「……っ……」

 真夜中にふと目が覚めた。闇の中で微かに呻く声が聞こえる。上体を起こして隣で眠る銀次を見やるとその表情は苦しげに歪んでいた。

―……魘されてんのか?

 また「赤屍さんがッ!」って言って魘されてるのかと思い軽く溜息を付いて再び寝入ろうとした。けど……

「……ちゃ……」
「……?」
「ばん……ちゃ……」
―俺か?

 どんな夢を見てるかなんざ分かるわけがない。でも俺の名を呼んだって事は俺が出ているのは確かだ。
 表情を見てもとても楽しそうには見えない。汗が浮かび、布団を掴む手は血管が浮くほどの力が入っているのが分かる。
 不意に溺れたかのように宙を掻き出した手。必死である事はすぐに見て取れる。

―起こしてやった方がいいか?

 そう思った俺は今にも泣きそうな顔で寝ている銀次の腕を掴もうとした。……が……

「!」

 宙を掻き回してた銀次の手が伸ばした俺の手首を掴む。それで目が覚めるかと思ったが、どうやらまだ覚醒はしないようだ。

「……銀次?」

 そっと呼びかける。けれどまだ覚醒はしない。
 手首を掴む手に力が加わる。力一杯掴まれれば指先が更に白くなっていく。

「銀次?」

 顔を覗き込むようにして、はっきりとした声で名前を呼ぶ。そしたらびくりと体が揺れて瞳が開かれた。
 今まで息を止めていたかのように呼吸が荒くなってる。……よほどの悪夢だったんだろう。
 開かれた琥珀の瞳は未だ現実には戻りきれてはなかった。

「………」

 強張ったまま解れる事のない体。ふと顔を近づけると銀次が慌てて目を閉じた。お構いなしに額へ口づける…すると少し安心したのか手の力が僅かに緩んだ。前髪を上げてもう一度額にキスを落とすと、立て続けに目尻、頬、鼻とキスを散らして、唇にも柔らかく触れて離れていった。

「……落ち着いたか?」

 まだ意識がはっきりしてはいないみたいだが、さっきよりは幾分かマシになっただろう。頷いて返事を返してきた。
 少しは緊張が解れたはずだが、掴んだ手は未だにしっかりと握られたままだ。

―ったく……そんなに嫌な夢だったのか?

 しょーがないな、とばかりに空いた方の手で髪を柔らかく梳いて、撫でてやる。するとくすぐったいのか、ちょっと瞳を細めて見上げてきた。
 ……こうしてるとマジで犬みてぇ。

「……蛮……ちゃん……」
「うん?」

 そんなことを考えて内心笑いながら撫でつづけていると銀次がようやく口を開いた。少し震えた声…すぐに返事を返すと、泣きそうな顔で微笑んでそっと手を離してくれた。
 そしたら今度はずるずると体を移動させて腰元に顔を埋める。腰に腕が回り、ぎゅっとしがみ付いてきた。落ち着いてきたのか、呼吸が徐々に安らいでいくのが聞こえる。…もう一息ってとこか…

「どうした?甘えん坊」
「……うん……」

 ちょっとは心に余裕が出てきただろうと思い軽口を聞くと、曖昧な返事を返してきた。
 ……ほんと、しょーがねぇ奴。
 悪夢がそんなに怖かったのかよ。

 銀次がこういう行動に出て…夢で俺の名を呼んだってのを合わせて考えりゃ、だいたい夢の内容も掴める。
 置いてけぼりにされたんだろ。こいつが一番嫌う事だ。
 しかも今ずっと一緒にいる俺が置いて行ったってんだからかなり必死だったんだろ…

 まぁ……この間もチャイナストリートにほっぽってきたんだけどな。
 本人が身を守る術をなくされちゃ、何が起こるか分かりゃしねぇとこなんかに連れて行けるわけがねぇ。無駄死になんざさせたくねぇからな。

 視線を下ろすと銀次がまだ顔を埋めたままじっとしてた。
 ちっと考えりゃ有り得ない夢だって分かるだろに……
 ちっせけ頭でぐるぐる考えてんだろ。
自信もってもうちっと自惚れろってんだ。

 ……とは言っても……
『絶対』ではないんだけどな。
 きっと……
 そう遠くはない未来で俺は銀次を置いて行くだろう。
 時が本格的に動き出せば…もう後には引けない。
 俺は銀次を、置いて行く。
 前に立ちふさがろうものなら……その両足をもぎ取ってでもその場に置いて行く。

 それは……俺のエゴ。
 『銀次を失いたくない』という俺の勝手。
 運命なんざいくらでも捻じ曲げてやる。
 ……俺から『銀次』を奪おうなんざ、許さねぇ。

 ふと腰で銀次が動いた。じっと見てたら目だけで見上げてくる。視線が合わさると照れたように笑って、慌てて顔をまた体に埋めた。

―……何やってんだか……こいつは、まるで『デカイ子供』だな。

 とりあえずそのまま気の済むようにさせる。こういうのは本人が治まるまで待つべきだろ。無理に立たせようとしたら逆に傷付けるだけになりかねないし……
 しばらく放置してたら腰に巻き着いた腕からすぅっと力が抜けていった。

「銀次?何か温ったけぇもん飲まねぇ?」
「?」

 頃合を見計らって声をかける。するともぞっと頭を動かして目で訴えてきた。何を?って聞きたいらしい。少しは元気が出てきたようで俺はにっと笑いかける。

「ココアとか……ハニーレモンとか……
 ま、お子ちゃまにはミルクがいいかもな?」

 と言って子供扱いをしてやった。するとさすがにむっときたのか、腰を思い切り絞めて反撃に出る。『言葉』を使わないってのが銀次らし過ぎて俺は耐え切れず笑いを漏らした。『降参』の言葉の代わりに両腕を上げる。

「いでででで……痛いっての
 んな力一杯すんなって
 んで?ココアとハニーレモンどっちがいい?」
「……ココア……」
「ん、了解」

 ぽつっと囁くような声だが答えた事を良しとする。十分に落ち着いたであろう銀次の腕をそっと外してベットから抜け出した。
 見上げた顔がまだ不安そうな色を浮かべていたのでキッチンまでの道のりにある扉を全て開け放って行った。
 こくすりゃ寂しくはないだろ。
 冷蔵庫で冷やしてあるチョコを取り出すとソレを細かく刻み始めた。ココアの粉なんて高価(笑)なものが俺たちの部屋にある訳がなく……夏実ちゃんがくれた板チョコの残りだ。それでも銀次の注文通りのものは作れるだろうと思い黙々と作業を進める。
 するとリビングと寝室の間を仕切るドアが閉まる音がした。ふと顔を上げるとカウンター越しに向かい合って座り込む銀次の姿が見える。するとまた照れた笑みを浮かべて、立てた両膝に顔を埋めて大人しく待っていた。

 銀次の夢が現実になるかなんざ分からねぇ。
 なったとしても……それはまだ先の事だ。

 ひとまず『今』は、この照れた笑みを浮かべる『デカイ子供』を慰めようか。




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