―幸―



―……リンッ……

「わ!」
「あ……びっくりした」

 今まさに扉を開けようとしたら勝手に開いた。内側に開く扉だから下手をすれば顔面をぶつけてしまう。

「カヅッちゃん!」

 扉に気を取られそこにいる人物に気付けなかった。呼ばれ慣れた愛称に顔を上げると銀次さんと卑弥呼さんがいる。二人とも走ってきたのだろうか?汗まみれで息遣いも上がっている。

「お久しぶりです銀次さん」
「あんたがここにいるって事は……」

 今にも泣きそうな表情をしている卑弥呼さんに、僕は神妙に頷いた。

「そう……」

 僕の返答に二人が俯いてしまった。
 卑弥呼さんとは身長差がある為、その表情はあまり見えない。
 しかし銀次さんとの身長差はあまりない為、表情が伺える。
 3日ほど前にも銀次さんと会った。その時はまだ……今ほどではなく、髪の毛による影が薄いはずなのに、とても濃く、銀次さんが『雷帝』であった頃の影よりも深い……深い純粋な闇。
 ……背筋がぞくりと凍る……

「じゃ……俺別のとこ探してみる!」
「あぁ……はい」

 上げた顔は前と変わりない笑顔。声も弾んでいて、落胆しているなど……誰が気付けるだろう?

「じゃね!カヅッちゃん!卑弥呼ちゃん!」
「何か分かったらすぐに連絡しますから!」

 僕の呼びかけが聞こえたのか走りながらも手を振って答えてくれた。その後姿が小さくなるにつれて何故だか不安が過ぎる。

「じゃあ……私も行くわ」
「えぇ、それでは……また」

 短い挨拶を交わすと卑弥呼さんは銀次さんとは逆の方向へと足を進めた。
 二人を見送って僕はもう一度マリーア=ノーチェスの店を振り返る。
 真っ暗な窓。静まり返った部屋。

 それは……銀次さんが偽りの強さで再び走り始めた今も変わりはなく。

 魔女であり、占い師でもある彼女の事だ。きっと事前にこの事は把握していたはず。店にも、家の方にも争った形跡はなかった。
 つまり……自主的にいなくなったという事。
 それは、この事態の全貌を知っている事を意味しているのではないか?
 なんらかの形で関与しているのでは?

 少しずつ……少しずつ狂ってきている。

 狂い始めて、今では皆狂っている事にも気付かないふりを出来る程までも『狂って』いる。

 瞳をくすませて微笑む銀次さん。

 時々泣きはらした目をしている卑弥呼さん。

 あらゆる動物から情報を集めている士度。

 姿を眩ませたままのマリーアさん。

 たった一つの歯車が欠けたことで見えない所から徐々に狂っていく。


 美堂蛮。
 彼の事だから、気まぐれに姿を消したのだろうと最初は思っていた。

 ……しかし……
 痕跡がなさ過ぎる。彼の情報はおろか、動物達の目にも止まらないとは……
 まるで、初めからその存在がなかったかのように……


 有り得ない。

 美堂くんの存在があったからこそ、銀次さんはあんなに明るく笑えるようになった。
 あんなに楽しそうに走り回るようになった。
 あんなに一人の人を……美堂くんを大切にし、愛し、時間を共にし、無限城の仲間を置いてまでも後を追った。
 無限城にはいなかった、気高く、強く……美しい魂を持つ存在。

 美堂くん……君のその瞳には今誰が映っているのだろう?
 いつも雷光を纏った太陽のような人が映っていた。

 でも……今君はその太陽の側にはいない。

 別の人が映っているのだろう。


 ……その事が、腹立たしい……

 輝きを放つ彼の横に、影のように寄り添っていた君は今どこにいるのか?
 あれほどまでも信頼し、なくす事を怖がっていたというのに……君がいない。

 君の考えも、想いも、僕が推し量るには手に余りすぎて……
 それでも……君には太陽の側でいて欲しいと願うのは罪だろうか?

 魔女マリーア。きっと欠けている情報を持っているのは彼女。美堂くんの行方を知っているのも彼女に違いない。
 探さなければ……とは思っても、手がかりは何もなく……
 糸を張り巡らせ情報を収集しても、どこにも引っかかる事はなく……この店にも、家の方にも糸を張ったが何の物音一つもしない。沈黙のみ。

 早く、早くと急くのに、何も得られない。
 ……もどかしい。何も出来ないのがもどかしい。
 そのもどかしさが無意識の内に過去の無力さを掻き立てる

「……もっと範囲を広げよう」

 占い横丁の細い道から表通りへと足を向ける。
 表通りへ出ると、目の前を雷光が走って過ぎた。



「ごめんなさい……銀次くん……」



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