5:Heroes sings the Lullaby


「…ごめんな?」
「………」

 こっそりと囁く言葉はキッチンに立っているバーナビーには聞こえない。それをいい事に虎徹は膝の上に乗せたアーチェを見下ろして語りかける。すると彼女はこてん、と首を傾げた。

「俺が最近体調悪いの心配して付き添ってくれてるんだ。自由に動き回れなくてごめんな?」
「…!…」

 申し訳ないと思っている事を率直に伝えると慌てて首を振ってくれた。こんな小さな子に気を遣ってもらっているとは…己が酷く情けない。くしゃり…と苦笑を浮かべるとチャイムが鳴り響いた。こんな時間に誰だろう?と首を傾げながら腰を浮かせると…

「おじさんは大人しく座っててください。」
「…へ〜い…」

 バーナビーの声がぴしゃりと言い放ってきた。ついでに突き刺さる視線が投げかけられてすごすごとソファへ座りなおす。
 …バニーちゃんてばキツイ…と小言を漏らすと目の前のローテーブルに置かれたスープのスプーンを取り上げて一口飲み込む。それはアントニオが用意してくれたテールのスープ…になるはずだったが…

−「胃が弱ってる時に脂っこいものはダメ!」

 と、仁王立ちで怒り出したカリーナによって魚介のスープになっている。わざわざみんなで寄って集って…魔女の薬を作るかの如く大鍋を覗き込みながら必死に作ってくれたものだ。味もさることながら気遣いをたっぷりと盛り込まれたスープは体の中から…ほわり…と温かく広がって虎徹の顔を弛ませている。
 その横に盛り付けられたサラダからプチトマトを取り上げるとアーチェの口元へと運んだ。すると一瞬躊躇しながらもぱくりと食べてくれる。

「…お邪魔します…」
「んー?おぉ、イワンじゃねぇか」

 ぽつり…と聞こえた声に振り返るとリビングの入り口にイワンが立っていた。手には紙袋を携えているので何やら買い物をしてきたようだ。

「それじゃあ後は頼みます。」
「はい、任せてください」
「へ?バニーちゃんは帰るのか?」
「えぇ。マーベリックさんから呼び出しがあったので」
「…今から?」
「そうですよ。マーベリックさんも多忙な人ですから。」
「…あぁ…ね?」

 ちらりと見上げた壁の時計はそろそろ良い子のお休みタイムだ。その証拠に膝の上に座るアーチェが船をこぎ始めている。
 ヒーロー全員で作ってくれたスープを運んでくれた時にはもうすでに夕食の準備をするような時間だった。カリーナとホァンは門限があるからネイサンが送っていった。キースは飼い犬の世話に帰宅するといい、アントニオは会社に報告書が残っているといっていた。
 …とはいえ…虎徹を一人にするつもりはないらしく、今もバーナビーが外すが、代わりにイワンが来た。どうやら徹底的に誰かが付いてくれるらしい。

「気ぃつけてな?」
「…分かってますよ」

 てっきり…余計なお世話ですよ…と返ってくると思った言葉は予想を外れており、思わずぱちくりと瞬いてしまった。

「それでは、また明日。」
「お、おう。」

 颯爽と歩いていくその後ろ姿に条件反射のような手を振り挨拶をしてしまう。そんな虎徹に笑みを浮かべた彼はリビングから出て行ってしまった。

「…なんか…バニーちゃんの機嫌がいい?」
「…そうですね」

 首を捻る虎徹にイワンは小さく笑いを溢している。そんな彼の顔を見上げて不思議でならないという視線を向けるとイワンも微笑ましい笑みを象っていた。

「…タイガーさんの癖ですか?」
「へ?」
「一緒に手を振るの」

 そっと指差す先へと視線を落としてみると、膝の上に乗せたアーチェの腕を取って手を振っていたらしい。よく楓が小さい頃にお風呂へ行く時や買い物から帰ってきた時に妻へ対してこんなことをよくしていた。それというのも、小さな紅葉手は愛らしいので相手の笑顔を誘う。どうやらそれはバーナビーも例外ではなかったらしく…無意識だったとはいえ、滅多に見れない笑顔を見れた事に虎徹も笑みを溢した。

「タイガーさん、日本茶が手に入ったのでご一緒にどうですか?」
「お?煎茶か?玄米茶か?」
「…え…っと??」
「あぁ…書いてなかったのか…うん、淹れてくれるか?」
「合点承知!」
「はは。よろしくぅ〜」

 ガッツポーズを決めたイワンはさっそくキッチンへと向かう。そこにはつい先ほどまでバーナビーが用意していたポットなどが乗っていた。コーヒーとラベンダーのハーブティーからどうやらバーナビー自身がコーヒーを飲み徹夜をするつもりだったようだ。そしてハーブティーは虎徹をリラックスさせて悪夢から救い上げる為。同じ事を考えていたんだなぁ…と苦笑を浮かべたイワンはそれらを簡単に脇へとどけると抱えていた紙袋を乗せた。

「タイガーさん、湯のみはどこですか?」

 ヘタにあちらこちら開け回るのは失礼だろう、とコンロの上のケトルを掴みながら尋ねてみた。けれどもいくら待っても返事が返って来ない。眠ったとか?と後ろを振り返ると、ソファの背凭れから覗き見えるスープの皿にイワンは背筋を震えさせた。
 変に早まる鼓動を服の上から押さえ込む。

 …大丈夫…寝転んでいるだけ…

 そう自分に言い聞かせてそろり…と近づくが…ソファの上には何もなかった。

「ッ!!!」

 ざわり…と全身に言いようのない震えが走る。誰かに連絡…と思ったが…実を言うと今みんなは銀行強盗犯の確保に向かっているのだ。本来なら自分も行くべきではあるが、虎徹の付き添いとして戦闘に一番向いていない折紙サイクロンが残る…と打ち合わせをしてあった。
 掴み取った携帯をポケットに突っ込み慌てて玄関を振り返る。まだそこにいるかもしれない、とエントランスまで駆け寄るが、鍵は閉まったまま…恐る恐るすぐ横の扉を見遣る…バスルームもトイレも…電気は点いていない…けれど…と藁にも縋る気持ちでドアを開いてみるが…やはり誰もいなかった。
 もう一度リビングへと戻ると…どこからともなくひんやりとした風が流れ込んできている。間違いなく外気であるその風に窓を見上げた。…閉まっている…けれど確かに吹く風…ぐるり…と見渡せばロフトの方から流れ込んでいることに気付いた。階段を駆け上がるとベッドの横の大きな窓が開いている。駆け寄って身を乗り出すとかなりの高さがある…思わず真下を覗き込むけれど人一人、歩いていない。
 彼は…どんなに弱っていても…『ワイルドタイガー』だ…強靭な脚力でどこかへ飛び移ることも可能かもしれない。そう思って見渡せる限り周りの建物を見るがやはり誰も見当たらなかった。

「…くっ!」

 唇を噛み締めてイワンは部屋から飛び出した。周りを見渡せる場所…と一度屋上へ駆け上がる。するとフェンスの上に立つ人影があった。

「……あ…」

 虎徹だろうか…とそろりと近づくとばさりと音を立てて黒い布が広がった。見覚えのあるシルエット…それは間違いなくこの前から度々対峙している正体不明のターゲットだ。いつもフードを目深に被っているのに、今夜は被っておらず…背中へと垂れたままだ。

「…っ……」

 顔を見れるチャンス…そう思ってゆっくりと…気配を消してそろりそろり…と近づくと…あともう2・3歩のところで振り返った。

「ッ!」

 その顔を見て思わず息を飲み込んでしまった。
 風をはらんで大きく揺れ動いたのはコートの裾だけではなく…身長を越すのではないかと思うほどの長い…長い黒髪…隙間から見え隠れするのは青く光る瞳と…白い頬を流れる涙…儚げに歪められた顔はこちらの胸までも痛みを訴えてくる。面長な女性の輪郭はまるで絶食をつづけていたのか、と思うほどに痩せこけていて…そこに立っているのが不思議なほどだった。

「…どう…したんですか…?」

 その言葉が出てきたのは無意識だった。ヒーローとしての本能とでもいうのだろうか…何か助けになりたいと願う心がそのまま言葉になったのだ。すると彼女はわずかに首を傾げたようだ。さらりと音を立てて肩から髪が流れ落ちる。

「何か…あったんですか?」

 返されない言葉に焦りを滲ませながら根気強く尋ねると、彼女は信じられないほど軽やかにフェンスから飛び降りると足音もなく近付いてきた。ずいっと近づけられた顔に思わず構えそうになったが、いつものように飛び交う影もなく、殺気も感じられなかったので棒立ち状態になってしまう。

『…赤じゃないわね…』

 唇が触れそうなほど間近に迫った顔がゆるりと離れていく。ぽつりと溢された言葉は初めて聞くものだ。思わず目を瞠ってしまう。鼻腔を擽る甘い香りに離れる体を見上げた。

「…あ…の…っ…」
『……赤目の男を探しているの…』
「…赤…目…」
『血のような赤い目をした男…私の娘を…連れて行った…』
「……………ッ!?」

 低く唸るような声の調子になったと共に腕に抱えた何かに頬擦りをする。その顔を見上げていると…黒いコートの隙間から人の腕が現れた。だらり…と力なく…血の気のない腕…誰かを抱えているとか…と予想していると、彼女の顔のすぐ横にぼやりと輝く瞳がこちら見つめていた。思わず、口からでかかった悲鳴を慌てて手で押さえつける。硬質な音を立てて歩み始めた彼女の周りではまるでその怒りに呼応するようにコートがざわざわと騒ぎ立てていた。

『見つけたら…八つ裂きにしてやる…』

 ふわりと広がる裾に…はっ…とした時にはもう遅かった…大きく風を孕んだコートが翻ると彼女はフェンスを軽々と越えて空中へと身を踊り出す。後を追うようにフェンスに縋りつくと、空中を舞う黒いコートはその身を伸ばして近くのビルへと飛び移ってしまった。

「……ぁ…!追わなきゃ!」

 さらに走り出す彼女にイワンは顔を上げる。虎徹も探さなくては…どちらも片手間に出来ないが…忽然といなくなった虎徹を探すには今目の前に姿が捉えられる人物を追う方が合理的だろう。持ち前の俊敏さと脚力を生かして、ビルからビルへと飛び移るその背中を追いかけた。

*****

「遅くなりました」
「あぁ、ご苦労さん」
「どうなりましたか?」

 バーナビーが現場に到着したのは他のヒーロー達が到着して10分ほど経過した頃だった。銀行強盗が夜闇に紛れて金庫から盗み出そうとしたが、高度のセキュリティシステムによって通報が入ってしまい、中に立てこもっている…とのことだ。少し離れた場所に待機しているロックバイソンにその後の進展が何かあるのか…と尋ねてみれば肩を竦められる。

「以前としてこう着状態だな。」
「…そうですか…」
「中にネズミが籠るくらいなら金庫を壊していいって連絡が来たんだが…」
「壊せてないんですか?」
「金庫が賢過ぎるのよねぇ」

 声に振り向けば煤だらけになってしまったヒーロースーツを叩いているファイヤーエンブレムとドラゴンキッド、ブルーローズがいる。そんな三人に首を傾げると憮然とした表情のブルーローズがお手上げ、というポーズをした。

「あれ、中に立て篭もってるんじゃなくて…閉じ込められちゃってるのよ」
「?どういうことだ?」
「防衛セキュリティってやつかな?中のお金を外にださないように金庫自体が入口を閉めちゃってるんだ。その上外からこじ開けようにも外敵駆除のプログラムが作動してて、逆にボク達が攻撃受けてるの。しかも落雷とかにも対応出来るようにしてあるとかって…」
「…なるほど…優秀過ぎるが故の暴走というやつですか…」
「今、キングが抜け道がないか探ってるわ。
 どうする?ハンサム。蹴り破れるか、試してみる?」

 ファイヤーエンブレムに聞かれてバーナビーは考え込んだ。先輩のヒーロー3人がかりでこのザマだ。果たして自分1人向かったところでどうにかなるのやら…

「プログラムの開発者は?」
「いないんですって」
「いない?」
「亡くなってしまったらしくってね」
「そう…ですか…」
「ただ…驚きなのが…このプログラム…30年近くも前に作ったらしいのよ」
「「「えぇ!?」」」
「そんな…昔に?」
「そ。そんなに昔の代物。それがこんなに働けるなんて…とんだ誤算よね?」

 困ったものだわ…と茶化して言うが…とんでもないプログラムだ…と感心しているのが伝わってくる。なにせ…当時よりも今の方が大きく進化しているはずだ…なのに…そのプログラム相手に現代を生きている自分達が太刀打ちできないとは…

「みんな!」

 空から降りてきた声に見上げてみるとスカイハイが降りてきた。彼もまた煤だらけになっている所から攻撃を受けていたようだ。

「どうだった?」
「だめだ。空気口もあるのだが、そこから入ろうにもプログラムが自己防衛システムを発揮させてバリアを展開させてしまう」
「じゃあ…お手上げってやつね…」
<「みんな、聞こえる?」>
「はぁい。どうしたの?アニエス」

 一同の中に重いため息が吐き出される中、イヤフォンからアニエスの声が聞こえてきた。各々が通信に耳を傾ける。

<「銀行側からプログラムのコピーを預かったわ。それの解読をするから…みんなは何かあった時の為にそこで待機してくれるかしら」>
「あら…野宿になりそうね…」
<「番組からトラックを向かわせるから。野宿にはならないわよ」>
「せっかく出動したのにいいとこなしだねぇ…」
<「今回ばかりは仕方ないわ…でもこの機会に乗じて犯行に及ぶ輩がいるかもしれないから…  一応気を張っておいて」>
「了解。」
「それじゃみんな…待機しに行きましょうか」
「はーい。」


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