モデル並みの長身の女性は、オックスフォードデザインのローヒールブーティにワインレッドのストッキングを合わせ、Aラインのプリーツスカートにアーガイルのニットを合わせている。胸元まで伸びる黒髪は毛先がくるりと円を描き、柔らかい雰囲気が出るように演出されていた。
 アジアン特有の童顔は年齢よりも若く見え、いつもならば『ワイルドに整えられている顎髭』がない分、更に幼く見えた。

「だってしょうがないじゃない。お父さ…じゃなかった…『徹子』さんは顔がバレちゃってるんだから…」
「うん…それは…分かってるんだけどな?…だからって…コレはないだろ…」
「大丈夫だって!ヒゲ剃ったから全然似合ってるよ!」
「…うぅ…」

 愛しい愛しい一人娘に親指を立てて太鼓判を押されてしまい、『徹子』は涙ぐんだ。何が悲しゅうて娘に女装を褒められなければならないのだろう?

「あらやだ…まさかと思えば…」

 聞き覚えのある声に振り返ってみれば、見知った顔がいる。
 高いヒールのレースアップブーツは太股なかばまで長さがあり、引き締まった太股は大きな網目のタイツで覆われている。ぴたりとヒップに沿うレザーパンツに大きな幅のベルトとチェーンのアクセサリーをぶら下げ、コルセットタイプのビスチェにふかふかのファーで出来たボレロ。シルバーブロンドのベリーショートに大ぶりなカラーストーンのイヤリングがアクセントになっていた。

「お、ネイサン」
「ノンノン。I'm 『Queen RED』」
「あ、そっか。悪い悪い」

 ネイサンとは仕事上の付き合いだけだったのだが、以前の夏の祭典時にばったり出会ったのだ。その時にこの『世界』のルール的な事を色々教わった。
 『この世界』での『自分の名前』が別にあるという事。作家や漫画家、芸能人のようなペンネーム、芸名、とでも言おうか。ネイサンの場合でいえば、『クイーンレッド』、というのがそれに当てはまる。よってこの会場にいる間はネイサン、ではなく、クイーンレッドで呼んで欲しいと。
 なのに、うっかり本名で呼んでしまった。へらり、と苦笑を漏らして謝れば、やれやれ、と肩を竦めてお咎めなしにしてくれる。

「お久しぶりです!」
「あらぁ〜、メイプルちゃん!相変わらずキュートねぇ〜」

 このところ、私服は専らパンツスタイルの楓だが、イベントではうんとおしゃれをしなきゃ、とプリーツのチェック柄スカートを履いている。トラッドスタイルで纏めていて、頭にもエンブレムにデコレーションを施したカチューシャを着けていた。お手製のそのカチューシャをネイサンはうんと褒めるととてもうれしそうに、照れくさそうに微笑む。

「ところで…どうしてこのフロアにいるんだ?
 クイーンの…サークル…っつったか…
 あの『兄弟』と同じ、大型グッズの括りだから隣のフロアになってるんだろ?」
「えぇ。でも、今回はサークルでスペースは取ってないのよぉ」
「へ?そうなの??」
「小イベントを主催するそうだ」
「うん??」

 設置の手を止めた村正がパンフレットを開いて虎徹へと向ける。そこに載っている広告に目を凝らして見ると『コスプレ男子を応援し隊』の下に『Queen RED 協賛』と書かれていた。
 もともとネイサンこと、クイーンレッドはコスプレ用の小道具から発展してオリジナルアクセサリーを作っていたのだ。もちろん、現在もコスプレ用の道具は販売しているが、持ち込みの大変な大きい物が増えてきた為、イベントに参加する時はアクセサリーのみ。道具の受付はオンライン、もしくは、スペースに置いてあるカタログでその場発注という形にしているのだ。

「へぇ〜…こんなのもするんだ」
「そうよぉ〜。色々と楽しめるようにこのイベントの主催団体が試行錯誤しててね。その一環としてこんな小規模なイベントを同じ敷地内でしてみよう、ってことなの」
「ん〜…つまりは一粒で二度楽しめる、みたいな?」
「まぁ、そんなカンジかしらね」
「クイーンさんも出るんですか?」
「いいえ、あたしは今回裏方に徹するのよ」
「んで?なんでこんなとこに来てんだ?準備とか大変なんだろ?」
「その『準備』の一環なのよ」

 ストレートに疑問を投げかけてみたが更なる疑問が返ってきてしまった。さっぱり予想が付かない虎徹と楓は互いに顔を見合わせて首を傾げる。

「ねぇ、メイプルちゃん?」
「はい」
「この『お姉さん』借りていいかしら?」
「徹子さんを、ですか?」
「そ、徹子さんを」

 にこにこと屈託のない笑みで迫られて楓はぱちくりと瞬いてしまう。ちらり、と横に立つ『父』、もとい『徹子』を見上げてくるりと思考を回転させた。すると、もしかして、と一つ思い付き、ぱっとネイサンを見上げると満足そうに頷き返してくれる。

「大丈夫です!設置が終わったら適当に時間潰しに行くって言ってました!ね?徹子さん!」
「ん?あ、あぁ、まぁ……ここにいても役に立てそうにねぇし…」
「んまぁ〜!良かったわぁ!手伝ってもらえそうな人を探してうろうろしてたんだけど…
 徹子ちゃんだったらよぉっく知ってるし、お願いしやすいわぁ」

 急激に上がった娘のテンションに首を傾げるが、ネイサンの口から零れた言葉の方が気になった。聞こえた言葉を頭の中で反芻させたくるりと振り返る。

「うん?なんだ?人手が足りないのか?」
「そうなのよぉ…頼んでた子が急遽ダメになっちゃってねぇ…」
「え?当日にですか??」
「ちょっとしたアクシデントでねぇ…」
「…ふわぁ…」
「だけど…もうすぐ開場でしょう?今から人を呼び寄せて…っていうのも難しいのよ」
「そうですよねぇ…今からだと一般の方と一緒に並ばないと…」

 何につけても用意周到なネイサンにしては珍しい事で……聞き間違いでも、勘違いでもなく本当に困っているらしい。しかも急を要するような雰囲気に虎徹は挙手をする。

「なんだ、そんな事だったら手伝いに行くよ」
「ホントに??」
「おう!男に二言はないぜ」
「あぁん!ありがとぉ〜!もぉ、ちゅうしちゃうっ!」
「っだ!それはやめいッ!」
「それじゃ、借りていきまぁす!ありがとねぇ〜」
「いってくるわぁ」
「いってらっしゃぁ〜い」

 まるで春の嵐のように花を撒き散らして吹きぬけていく風の如く、さっそうと虎徹を引っ張って去ってしまった。その後ろ姿をにこやかな笑みで手を振り送り出した楓の後ろで村正は複雑そうな顔をしている。

「…一言がんばれ、とでも言っておけばよかったか?」
「ん〜…大丈夫なんじゃないかな?すでにあの格好になってるんだし」
「…まぁ…そうだな…」
「…どうなるのかなぁ…」
「適当な時間で見に行ったらどうだ?」
「うん!」

 うきうきしながら設置の続きに勤しみ始めた姪を苦笑しながら見つめて村正も設置を再開し始めた。
 * * * * *

「戻りました!そしてただいま!」
「おう、お帰り」

 隣のフロアの壁際では巨体を丸めて座り込んだアントニオこと、『兄』が小さなフィギュアが詰まった箱を整理していた。そこに『弟』であるキースがにこやかな笑みを浮かべて戻って来たのだ。

「あっちの手伝いはもういいのか?」
「あぁ、それが私では間に合わなくなってね……」
「へ?」
「今日の為に用意したものが私では使えなかったのだよ」
「なるほどな。じゃあメンバーが減ってしまうってことか…」

 ネイサンのいう『頼んでいた子』というのはキースの事だった。今回もサークル参加することは知っていたので、これ幸いとキースに依頼が来ていた。イベントにまったく携わらない子に頼んでわざわざ足を運んでもらう必要はない、という事と、夏の祭典で『撫子』から一人での店番の仕方を色々と教わっていたので、キースが抜けてもなんとか出来るという理由で白羽の矢が立ったのだ。もちろんキースも断るつもりはないし、アントニオも『撫子』絡みで恩返しという意味を込めて反対はなかった。
 のだが、どうもイレギュラーが発生したようで、キースではこなせなくなったらしい。もともと人数が少ないから一人でも多く動員して華やかにしたい、と話していたネイサンの話から、たった一人欠けるだけでも致命的だろう。

「いや、心配には及ばないそうだ」
「うん?」
「一人心当たりがあると言っていたよ」
「ん〜…あ〜…テツのやつか」
「あぁ、今回も来ているのかい?」
「搬入と設置の手伝いに来てるんだと」

 心配をした矢先、早々に切り替えを実行したネイサンの話を聞いてほっとした反面、新たな心配の種が出てきた。

「…大丈夫かな?」
「ふむ…ワイルド君は素顔を出してしまったからね…」
「まぁ…それなりに時間は経過したが…この世界じゃなぁ…」
「半分止まっているようなものだからね」

 互いに苦笑を浮かべ合う。『萌は永久不滅』とでも言おうか……愛していれば愛しているほど何年も同じジャンル、人、キャラクターを取り扱うのが同人誌というものだ。まだタイガー引退から一月経つか経たないかの時期ではまだまだ熱が冷めるわけがない。
 それこそ、引退後の生活を妄想しては楽しく執筆活動に励んでいるというのに。

「下手な騒動にならなきゃいいが……」
「きっとクイーンがなんとかするだろう」
「…そうだな…なんたって…クイーンレッドだしな」

 妙な納得感に心配だった心がすとん、と落ちついてしまった。二人の脳裏に仲良く揃って現れたのはあのピンクがとても似合う『漢』の姿。ヒーローメンバーの中で1・2を争うオシャレ大好き人間はメイクも服のデザインも飛びぬけてレベルが高いと言っていい。突拍子もない事をするのが好きで、けれどちゃんと社会のルール的なものに乗っ取り、一定のラインを決して踏み外さない。
 その辺りの性格から『虎徹を巻き込んでも大丈夫』と可笑しな信頼が生まれてきている。

「人が少なくなり始めたら見に行ってみるよ」
「あぁ。ついでに記念撮影もして来てくれ」

 にやり、と笑みを浮かべるその表情は、キースの目にひどく悪戯っぽく、楽しげに映った。

 * * * * *

 ネイサンに連れられて来られたのは簡易舞台が設置された小さなフロア。入口の横には旅行鞄を思わせる大きなバッグを持った人々がスタッフに整理されながら並んでいる。
 広さは先ほどのフロアの半分ほどだが、舞台の反対側には仕切りのような衝立が立てられカラフルな布を被せてあった。それもかなりの数があり、中にはサンセットのような板をひきレンガ造りのようなパネルが立てられているのもある。さらには御座が広げられ、番傘や行燈、小さな障子に襖が運び込まれて設置されている所もあった。
 何だかさっぱり分からない虎徹は思わず首を傾げてしまうと、前を歩くネイサンがくすり、と笑いを零した。

「コスプレエリアよ」
「お?夏ん時は屋上じゃなかったか?」
「えぇ、でもこの時期に屋上の吹き晒しじゃあ風邪引いちゃうでしょ?」
「…そりゃそうだ」
「だから、薄着や半袖の衣装の人とかはこっちを利用するのよ」
「なるほどな」

 簡単な説明にうんうんと納得していると舞台袖へと向かっていった。よくよく見てみると、小さい扉があって『STAFF ONLY』という張り紙がなされている。

「ねぇ、徹子ちゃん」
「……へ?あ、あぁ、何だ?」

 呼ばれ慣れない名前に一瞬反応が遅れてしまった。会場の中をぐるぐる見回していた顔をネイサンへと向けると、そっと口元に手が添えられる。内緒話か?と耳を近付けると腰に手を回されて密着させられた。

「ストッキングの下って…どうなってるの?」
「はぇ?」

 フロア内が一瞬静まり返ったが、すぐに湧き立つようなざわめきに包まれたのでネイサンの言葉がはっきりと聞こえなかった。ぱちくりと瞬き見上げるとぴんと立てられた人差し指が下を指す。

「だからぁ…足よ、あ・し。もっさりしてるの?してないの?」
「あ?…あぁ、つるっつるになってるよ。ストッキングに映るかもしれないからってさ」

 何の事を聞かれているのかようやく理解出来た虎徹は苦笑を浮かべる。服のチョイスと買いだしは楓なので邪険にも無碍にも出来ず、用意されたものをベストな状態で着用出来るようにと腕も足も脱毛済みだ。顎髭も今朝、勇気を振り絞り勢いで剃り落とした。幸い体毛が濃い方ではない為か、昼近くになっても顎周りはジョリジョリしていない。

「なんか関係あんのか?」
「ちょっと着替えてもらわないといけないからねぇ」
「?スタッフ共通のユニフォームとかあんの?」
「えぇ、舞台に立つ側の服があるのよ」
「舞台に立つ側?」
「そ。会場内の整理とか警備とかはその道のプロがいるんだけど、舞台経験者はそうそういないから」
「俺も舞台なんかしたことないけど…」
「お芝居しろって言ってんじゃないわよ。観衆慣れよ、観衆慣・れ」
「人目ってことか。だったら…確かに俺は慣れてるわな」
「そ。しゃべる必要はないけど、ちょっとしたパフォーマンスは頼むかもしれないわね」
「お手柔らかな内容ならいいぞ?」
「ん、大丈夫大丈夫。ほんの少し動いてもらうだけよ」

 今一つ核となる部分を聞かされていないのが気になるのだが……引きうけたものはしょうがないし、顔がばれてるとはいってもネイサンだ。メイクなりして分からないようにしてくれるだろう。

「じゃ、お着替えしてもらいましょうねぇ〜」
「うぃ〜」


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