<緑のファーストコンタクト・1>


「…まいったな…」

 そう呟いたのは、声が微かに反響する手洗いの中だった。大きな鏡の前、赤や青、金色を用いて凝った装飾が施された洗面台は意外に幅広く、なだらかな曲線を描いて深く窪んでいた。その両側に手を突いて深呼吸を繰り返しているのは、エリア11から新天地を目指して出発した黒の騎士団を率いるゼロ、 ルルーシュ=ランペルージだ。
 顔にはゼロに扮する際に着用している、変声器付きの仮面を着け、マントの下にはデザインを新たにした独特の服を着こんでいる。
 肌の露出が一切されていない服の下では、僅かに汗が滲んでいた。暑さからではない。この建物は完全空調設備にて過ごしやすい気温を一定に保っている。ではなぜか…

「っふ…くぅ…」

 上着の前を開き、首元を緩め、その中へと腕を差し込む。ぷしゅ…と空気が抜けるような音がすると同時に大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

「最近またキツクなったな…」

 そう呟いて腕を取り出した後には服を押し上げる曲線が現れた。ゼロ…もとい、ルルーシュが最近胸つぶしに使っているのはサラシではない。C.C.いわく、「サラシでは上手く潰すのにかなりの労力と時間がかかるだろうから、瞬時に出来る物を作ってみた」との事だ。コンタクトレンズといい…どこで作らせているのだか…それでも、C.C.の言うことには一理あり、起床、及び就寝前に四苦八苦して解いたり巻いたりし、さらに日常は緩みやズレがずいぶんと気になったサラシに比べれば今着けているプロテクター紛いの物の方が断然楽なのは言うまでもない。パイロットスーツの衝撃吸収剤の応用のようなものであろうそれは、肌触りや形は綿のスポーツブラとは変わりないが、スイッチ一つで瞬時に締め付けを行う優れものだ。
 しかしその優れものが今ルルーシュを困らせていた。

「…また育ってないか…」

 襟元からちょいと覗き込み、その問題の胸を凝視する。C.C.と合流した時に採寸し、作ったプロテクターはぴったりのサイズで作られていたはずだ。それがここのところどうも息苦しい。その証拠か、胸の膨らみが前より大きく感じられ、男物に作られた服の中で窮屈そうに押しつぶされている。時折見計らって解除しなければ窒息寸前に陥ってしまうこともある。現にルルーシュが今手洗いにいるのはもう少しで貧血を起こして倒れそうになったからだ。

−…これは…C.C.に言って新調しないとツライな…

 そう度々一人になれるわけでもなければ、奥へ引っ込むわけにはいかない。早めに手を打たねば不審がられてしまう。
 しかし今のところどうしようもない。一つ大きく深呼吸をし、苦しいのではあるが、再びプロテクターのスイッチを入れて服を元に戻した。そのまま鏡で身なりを整え、ようやく手洗いから出て行く。

「ちぃ〜っス☆」
「ほぁあ!?」

 扉から出た瞬間に目の前を鮮やかな黄色が割り込んできた。突然のことに素っ頓狂な声を上げてしまう。

「お?なになに??その可愛い声は」
「なっ!?可愛いとはなんだ!失礼な!だいたいこんな所で人を待ち伏せとはどういう神経をしている!」

 『可愛い』と言われた事に激昂はしたものの、とりあえず落ち着きを取り戻し始めたルルーシュはその黄色の正体が分かり、徐々に冷静になっていく。扉の横の壁に凭れる様にして立っているのはナイトオブスリーのジノ=ヴァインベルグだった。人懐っこい笑みを浮かべ、壁に肩を凭れさせて見下ろす状態は決して見下すという風ではなく。だがしかし、軽く交差した足はどこか余裕を思わせる。なんだかそれが無償に癇に障った。

「いやぁ…だってこうでもしないとあんたんとこの護衛隊がぴったり周りを囲んでるから二人きりでお話〜…なんて出来っこない様子だったもんで」
「それ以前に…何故私と二人きりで話をする必要がある?」
「あんたに興味が湧いたから」
「……で?」
「で?って?それだけなんだけど」

 思わず仮面の上から額を押さえてしまった。…どこかの誰かさんにノリが似ている気がする…気のせいだよな。
 そんな思いに囚われていた時、ホールにいた青マントの男がくしゃみをしたようだが、ここでは分からないことだ。

「生憎と私は付き合うつもりはない」

 そっけなくそう言い放ち、ホールへ戻るべくつかつかと通り過ぎてしまう。なによりこんな人気のない場所でナイトオブラウンズと二人きりなどとんでもない。スザクではないにせよ、要注意人物だ。近寄らないに限る。

「ふーん…じゃ、交渉といってみよ☆」
「は?」

 突然腕を掴まれたかと思うとそのまま無抵抗のうちに引き寄せられ、ジノと壁との間に閉じ込められてしまう。一瞬の出来事に何が起きたのか分かっておらず、ルルーシュは呆然とするのみだ。すると、がっし、とばかりに仮面を鷲掴みにされ、ようやく我に返った。が、その手が仮面を脱がせようとする動きを見せ、ルルーシュは焦り始める。

「何をする!?」
「ん?交渉の持ち込み」
「どこがだ!」

 掴んでいる腕を掴み必死に剥がそうとするも、女である、という以前に、もとより非力なルルーシュである。びくともするわけがない。当の本人は何がなんでも剥がしてやると言わんばかりに躍起になっているのだが、ジノにしてみれば、幼子が腕に捕まってぶら下がろうとしているような程度だ。また、そのことに少なからずジノが驚いていた。

−ここまで力がないとは思わなかったな
「じゃあ、交渉に応じてくれる?」
「一方的過ぎる!力で捩じ伏せようなど卑怯だ!」
「卑怯かぁ…そういわれるとちょっとキツイなぁ…」

 とりあえず手の動きが止まり、表には出さないものの内心ほっとする。学祭の際に顔を合わせたのもあってジノに仮面を取られてしまうのは非常にまずい。そうでなくとも、スザクと同じ位置にいるのだ。彼から何かしら聞き及んでいるかもしれない。だとすれば、ゼロ=ルルーシュとバレてしまう上にまた皇帝の前に引き出されるかもしれない。いや、それ以前に殺されるかもしれない。

「だったら!」
「で・も。こうでもしないと質問に答えてくれなさそうでしょ?」
「質問?詰問の間違いじゃないのか?」
「や、そんな堅苦しいことするつもりはないよ。あんたのことで一つだけ教えてほしいだけだから」
「それはッ…」
「あ、安心してよ。任務とかじゃなく、俺個人が知りたい事だからさ」

 第一印象と先ほどからの言動から推察する限りでは確かに、人の事を根掘り葉掘り聞きたがる性格ではないらしい。それに任務ならばこんな回りくどい、かつ、すぐに足のつくようなやり方はしないだろう。ならばこの質問というのも特に重要ではないかもしれない。本当に些細なことなのかも…

「…質問とやらはなんだ?」

 とりあえず質問の内容を聞いてからでも遅くはない、との結論に達したルルーシュは掴んだ手を離し、聞く体勢を整える。するとジノもそれが分かったのか、表情を引き締め言葉を紡いだ。

「ゼロの性別。」
「………は?」

 国籍とか本名とかいったことを聞かれるのかと少し身構えていたのだが、それは予想外の言葉だった。

「だって、その声。仮面についてんのかな?変声機仕込んであるんだろ?」
「う、いや…これは…その…」
「よっく聞いたら声がぶれてるのが分かるんだって」
「そんな…ものか?」

 もちろん軍人すべて、というわけではないだろう。むしろこの男の聴覚が異常なのだ。そんな単純なことにも頭が回らず、ルルーシュは会話に引き込まれていった。

「というわけで、変声機が取り付けられてるってことは、中身が誰であろうと声が統一されてしまう」
「…あぁ」
「ということは…もしかして中身はむさい男ではなく可憐な女性なのではッ!?」
「…」

 なぜそこでむさい男と可憐な女性が出てくるのか…普通は中の人間が誰であってもゼロが出来る…とか、もしかして中は普通の黒の騎士団の一員で『ゼロ』というのは存在しないのでは…とか、そういうことになるのではないのか?この男の頭の中は『誰か』ではなく『男か女か』ということが重要視されているようだ。何よりこの真剣そのものの表情が雄弁に語っている。

「…バカらしい…」
「え!?」

 緊張に強張っていた肩がすとんと落ちる。身構えて損をしたといったところだ。

「そんなことを聞くのに足止めされたのがバカらしいと言ってるんだ」
「む。そんなこと呼ばわりする?」
「そんなこと、はそんなことだ」
「しかも答える気はない、と」
「くだらない質問になど付き合ってられるか」
「じゃあ仮面剥いじゃる」
「っな!なぜそうなる!!?」
「顔が見れたら性別分かるじゃん」
「だから何故そこまで性別にこだわる!?」
「君に興味があるから」
「はぁぁ??」

 もう何がなんだか分からない。そういった気持ちを込めて盛大に息を吐きながら首をかしげた。

「すらりと伸びた腕と足、マントからちら見する細腰に気品のある立ち振る舞い。自信に満ちた言葉と身分の高さを匂わせる言い回し。俺は確信した!これらのことからどう考えでも女性だろうと!」
「はぁ…」
「そしてさらに確信した!これが恋であると!」
「………」

 開いた口がふさがらない。とはこの時の為にある言葉だとルルーシュは感心した。この男の脳内回路はどうも昔馴染みの『奴』に似ていてとんでもないのだ、と。それ故に件の『奴』と話している時と同じく、何かがあちこち足りない気がする…

「もし私が男だったらどうする?」
「男でもかまわない!これが恋なのだから!」

 …やはり似ている。再びホールにてくしゃみをする男が一人…今度は横にいたセシルに心配をされてしまった。

−さて…

 軽く眩暈がするような気がするが、とりあえず仮面ごしに軽く抑えて気付かないふりをするとして…どう対処すべきか考え始める。最初に掴まれた腕は拘束されたままであるのに今頃になって気付いたあたり、己がどれほどテンパっていたかを思い知らされた。そうして完全に冷静さを取り戻した頭はある言葉を思い出した。

「ヴァインベルグ卿。この質問は個人的なものだと…そう言ったな?」
「もちろん。」
「他言無用に?」
「イエス、マイロード。」

 挑発的な笑みで簡略的な敬礼をしてみせるジノ。それをしばし眺めてからゼロは微かにうなづいた。この男も一度言い出した事を曲げるなり、それに対して嘘をつくのが嫌いだととれる。ならばこの言葉に嘘はない。

「いいだろう。」
「お。教えてくれるんだ?」

 途端に無邪気な笑みに切り替わったのを仮面の下で苦笑しながら、最低限であろう要求を突き立てるのを忘れない。

「ただし場所を変える。こんないつ人が来るかも分からないような所はごめんだ。」

 掴まれたままの腕を僅かに動かせばようやく開放された。特に痛みがないあたり、人の捕らえ方に慣れているようでさすがは軍人、といったところだろうか。

「んじゃ、そっち行きましょうか。密室に出来る小部屋があるらしいからさ。」

 どこかウキウキとし始めた男の後に付いて歩いていくと、廊下を2・3度ほど曲がった。そうして辿り着いた先は中庭に面した廊下。そこに入り口があった。

「…詳しいな」

 注意していないとすぐにでも迷ってしまいそう。それがルルーシュの素直な感想だ。

「さっきシュナイゼル殿下が聞いてらしたのを小耳に挟んだんで。」
「シュナイゼル殿下、ね。」

 シュナイゼルが…ということで聞いた小部屋で彼が何をしようとしたかなど安易に想像がつく。何しろ密室状態に出来るというならば間違いなく下世話なことだろう。
 部屋の中は思ったよりも広く、アッシュフォード学園のクラブハウスにある自室程度の広さだ。中央あたりに低い机と背もたれのない簡易な椅子が置かれている。壁際には部屋を囲うように長ソファが並べられていた。朱と橙を主に使われた内装は中華連邦特有の色合いで所々に深い緑をあしらって調和が取られていた。きっとこの緑がないと心理的に煽る色合いとなり落ち着きがなくなるだろう。また、窓と扉の脇に大輪の百合が生けられて上品で瑞々しい香りが充満している。密会、というにはもってこいな部屋といえるだろう。

 その部屋に入るとジノが扉を閉ざし、施錠を確かめる。その間にルルーシュは窓へと近寄りガラスをそっと撫でていた。かちゃり…と小気味良い音を響かせるとジノが一度扉のノブに手をかけ開かないことを確認する。充分過ぎる点検を済ませるとゼロへと振り返った。
 それをガラス越しに見ていたルルーシュはその作業の手際の良さに感心していた。

−いくらおちゃらけた雰囲気の持ち主とはいえ、ナイトオブラウンズを語るだけあって仕事に抜け目はないようだな…

 ガラスの中からじっと見つめるジノに微かな笑みを洩らしつつ、ゆっくりと振り返ったゼロが口火を切った。

「単刀直入に言う。私は性別上、女だ。」

 正面からジノを見据え、嘘偽りではないということを態度で表す。それを正確に受け取ったであろうジノは一瞬瞳を眇めて僅かに時間を取ったあと口を開いた。

「…証明出来るものは?」
「そう返すだろうと思って場所を変えた。」

 予想通りの言葉にゼロは窓のカーテンを手荒く閉め切った。角部屋ではないこの部屋の窓は扉の正面にあるこの一枚だけだ。これを閉めてしまえば外からも全く中の様子が伺えなくなる。

「本当ならば誰にも明かすつもりなどない。」
「それってつまり…」
「黒の騎士団のメンバーも知らないことだ。一部を除いて…だが」
「なんでそんなにひた隠しにしちゃうの?」
「キングが女だと士気に関わるだろう」

 ルルーシュは自分がいかに非力であるかなど、嫌というほど熟知している。だからこそ、ゼロを名乗る上で女だと厄介なのだ。コーネリアのように男顔負けの勇ましい戦い方が出来るのなら話は別だ。非力であること、戦術に長けていないこと、女であること。これらが揃えば必然的に導かれる単語は『護られるだけの存在』。そんなのはまっぴらごめんだとルルーシュは思っている。

「それに…『共に戦う』のではなく『護らなければならない主』になどなるつもりはない」

 受身の姿勢になるなど屈辱でしかない、攻めの姿勢でいたい。それがゼロが男であるという理由に他ならない。それ以外にも女であるルルーシュからイメージ的にも遠ざける為でもあるのだが。

「いいね、その信念。ますます惚れちゃうよ」
「褒め言葉として受け取っておく」

 そっけなく言い返すとゼロは徐にマントを床へと落とした。

「…へ??」

 そのまま上着のジッパーに手をかける。

「ちょッ!まさかストリッパーとかしちゃうわけ!?」
「バカか!そんな下衆な真似などするか!」

 言葉のやり取りの間にもゼロは手を休める事無くスカーフとともに上着も床に落とし、下に来ていた水色のベストも落とす。自ら突きつけた言葉とはいえ、どうしたものかとジノは悩み始めていた。証明といったのは身分証明などが出されると思っていたからでまさか体で、ということになるとは思っていなかったのだ。当の本人はストリッパーのようなことはしないというが…

「…あれ?」

 内心オタオタと悩んでいたジノの目に付いたのはベストの下に来ていた白シャツの更に下。黒いハイネックの袖なしトップスの上から光沢のある白いプロテクターが装着されていた。首を傾げていると細い指がプロテクターの内側をなぞる。すると…プシュ…と空気が抜けたような音がした。

「特別に作らせた…サラシの代わりだ」

 かたん…と小さく音を立ててプロテクターが床へと落とされた。ゼロの足元に転がるそれを凝視していたジノは視線をゆっくりと細い足へと移す。そのままなぞる様に見上げていけば黒のトップスの丈が短くなってしまったのか白い腹がちらりと覗いている。更に上れば、トップスを持ち上げている正体が分かった。

−これは…グラビア級じゃない?

 思わず喉を鳴らしてしまい、ジノは内心慌てふためいてしまっている。きゅうっと括れた腰に豊満なバストは決して厭らしい感じはない。均整が取れて整っている。なだらかな肩から剥き出しにされた腕は日焼けの跡もなく、すらりと伸びて手に嵌められたままの黒い手袋が引き立てられている。けれど…残念でならないのは、体のプロポーションから伺うに、抜群の美女であろうゼロの顔が無骨な仮面で覆い隠されていることだ。
 …しかも…

「気は済んだか?」

 高飛車な口調はいいとして、声が少々野太い。仮面に付いている変声機の仕業ではあろうが…なんだか詐欺に遭っている気分になるのは何故だろうか。

「触ってもいい?」

 その言葉はするりと喉から出てきた。当のジノですら驚くほどに。しかし、言ってしまってから「そうだ」と名案を思いつく。

「見た目での証明は出来ているけど…見た目だけなら詰め物とかして誤魔化せてしまうじゃない?」

 そう言い募ればふむ、と納得のいった呟きが漏れる。

「ついでに言うなら声も聞きたい」
「…どちらにしても仮面を取らせるつもりだったのか」

 一気に空気の温度が下がったように思われる。さらにゼロの声音に剣呑な響きが混ざった気がして、ジノは慌てて言葉を付け加えた。

「や、そんなつもりはなかったんだけどね。その体のラインを見ちゃうと不釣り合いで無骨な仮面は邪魔だなぁって。」

 せっかくここまで持ち込めたのだからあと少し。もうほんの少しだけでいいから踏み込んでおきたい、そう思うのは単なる好奇心の仕業なのだろうか?

「…」

 言い繕った言葉にゼロは特に反応を見せず、腰に腕を当てどこか不機嫌な雰囲気を纏ったままだ。

「あ。直に見せろってわけじゃないんだ。生の声とちょっと触わらせてもらえればそれで…」

 無邪気にもほどがあるその笑顔が苦笑へと切り替わったのを間近でみてルルーシュが何も思わないわけがない。元より情に厚いルルーシュだ。自分に譲歩という言葉を言い聞かせて応じる構えに入った。

「つまり目隠しするということだな?」

 しゅるり、と床からスカーフを拾い上げると体の前でピンと張ってみせた。

「そう…なるのかな」

 行動の意味を正しく捉えたであろうジノの顔にまた苦笑が浮かび上がる。『お好きにどうぞ』と言っているように取れるその表情にルルーシュは笑みを浮かべた。

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