「…もういいですか?」
「え?あぁ、そうね」
「うん!満足!」
「では失礼します」

 これで晴れて解放…と言わんばかりにバーナビーはさっさと出口を目指して歩きだした。すると虎徹が首を傾げて付いてくる。

「ん?バニーちゃん、どっか行くの?」
「本社に戻って伊藤さんに会います。検査してもらえば何かしら原因が分かるかもしれない」
「あ、じゃ、俺も行く」
「…は?」
「だって今のバニーちゃん超が付く美女っぷりだからさ。変な奴らに絡まれるかもしれないっしょ?」
「………ないと思いますけど」
「ないと思っててあるのが現実ってやつなの」
「…はぁ…」

 突然女になった先輩の意見もお聞きなさいって…などと言いながら慌てて更衣室へ駆け込んでいった。その姿を見送りつつ、今の内に行ってしまってもいいのだが、あとあと面倒な気がしてしかたなくベンチに座り待つ事にする。

「ね。元ハンサム」
「…その…『元』って止めてくれませんか?」
「あら。だって今の貴女は『ハンサム』って感じじゃないもの」
「〜〜〜…いいですよ、もう…そのままで……それで?何ですか?」
「うん、そうそう。もしかして今から歩いて本社目指すのかしら?」
「えぇ。バイクだと筋力がどれほど落ちているか分からないので危険だと思い…
 車はもし免許の提示を求められた時に面倒だと思ったので…徒歩で来ました」
「…うん…やっぱり。」
「?何か?」
「これもつけましょうか」
「?…なんですか?これ…」

 にこにことした笑みのネイサンが差し出したのは薄い箱の入った紙袋だった。袋の表面にロゴなどが入ってはいるものの…これまでの生活圏内になかった代物のようで(…スポーツブラもそうだが…)何なのかがさっぱり分からない。

「あんたは普段から大々的にお披露目してるんだからこのくらいの小道具くらい使わないとね?」
「………かつら?」
「バンスっていうのよ、それ」
「…バンスですか…」

 恐る恐る開けた箱の中には…毛束…とでもいおうか…バーナビーの髪色と同じ金髪の塊が入っている。どこをどう掴めばいいのかも分からずに首を傾げていると、覗きこんできたカリーナがガールズファッション情報を与えてくれた。

「わぁ…ふわふわのくるくる…」
「キッドちゃんも付けてみたい?」
「え!?い、いいよ!ボクには似合わないし!」
「そんな事ないのにぃ…」
「ま、付けるにしても今度にしましょ。これはキッドちゃんの髪の色に合わないわ」
「そうねぇ…よし、櫛とゴム貸して」

 バンスがいかなるものか…装着の仕方も含めて教えてもらったはいいが…髪を高い位置で一纏めにする…というのが上手くいかない。もう下の方でいいか…と半ば諦め気味だったバーナビーの手から2つを取り上げると…カリーナはいとも簡単に括り上げてしまった。思わず感嘆の息がもれる。

「どこかひっぱり過ぎて痛いとことかない?」
「えぇ、どこも…」
「はい、それじゃ…あとはこれを挟んで終・わ・り」
「!」

 丁寧に纏め上げた部分にバンスを取り付けられた途端、ぐっと頭が後ろに引かれる感覚があった。僅かに上がった顎を引いてみると、頭が重たく感じる。

「…重い…」
「ま、そうでしょうね」
「髪の重さって結構あるもんねぇ…」
「慣れないと頭痛とか引き起こすから。疲れてきたって思ったら外しなさいね」
「わ…分かりました…」

 さらっと添えるような注意に…女性のおしゃれというのは体力勝負なんだな…と感心してしまった。そうこうしている内に、着替えてきたらしい虎徹が戻ってくる。

「うぉ!?バニーちゃんの髪が伸びてる!」
「バンスよ、バンス。いわゆる付け毛ってやつ」
「あ、やっぱり?」
「…すぐに分かるでしょう?」
「いやぁ…だって戻ってきたらバニーちゃんの可愛さが割り増しになって驚いたっつか」
「………」
「………」
「………」
「………」
「あれ?どした??」
「タイガーちゃんてば罪作りが上手よね」
「は?」
「天然タラシってこういう人なんだね」
「え?」
「無自覚な上に無意識なのが性質悪いのよね」
「何がだ?」
「・・・・・」
「っておいバニーちゃん?!」

 首を傾げに傾げ過ぎている虎徹を放置してバーナビーはさっさとフロアから出て行ってしまう。その後を慌てて追いかける虎徹の姿を見送って女子組三人はため息を吐き出していた。

 * * * * *

「ちょ…待ってよ、ばぁにぃ〜」

 ジャスティスタワーから出て歩道をつかつかと歩くバーナビーを懸命に追いかける虎徹だが…その歩行速度がやけに早くて付かず離れずの距離を保つ事で精一杯だ。

「・・・」
「ねぇってば…ねぇ?」
「・・・」
「何か怒ってるの?」
「・・・」

 いつもの如く…懲りる事なく話しかけるも悉く黙殺されている。それでも言葉を交わさなければ分からないものは分からない…と虎徹も喰らい下がっている。必死な虎徹の数歩前…バーナビーはなかなか治まらない頬の熱さと戦っていた。きっと今振り向けば顔が赤い事に更に突っ込んで聞かれるだろうし…そんな恥ずかしい顔を晒すのもまっぴらごめんだった。

「ね、お姉さん?」
「は?」
「!」

 そんな静かな攻防戦を繰り広げること数分…繁華街に近く賑やかな場所に差し掛かったところで声をかけられた。ついでに言うと、肩を掴まれてやむなく止まるしかなくなっている。

「…えと…」
「俺さ、この街に来たばっかなんだ」
「…う、ん…?」
「だからどの辺に何のお店あるとかって分からなくって…迷っちゃったんだよねぇ」
「た…大変…だな…?」
「でさ、連れて行ってほしいなぁ…なんて」
「え??」
「お願ぁい…優しいお姉さぁん…ボクを助けてぇ」
「え?えぇ??」

 肩を掴んでいた手はいつの間にか虎徹の両手を包み込んで懇願のポーズになっている。
 染め抜かれた髪…軽装なことこの上ない格好…その上卑下た笑み…

 どこからどう見てもナンパ。

 けれど、ついこの前まで男で自分がいかに男の目を惹くか理解していない虎徹の目には単なる『困った人』にしか映らないだろう。その証拠に虎徹自身も困った表情になっている。そんな猿芝居を少し離れた位置で立ち止まって静観していたバーナビーだが…もう一押し、とよからぬ事を考え抜いた男の表情にすぐさま行動を起こした。

「っだ!?」
「え?」
「・・・」
「はれ?ばに?」
「え…っと…?」

 男に捕まれた虎徹の両手を奪還するとそのまま引き寄せて腕の中に抱き込んだ。すると何が起こったのか分かっていない虎徹と、誰だろう?と首を捻ると鬼の形相をした『美女』に気圧されてしまう。

「あ…あの…??」
「あたしの女に手ぇ出してんじゃないよ」
「…ぅえ???」

 開口一番…一言だけ吐き捨てると虎徹の手を掴んだまま歩き出した。その2人の後ろ姿に呆気を取られていた男はそのまま立ち尽くすばかりだ…


「ちょっちょっちょっ!?」
「ごちゃごちゃ言わずしっかり歩いてください」
「いや…歩けって言われても…今日の靴、ヒールが細くてっ」

 言われてちらりと足元を見てみると…確かにいつものペタンコな靴ではなく、高さがあるようだ。さほど高いわけではないようだが…ヒールが細いとバランスが取れにくいらしく早くは歩けないらしい。
 仕方なく少しだけ速度を弛めるとようやくちゃんと歩けるようになった。さきほどまでの危なげな足取りではなくなる。

「ば…ばにぃちゃん…」
「何ですか?」

 ようやく静かになった…と思えばすぐに呼びかけられる。顔の赤さはもう引いてはいるだろうけれど…少々気まずい。そんな理由から前だけを真っ直ぐに見つめて歩き続けた。

「…あ…『あたしの』…って…」
「今の姿から一番相応しい一人称を使ったまでです」
「あ…うん…そう…なんだけど…」
「けど、何ですか?」

 やけに言い淀みを繰り返す虎徹を肩越しにちらりと振り返れば、目が合った瞬間頬を真っ赤に染めて顔を背けてしまった。その反応にバーナビーは思わず足を止めてしまう。するとごく自然に互いの体がぶつかりそうなほど近くで立ち尽くした。

「…おばさん?」
「…だから…あの…」
「何です?」
「…バニーちゃんがさ…」
「はい?」
「…『あたしの女』って言うから…恥ずかしくて…」

 本当に恥ずかしいらしく、頬の赤さもさることながら…瞳に涙が滲み始めている。しかもうるうるした瞳で上目遣いに見つめてくるものだから溜まったものじゃない。

 …『壊し屋』恐るべし…

 頭の片隅で…ぷつり…と何かの切れる音を聞きながらそんな言葉を思い浮かべると、再び歩き出した。

「え!?何!今度は何なの!ばにぃちゃ…」

 突然路地裏へと引き込まれるとこれまた有無も言わせぬ勢いでどんどんと歩いていく。表通りから入ってしばらくして再び曲がると急に立ち止まり、引き込まれた勢いでよろよろとしている体を壁に押し付けられた。
 落ちそうだったハンチングを両手で握り締めて見上げると…今にも泣きそうな…けれど射竦めるような目力をしたバーナビーの顔が…かなり近くにある。

「…虎徹さん…」
「……ふぁい…?」
「……キスしていいですか…?」

 あまりの鬼気迫る雰囲気に声が裏返りかけている。どうにか返事をすると、思いがけない問いかけをされてしまった。

「………」
「・・・」
「………」
「・・・っ!?」

 ゆっくり数えて優に5秒。固まり続けていた虎徹は息を飲むと一気に顔を真っ赤に染め上げた。そのまま酸欠の金魚のように口がぱくぱくと開閉を繰り返す。

「っ!」

 なかなか返ってこない返事にぐっと顔を近づけると大げさなほど肩を跳ね上げて、帽子に顔の半分を埋め込んでしまう。さらに見つめる事、数秒…へなりと下がったままだった眉に目尻へ涙の雫を溜めていた瞳が落ち着きなくあちらこちらと泳ぎだす。

「〜〜〜」
「・・・」
「ぅひゃ!」

 いつまでも続きそうな静かな攻防…焦れたバーナビーが帽子を掴む手を鷲掴みにする。すると虎徹の口から悲鳴が上がった。ぴくりと眉を跳ね上げると困り果てた表情を浮かべる。

「…っ…」

 ゆっくり…ゆっくりと掴んだ手を下に下げさせると震える唇が晒された。今度こそ…と近付くとまたびくりと体を跳ね上げる。…そんな相手の反応に少し考え込んだバーナビーは帽子ごと掴んでいた手を、手から腕…腕から肩…肩から背中へと撫で、背中をゆっくりと下りて腰で腕をクロスさせると壁から引き離して抱き寄せた。

「…ぁ…」

 抱き込んで額同士をこつり、とぶつけると僅かに強張りが解けた。さらにおずおずと背中に腕が回される。どうやら拒絶はしていないらしい。
 きゅっと少し強く抱き寄せて、その柔らかさにうっとりと瞳を細める。

「…柔らかいですね…」
「へ?」
「…虎徹さんの体…ふわふわする…」
「…んなこといったらバニーちゃんだって…」
「僕なんかよりも…虎徹さんの方がうんと柔らかいです」
「…んっ…」

 優しく囁いて頬に唇を寄せると擽ったそうに体を捩るだけに終わった。試しに目尻にも寄せてみるとやはり擽ったげに身を捩るだけ…いけるかも?…という僅かな希望を胸にそっと耳元へ口を寄せる。

「虎徹さん…もっと触っていいですか?」
「ん?…もっと…って…?」
「…腰から下とか…胸元…とか…」
「……え…?」
「女同士だから…大丈夫でしょう?」
「え…あ…ぅ…」
「…ね…虎徹さん…」

 甘える様な声で強請ってみるともじもじとし始める。…もう一押し…と腰に回した手で背中を撫でると…くっ…と背中が仰け反った。

「わっ!?」

 その反応を楽しんでいるとざわっと肌が粟立つような感覚に襲われた。お尻を鷲掴みにされていることに気づいて慌てて虎徹の顔を見下ろすと悪戯が成功した子供のような表情をしている。

「…俺も触っていいんだよな?」
「…え?」
「バニーだけなんてズルイじゃん」
「あ、はぁ…」
「触りっこならいいよ」
「!」

 ふんわりと微笑む虎徹の顔に喉が鳴った。一気に高鳴る動悸に吐く息の熱が上がる…

「…じゃあ…このまま僕の部屋へ連れて行っても?」
「ん…外でじゃ恥ずかしいもんな…」
「…その前に…唇を味あわせてください」
「!…あ〜…ぅん…減るもんじゃないしな」
「…そんな事言われるとする気が失せるじゃないですか」
「あ?あ〜…ははっ…悪い…」

 夢も希望も砕け散るような事を言う『おばさん』に眉を顰めると少しだけ背伸びをして頬に口付けをしてくれた。 ちゅっ…と愛らしい音を立てて離れるとまた睨めっこが開始される。

「・・・」
「・・・」

 恐る恐る…そっと顔を近づけると今度は逃げたり背けたりされない。更に近付いて互いの呼気が唇に触れると琥珀の瞳がそっと伏せられた。

「…ん…」

 柔らかく温かく…唇に伝わる熱を味わって…瞳を開くと…見慣れた天井が広がっていた。

 * * * * *

 いつもと変わらない長閑な朝…小鳥が囀り、街中が眠りから目覚める。明るくなっていく町並みに、徐々に人が増えていった。

 いつも通りの静かな朝…平和で…活気のある…ごくありふれた一日の始まりだ。

 ただし…とある一室を除いて…

 本日は土曜日、ということでいつもは学校に行っているメンバーも含めて全員がジムに集まっていた。会社も休みで、特に集合をする約束もしていないのだが、自然と集まっていた、という方が正しい。
 午前中から集まったメンバーは今日の模擬戦の取り組みをどうするかと話し合ったり、トレーニングメニューの確認をしたり…と一箇所に集まっていた。

 そんな中…まだ一人来ていないメンバーがいる…
 とんでもなく珍しいことに…バーナビーだ。

 彼はいつも、メンバーの誰よりも早く来ていて、集まりだす頃には準備運動を開始していたり…すでにメニューを開始していたりとしている。…というのも、相棒である虎徹が来ると、彼を急かす事に時間を割くことが多くなるので自身のメニューがおろそかになってしまいがちになるからだ。
 けれど…今日は彼以外のメンバーが集まってしばらくしてからようやく姿を現した。寝坊とか…と思ったが、特に慌てた様子もなく…しかもまだ服装が私服のままだった。

 そんな珍しいづくしの彼だが…フロアに入るともにメンバーを見渡して一目散に虎徹の元へと歩み寄ってきた……

 途端に抱きついてきた。

「っだわぁ!?どっどっどっどっどうした?!バニー!」
「…おじさんが…おばさんだぁ…」
「お、おぅ…そうだな…」
「こっちは…夢じゃなかった…」
「ん?うん…残念な事に夢じゃないな」
「…良かったぁ…」
「いや、よかねぇだろ…ってか何の話してんの?」

 何がなんだか分からないバーナビーの様子に、少しでも落ちつけるよう背中に手を回してぽんぽんと宥めてやる。

「何がどうしたんだい?バーナビー君は?」
「ん〜…なんか怖い夢でも見たのかな?」
「夢ぇ?そんな事で人に抱きついてるなんて…小さい子供じゃあるまいし」
「あ、でも、ほら。あまりに怖すぎると中々現実と夢の境界が分からなくて人に縋る事ってありますし…」
「そうよねぇ…特に一人身だと縋る先が欲しいわよねぇ…」
「そういって何故俺を見るんだ」
「バイソンさんは縋るのにもってこいだもんね?」

 目覚めた瞬間に自分の体がいつも通りである事に安堵した途端…現在ファンを大漁確保中の『バディ』の事が頭に過った。もしや…とまさかが行き交い続ける頭でジャスティスタワーに駆けこめば…今や見慣れた曲線を描く体型のバディがいる。あまりの安堵感に思わず抱きつき脱力してしまった。
 周りで繰り広げられる呑気な会話の中、バーナビーは夢の中で味わったはずの柔らかな体を存分に堪能している。

 …だが…

 正気に返ってハンサムエスケープまで…残り3分。


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