上げていたが…意を決して腰を上げた。

「おい、虎徹?」

 リビングから廊下を覗くと真っ暗な闇が広がっている。ぞっ…と背筋が震えた…

「…虎徹…?」

 真っ暗闇の廊下…本来ならばトイレの小さな小窓に明かりが灯っているはずなのだが…あたりは一面の闇色…廊下の電気を手探りで点けると、恐る恐るトイレのドアを開いた。

「…ッ…」

 誰もいない空間…この部屋の主であるはずの人物が忽然と姿を消している。玄関のドアが開く音はしていない…ならばどこへ?…周りをぐるりと見渡すと洗面台の隣…風呂のドアが開いていることに気付いた。慌てて電気をつけながら中へと飛び込むも…そこにも誰もいない…ただ、長細い窓が全開にされている。

「…まさか…?」

 信じられない…といわんばかりに窓へ近付くと大きさを確かめる…ぎりぎりではあるが…虎徹なら体をすり抜けさせるかもしれない。頭を突っ込んで外の様子を見るも…やはり何もなかった。
 風呂場のタイルに力なく座り込んだアントニオはぐるぐると頭の中を回転させる。どうしたらいいのか…延々と続く思考に、終止符を打ったのは手首に巻かれているPDAだった。

「!」
<「ボンジュール、ヒーロー。例のターゲットが久々に現れたわ。現場へ急行してちょうだい」>
「…了解…」

 なんとか返事を返すと…アントニオはPDAの呼び出しが未だに鳴り続けている事に気付いた。音源を捜して周りを見渡すと、洗面台の方から聞こえる…そろり…とまるで小動物に近づく様に足音を忍ばせて近付いてみると…

「…これは…」

 すぐ脇に置かれていたゴミ箱の中からだった。淡く『CALL』の文字を明滅させるPDAを取り上げると…鮮やかなグリーンのラインが目につく…

「…嘘だろ…?」

 それは虎徹のPDAで間違いないのだが…これがここにぽつりと残されていることにアントニオは全身の血の気を引かせた。  『あの』虎徹がPDAを外していたことはもとより…

 現在の虎徹の場所が分からなくなってしまったのだ。

 それは絶望としかいいようがない。虎徹以外のヒーローで話合っていた時は、違うだろう、と言っていた夢遊病…バーナビーの報告で今日の虎徹の様子を聞かされたアントニオは…あの時は否定したが、そうかもしれない…という意見を彼から聞いていた。もし夢遊病だった場合、出来るだけ早く確保して安静にさせなくてはならない。最近、よく倒れがちで、バーナビーからも体温が急下降したりしていると聞いている分、今こうしている間にもふらふらとどこかを彷徨い怪我でもしていたら…と思うと気が気でない。
 虎徹がどこにいるのか探す為の命綱であるPDAが残されている事によって無事に確保できるかどうかも分からなくなってしまった。

「………(どちらにせよ)…行くか…」

 胃の軋むような思いを抱え、アントニオは目的地へと向かった。

 * * * * *

 目の前を流れゆくシュテルンビルドの街並み…中心街から逸れてビルの谷間を飛び交い、繁華街やファッション通りを通り過ぎて行った。
 上へ下へと自在に動く様はまるでスカイハイの飛行のように思うが…
 生憎と『虎徹』には強靭な脚力によるジャンプはあっても飛び回る能力は持ち合わせていない。

「(…この先は…工業地区…)」

 次々と過ぎていく景色に自分がどこを飛んでいるかを把握していく。とはいえ、自ら動いているわけではなく…『勝手に動く体を中から見ている』…そんな状況だった。

「(…っ!)」

 『体』が向かう先を思い描いていると…目の前を電撃が迸る。それを危なげなく避ければ今度は赤い炎が飛んで来た。それすらも避けてしまえば、近くのビルの屋上へと飛び乗り、再び移動し始める。

「(…集まりだしてんだな…)」

 飛び交う炎と電撃を避けるほんの一瞬に周りを確かめ見慣れたシルエットに苦笑を浮かべる。
 『飛んでいる』虎徹を追いかけるように地上では赤いスポーツカーを運転するファイヤーエンブレムと、その後部座席に立つドラゴンキッドが見える。更に、その少し後ろでは青いバイクに跨ったブルーローズと空を飛ぶスカイハイの姿も見えた。ほんの少しだけ横に移動して上を見れば、闇に紛れてビルからビルへと軽々移動する折紙サイクロンの姿も確認出来る。
 あと確認出来ていないのはバーナビーとロックバイソンだが…進行方向のずっと先の道に、一台止められたバイクが確認できた…

「(…先回りしてたんだな…)」

 さっすが頭能派…と笑みを溢していれば、『体』が交差点の中心に下り立った。すると横の道から一台のトレーラーが突っ込んでくる。その屋根に乗るシルエットに…ロックバイソンが来たのだと分かった。

「(…全員集合か…)」

 この所…度々見る様になった『悪夢』…
 己の存在に気付いてもらえずに一方的な攻撃を仕掛けられる『夢』。

「(…これも…現実…)」

 精神的ダメージの大きい事実ではあるが…受け止めるしかない。そして分析しなくてはならない…

 何故『この状況』になるのか…
 何故…『この子』が気づかれないのか…

 何一つとして…見落としてはいけない…

 体中に緊張が駆け巡る中、トレーラーに気を取られているといつの間にかバーナビーが迫り来ていた。『体』は当にその存在に対応をしており、いつもの『夢』のようにうねる影が攻撃を防いでいる。その隙にもトレーラーは間近にまで迫っており突撃しそうだった。

『…跳ね飛ばすつもり?』
「いいえ。容易く避けられるだろうという予想のもとです」
『そうね…』

 互いに取っ組み合い、打撃を交わしながら涼しげに会話をしてみせる。二人のすぐ傍まで迫ったトレーラーは止まる気配はみじんもなく…けれど、一気に膨れ上がった影によってバーナビーが離れ、『体』も同じようにその場から飛び上がった。

「おりゃあ!!!」

 トレーラーを飛び越えるように飛び上がった『体』に屋根へ乗っていたロックバイソンが腕を伸ばしてくる。捕まえるつもりのようだが、軽やかに飛び乗った『体』は彼の腕を飛び越えて疾走するトレーラーの上から降りてしまった。そしてそのまま再び街中を移動していってしまう。

「…やはり…無理だったか…」
「ちょっと!バイソン!」

 絶好のタイミングだったはずが…あっさり逃げられてしまい、がっくりと項垂れてしまうロックバイソンにファイヤーエンブレムの呼び声が掛かる。

「さっさと下りて乗りなさいな!追跡してるハンサムを見失っちゃうわ!」

 声につられて見下ろせば、スカイハイと一緒に飛び立とうとしているドラゴンキッドと、車を停車させたファイヤーエンブレムがいる。さらにその脇を青いバイクのブルーローズが通り過ぎて行った。

「まったく…巨体を乗せる分速度が落ちるんだから…さっさとしてよね」
「すまん…」

 屋根の上から梯子で下りていくとわたわたと走って車へと乗り込む。その間にも他のメンバーはすでに見えなくなっており、ファイヤーエンブレムもアクセルを思い切り踏み込んで後を追いかけた。ちらりと上を見上げれば、折紙サイクロンが進路を指さしており、迷う事はないと分かる。

「それで?タイガーちゃんはちゃんと良い子にしてるんでしょうね?」
「…あー…残念ながら」
「まさか…またいなくなっちゃったの?」
「あぁ、しかも携帯はテーブルの上に置いたまま…
 最悪な事にPDAが取り外されていた」
「なんだと!?」
「お、おい!ちゃんと前見ろよ!」

 あまりに驚いたのだろう、思わず振り返ってきた彼にロックバイソンは慌てふためく。しかし、振り向いたのは一瞬であってすぐにいつもの運転へと戻ったファイヤーエンブレムは…表面で平静を装っていても、動揺は大きいらしく…片手ハンドルをしながらもう片方の手の指を噛んでいる。

「…まったく…居場所が分からないってことじゃない」
「あぁ…あいつがPDAを外すなんてありえないと思ってたからな…」
「えぇ…そうよ…誰よりもヒーローであり続けているあの子に限って…って…」

 PDAはヒーローの証とも言える代物…それを虎徹が外すはずはないと思っているのは…この二人だけではないはずだ…

「………思うんだが…」
「何よ?」
「…あいつ…誰かに連れ去られたんじゃないか?」
「………はぁ?」
「いや…ほら、PDAをあいつが自分で外すわけないし…
 この所体調不良を起こしてるから抵抗も出来ないかもしれん
 夢遊病じゃないんじゃないか?」
「…まぁ…そうね…『その点』を考えればあり得ないこともないわ…」
「だろ?」
「で・も。連れ去っておいてわざわざ戻すかしら?」
「…あ〜…そうだな…」

 今夜の失踪については『攫われた』というのもあり得るかもしれない。が…折紙サイクロン…もとい、イワンがついていた時は、朝方に戻ってきていたのだ。今回はわざわざPDAが外されていたのだ…人攫いだとすれば戻ってくる可能性は極めて低い。

「…今夜も同じかは分からないけど…その線も考えておきましょうか」
「その線?」
「ちょっとテディベアを調べてたら気になることがあってね?」
「おぅ。購入者が分かったのか?」
「えぇ。経営者が優しい人でね…リストをもらったのだけど…」
「…何かあったか?」
「リストの中に…彼の名前があったのよ」
「彼?」
「ルイ・ラグランジュよ」
「…嘘だろ…」

 何の偶然だろうか?…プログラムの開発者であるルイ・ラグランジュ…何らかの理由で虎徹の記憶に混ざっているかもしれないと踏んでいる人物だ。

「購入時期はだいたい30年弱前。スタイルが定番のものと毛質が違うくらいでウリがなかったらしく、長い間売れ残ってたそうよ」
「…ルイが亡くなったらしい時期と似通っているな…」
「…えぇ…そうね…」
「…まるですべてがルイに繋がるようだな…」
「ホント…どういう事かしらね…」
「彼について調べてみるか…」
「何かのNEXTの能力者ならばタイガーちゃんの異変にも関与出来る可能性があるものね」
「まずは…彼の足取りだな…」
「亡くなったにせよ…失踪したにせよ…調べてみましょうか…」

 スピードを上げに上げた結果、ブルーローズとスカイハイの後ろ姿が見える所にまで迫って来た。
 調べる事も、情報集めも山積みになったにしても…まずは目の前のターゲットを確保する事を優先しなくてはならない。虎徹の事も心配ではあるが…一つずつ処理をしよう、と二人は現状へと集中していくのだった。


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