早朝の公園の側。
 まだ多少靄の残る時間帯。小さな車の中で人影が動いた。

―……ついにきたか……

 ふぅっと小さくため息をつくと黒髪を掻き上げる。蛮は横に眠る相棒を起こさないよう、そっと後部座席からベルトとサラシを取り出した。それらを抱えて静かに車を降りる。

「……ばんひゃ〜ん……」
「っ!」

 扉を閉めようとした所で名前を呼ばれ、固まってしまう。恐る恐る顔を上げ、呼んだ張本人、銀次の方を見やると……

「だいしゅき〜……」
「……………ほ……」

 どうやら寝言だという事が分かり安堵する。そのまま扉を閉めて蛮は木の影へと移動した。
 おもむろに上着を脱ぎ捨てタンクトップを引きずり出すと、ウエストの緩いスウェットにベルトを通す。ぎゅっと締めたら今度はサラシを手に取った。

「……あー……面倒臭ぇ……」

 捲り上げたタンクトップを顎に挟んでするするとサラシを巻き始める。手馴れた手つきで2・3回巻いたところで……

「怪我したの?蛮ちゃん」
「っだぁ!!」

 後ろから急に声をかけられた。……かと思うと蛮の肩に顎が乗せられる。視界の端に金色の髪が見えるし、声からして銀次だという事はすぐに分かるのだが、今の蛮にはそれどころではない。

「あれ?……包帯じゃないの?」
「う、うっせーな。何で巻こうが俺の勝手だろ?」
「んー、うん……そうだけど……」
「………なんだよ?」
「蛮ちゃん……なんか変」
「ぅわっ!」

 言うが早いか動くが速いか、銀次が蛮を抱き締めた。ぎゅぅっと抱き締めると今度は首を傾げる。
 いつもいつも抱きついてはぎゅぅぅぅぅぅっと抱き締めている銀次にとって、蛮の体の大きさは分かりすぎるくらいに分かっている。その銀次が今背中から抱き締めている蛮の体には違和感を感じるのだ。蛮の頭が普通に立ったときの自分の顎の下にある。

「……蛮ちゃん……身長縮んだ?」
―バキッ
「〜〜〜〜ッ!!!」

 感じた事をそのまま口に出した銀次の顎に蛮の拳が捻り込まれる。その衝撃によって解放された蛮がささっと銀次から離れた。

「っお前は喧嘩売ってんのか!?」
「そ、そんな事……………蛮ちゃん?」
「なんだよ?」
「……女の子だったの?」
―どゲシッッ

 * * * * *

「……え……と……つまり……魔女の血の作用で、何年かに1度女の子になっちゃうんだ、と」
「はい、よく出来ました」

 あの後理解の遅い銀次に説明する事一時間。一先ずサラシを巻き終えた蛮に事細かに説明をしてもらったものの、よく分からないといったままの銀次に蛮は要所のみを端折って説明をした。
 銀次はというと先ほど蛮に殴られた直後、自分が見た『物』が未だに脳から離れないでいる。まじまじ見つめてしまったもの。サラシを持った手と腕を使ってしても隠せていなかった、女性独特の膨らみを持つもの。2・3度巻いたくらいではちっとも隠せないその膨らみは何故か銀次の心を鷲掴みにしたままだ。
 見慣れていないとか、ましてや初めて見るなどと言う事はない。(ヘヴンがいるから)ただ幾分か白い肌で作られていたそれ。

「……ねぇ、蛮ちゃん」
「あぁ?」
「胸の大きさが気になるんだけど……」
「胸のでかさなんぞ知らんでいいっての」
「そりゃ……そうだけど……」
「だけど?」
「男としてはとても気になるのです」

 『青年男性』としてはもっともな意見だ。だが相手は蛮。たとえ今体が女であろうと蛮には代わりないわけで……

「まぁ……それなりのでかさはあるわな」
「ぅ……ぅん」
「けど……んな事聞いたらセクハラだぞ?」
「うっ……」

 セクハラはしたくないと言う考えが働いたのか、銀次が黙り込んでしまった。確かに女の人のバストを聞こうとすれば、これ、立派なセクハラ也。

「んー……じゃぁ……いつ元に戻るの??」
「さぁ?」
「え?!」
「その時によってまちまちだな」
「そう……なんだ……」

 銀次に体の秘密がばれてしまった事に蛮は不機嫌である。その証拠に煙草の消費量がいつもより早いし、声のトーンもかなり低くなっている。そんな蛮にこれ以上質問を重ねない方がいい、と判断した銀次はしょぼん……と俯いた。

「あと誰にも言うなよ?」
「へ?」
「お前口軽いから」
「……あい……」

 銀次に念を押すと満足したのか、蛮が立ち上がった。そのまま少し伸びをするように体を伸ばすとおもむろに歩き出す。

「え?……ちょ、蛮ちゃんどこ行くの!?」
「どこって波児んとこ」
「コーヒー飲みに?」
「それ以外何があるよ?」
「……波児さんは、知ってるの?体の事」
「いんや、知らねぇはずだ」
「じゃあ駄目」
「はぁ?」

 蛮に確認を取るとやはりといった感情の篭った銀次の言葉。脱力したのか側の木に額を当てて寄り掛かっている。

「蛮ちゃん……前になっちゃった時はいくつだったの?」
「前は……12・3、かな?」
「……ってことは卑弥呼ちゃんですら知らないんだ?」
「おう、日本に来てから滅多に来なくなったからな」
「ん。よく分かった……
 とにかく蛮ちゃんは俺がここに戻ってくるまでじっとしてて」
「あ?なんでだよ?」
「と・に・か・く!!」
「ッ??」
じっとしてて。いい?」
「……あ、あぁ」

 まだ腑に落ちないといった表情の蛮をその場に残し銀次は目的物入手の為に走り始めた。
 まずは口の堅い人を探さなくては……

 * * * * *

 2・3時間が経過した頃。
 タバコもとうに尽き、正直どうしたものかと迷い始めた蛮の元に紙袋を抱えた銀次が戻ってきた。
 どこまで行って来たのか?汗だくだ。

「おっせー……何してたんだよ?」
「ちょっと……マリーアさんのとこまで……」
「マリーア??」

 明らかに不機嫌な音を含ませた声を気にする事なく、銀次は蛮の手に紙袋を押し付けた。

「今からこれに着替えて!」
「これにって……女もんじゃねぇかッ!」
「いいから……着・替・え・て

 何やら今日の銀次はずいぶんと威圧的であり、蛮でも逆らえそうにない雰囲気を読み取った。
 ここは大人しく従った方が良さそうだ…嫌そうな顔をしつつ、紙袋と睨めっこをしてもう1度銀次の顔を見た。そこでようやく諦めたといった溜息を漏らし、立ち上がる。

「……着替えりゃいいんだろ?」
「うん」

 蛮の言葉に銀次の顔が明らかに喜びの色を映している。それに内心毒づきながら一先ず先程巻いたサラシを外しにかかる。そこでふと思いついた。

「……銀次?」
「うん?」
「……人様の着替えを眺めるつもりか?」
「ッ!!ごめん!」

 蛮の指摘に銀次が慌てて後ろを向いた。どうやらレディースの服を用意してきたとはいえ、蛮には変わりないのだからいつも通り全く気にせず生着替えを見てしまうところだった。蛮は蛮でも今は女の子……どうも調子が狂ってしまうらしい。

「……」

 背中越しに布擦れの音が聞こえ始めると銀次は途端にどきどきし始めた。先程までは蛮の変化に慌ててはいたが、冷静になってみると銀次はとんだ事になっていると気が付いた。

―……『女の子』と二人きり?

 その考えが頭に浮かぶと途端にたれて目を回し始めた。頭の中でそうとう焦っているらしい。その証拠に行動にまで考えている事が反映されている。

「……おい」
「んあっ!?」

 顔を赤めつつびちびちと暴れていた所に蛮の蹴りが見舞われる。いや、蹴りというよりも踏み潰し、といった方が正しいだろう。

「一人で何やってんだ」
「あ……着替え終わったん……」

 体にぴったりフィットする真っ白なブラウス。胸元はいつも蛮が着ているシャツのようにV字に開き大きな襟が付いていた。首には別珍で出来た黒いチョーカー。中央に雫の形をしたガラスがぶら下がっている。袖はなく、手首に細いチェーンが巻かれていた。腰の両サイドは編み上げ状になっており、腰の細さを強調させる。赤いチェックの短い巻きスカートに膝まであるサイドにベルトが付いたブーツ。白い太腿が惜しげもなく曝されている。

「……蛮ちゃん?」
「……似あわないだろ」
「そんな事全然ないけど」
「……全然ね……」
「あのさ……」
「あ?」
「スカートの下何かはいてる?」
―ドゲシッ!!

 再び気になる発言をしてしまった銀次の頭に蛮の足が振り落とされた。

 * * * * *

「蛮ちゃん……まだ痛いんだけど……」
「余計な事聞くからだろ」
「だって……気になっちゃったんだもん」

 銀次の最終チェックにより、下の髪だけを撥ねさせて細いベルトの付いた黒革のキャスケットを被り、サングラスを外した状態になっていた。
 なによりもあの丸サングラスは蛮の大きな特徴になっている。そして蛮の瞳の色嫌いも手伝ってなかなか外してくれなかったが、紙袋の中にカラーコンタクトが入っているのに気づき、外させる事に成功した。なので今の蛮の瞳の色は鮮やかな青紫ではなく黒曜石のような真っ黒な色になっている。
 サングラスを外させた事が気に障ったのか蛮は先程から銀次と眼を合わせない。顔を覗き込もうとすると途端にふいっと違う所を向いてしまうのだ。まぁ当然の反応だろう、と銀次は覗き込むのを諦めた。
 そんな訳で今ようやく波児のいるHONKY・TONKに向かっているのだった。横でぶつぶつ文句を放つ銀次を適当にあしらって蛮は黙々と歩く。銀次と歩いて分かった事が蛮の機嫌を更に損ねているようだ。

「……蛮ちゃん、普通に歩いていいよ?」
「……普通に歩いてる」
「十分早歩きになってるって……」

 そう、体が女性になった為身長が縮んだとともに、当然ながら歩幅も縮んでしまったのだ。そうなるといつも通りに歩く銀次に追いつこうとすれば必然に歩調を速めなくてはならない。

「蛮ちゃんの歩調に合わせられるからさ」
「合わせなくてもいいっつーの」
「だって……」
「ねぇお嬢ちゃん」
「そんな奴相手にすんの嫌っしょ?」
「俺らと遊ばない?」

 銀次が渋りだした時、蛮の行く手を3人の男が塞いだ。かけられた言葉の意味が飲み込めないとばかりにキョトンとする蛮の横で、銀次がやっぱり……と溜息を漏らす。

「付き纏われてむかつくいてんでしょ?」
「しつこいよねぇ〜……ずーっと付いてきてさぁ」
「ずっとしかめっ面になっちゃって……鈍いよねぇ」

 ようやく蛮が目の前の男どもが自分をナンパしているのだと気付き、ぽかんとした顔で横の銀次を見上げた。すると銀次はひょいと肩をすくめて「ほらね?」と眼で語っている。動かない蛮に焦れたのか男の一人が蛮の腕を取り強行手段に出た。

「ほらほら早く行っちゃおうよ」
「楽しいとこいっぱい知ってんだからさ」
「ぱーっと夜まで遊んじゃってもOKだよ」

 さすがにこのまま連れて行かれる筋合いもなければ、行く気もさらさらにない。そう考えて正気を戻した蛮は男の手を思い切り振り払った。その意外な力強さに男は呆気に取られ、その間に蛮は銀次の元へと戻る。
 その行動に眉を顰めた男たちをきっと睨みつけ、銀次の腰に抱き着いた。ぎゅっとしがみ付くその姿に銀次は一瞬驚いたが、すぐに抱き寄せるように腰に腕を回して仲良さげに歩き出した。
 ……後に残されたのは未だ呆然と立ち尽くす男たち。

 * * * * *

 ようやくHONKY・TONKの見える所まで来るのに、蛮は大いに疲れているようだった。
 ここに来るまでに女性向け月刊雑誌のインタビューを申し込まれたり、また別のファッション雑誌で写真をせがまれたり、街角カップルなんてものからも取材を頼まれた。果てには芸能事務所なんてものからのスカウトもあったりしたのだ。細身に、出るとこは出てるといったナイスバディと色白で整ったパーツと来れば声が掛かるのは当然である。普段ではありえない勧誘の嵐に疲れない方がおかしい。
 銀次はというとそんな蛮を気遣いつつも少し嬉しそうにしている。いつもと違うといえど恋人が人目を引くというのは嬉しいものだ。

「大丈夫?」
「……なんとか……」
「もうHONKY・TONKに着いちゃうけど……」
「……ん……」

 銀次の言葉に蛮は帽子を深く被り直す。店の中の気配を察するに店長、店員の他にも誰かいるようだ。
 覚悟を決め、一つ溜息を漏らすと再び銀次の腰にかじり付いた。それに銀次はこっそり笑みを漏らすと扉を開く。

「いらっしゃー……」
「あれ?」

 看板娘二人の明るい掛け声が瞬時に疑問へと変えられる。波児ですらぽかんとしていた。

「あれれ?蛮さんは一緒じゃないんですか?」
「ん、うん。今日は別行動なんだ」
「へぇ……珍しいですね
 お二人が別行動なんて……」
「あはは……」

 曖昧な答えと照れ笑いのような表情を浮かべて奥の席へ移動しようとすると、そこには意外な人物がいた。

「おかえりなさ〜い♥」
「マリーアさん!?」

 名前にぴくりと反応をした蛮だったが、あえて何も言わず、マリーアの出方を待っているという方が正しいだろう。マリーアの座るBOX席の窓側に蛮を座らせ横に自らが座る。みんなの視線から少しでも蛮を隠す為だ。

「どうしたんですか?マリーアさん
 お店から出てくるなんて珍しい……」
「えぇ、銀次くんに預けた姪の様子を見に♥」
「……姪?」
「あ、マリーアさんの姪御さんだったんですか?」

 マリーアの言葉に反応をした夏実が銀次ごしに蛮へと視線を投げる。蛮はというと何を頼もうかと選ぶふりをしてメニューに顔をつき合わせていた。

「えぇそうなの。銀次くんに新宿を案内してもらったのよ」
「なるほど……それで別行動を」
「いいのか?銀次、蛮をほったらかして」

 にっと笑顔を作りながら波児が鋭い質問を投げかけた。……とはいえ本人は鋭いとは思っていないのだろうけど……

「蛮は今私の家に来てるの
 ちょっと手伝って欲しい事もあったし……
 それでね、銀次くん」
「あ、はい!」
「姪をもうしばらく預かって欲しいの」
「へ?」
「そうね……もう2・3日でいいんだけど」

 マリーアの言葉に蛮がぴくりと反応を示したのに銀次は気付いた。どうかしたのか?と聞きたい所だが先にマリーアが口を開いた。

「どうかしら?」
「え……えと……」

 返答に困りかねて蛮に視線を送ると、急にぺたっと張り付いた。その行動に銀次が驚いていると……

「そう、銀次くんが気に入ったのね♥」
「ほえ?」
「それじゃ銀次くん、もうしばらくよろしくねぇ〜♥」

 そう言うと即座に席を立ち花を散らして店を出て行ってしまった。残されるは呆気に取られた4人と未だに張り付いている『設定上の姪』。

 * * * * *

 結局HONKY・TONKで蛮は一言も喋らず、『シャイな女の子』という印象を植え付けて出てきた。帽子を目深に被っていたおかげもあってか、誰一人として蛮だと気付く人はいない。
 その事のおかげかは分からないが、蛮は店を出て以来どこか上機嫌だった。今も銀次の手を取り、自ら指を絡めて繋いでいたりなんかする。

「蛮ちゃん……機嫌いい?」
「ん?まぁな」
「?何かあったっけ?」
「元に戻る日付けが分かった」
「え!?」
「マリーアが言ってたろ?2・3日預かれって」
「あ、あれってそういう意味だったんだ」
「そういう事」

―どうりで上機嫌なわけだ……

 納得のいった銀次は軽い足取りで歩く蛮を盗み見てふと空を見上げた。そうして頭の中で計画を積み上げ始めた。

―2・3日って事は2日は確実にあるって事だよね
 2日で足りるかなぁ?
 渡された服結構あったしなぁ……それよりも蛮ちゃんを説得しなくちゃ……
 マリーアさんの交換条件っていったら大丈夫かな?

 銀次が考えを巡らせているのは、服を借りに行った際、マリーアに出された条件をどうこなすかだった。条件はいたってマリーアらしいもの。

『蛮にあれこれ服を着せて渡されたネガ分の写真を撮りまくる事』

 きっとマリーアの蛮コレクションを増やすつもりなのだろう。銀次のオネダリとマリーアの条件だという脅しという名の言葉のW攻撃を受けた時点で蛮の敗北は眼に見えているが……

 果たして写真を撮るのみで終わったのか……皆様のご想像にお任せしましょう。



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