―10―

 ぽたっ……と音がして、太腿にじわりと広がる感覚がありました。歪む視界の中で赤い花弁がひらひらと舞い落ちていきます。腕の中の重みがとてつもなく重く感じはしましたが、蛮は決して離しませんでした。頭上を覆っていた雷雲は徐々に解け、少しずつ星の散らばる夜空が顔を出し始めました。

―ぱりん……

 花弁が地面に触れる直前小さな光を放って消えました。それと供に小さく何かが割れる音がします。何事かと目を見張っていると、バラの木を包んでいた呪文が弾けています。あちこちで呪文が弾けると白い光の粉が木の上に広がっていきました。それは消えることなく、次々に弾ける光の粉が模様を描いていきます。

「!」

 弾ける音が少なくなってくるとバラの木の上には白く光る魔法陣が出来あがっていました。呪文の最後の文字が弾けると今度は風船が割れたような音がします。
 その音とともに魔法陣の中から人影が飛び出してきました。その人影は空中でくるりと回転すると魔法陣の上に着地してロッドを一振りするとポーズを決めます。

「愛のキューピッド・マリーア=ノーチェス参上Vv」
「マリーア!?」

 肩ほどまである華奢な造りのロッドをマイクスタンドのように扱い、一昔前のアイドルのような可愛い重視のポーズを取る女性…それは確かに先日までともに暮らしていた女性でした。

「久しぶり〜ばーん〜Vv」
「ぐえッ!!」

 豊かな胸を揺らしつつ魔法陣から飛び降りると一目散に蛮に抱きついてきます。ぎゅーっと抱きつかれ息苦しさにもがくとマリーアは漸く解放してくれました。

「蛮……泣いてるのね?」
「!……これは……」
「この子が死んでしまったの……悲しい?」
「……悲しくなきゃ……涙なんざ出ねぇよ……」
「そうね」

 そっぽ向きはしているものの、頬伝う涙は間違いなく泣いた証拠であり、胸の中で微動だにしない体を抱き締める力は一向に緩んでいません。

「この子の事……どう想ってる?」
「あ?」
「単なる可哀想な子?」
「……違う……」

 ぽつりと……しかししっかりとした口調で呟かれました。
 その時になって漸く腕の中の銀次に視線を落とします。顔がよく見えるように仰向けに寝かせて、額に張り付いた髪の毛を掻き上げてやりました。
 苦しみの色は一切伺えず、穏やかな表情の銀次に蛮はまた目頭が熱くなるのを感じました。まるで眠っているだけのように見えるからです。

「可哀想とか……そんなんじゃねぇよ……」
「……じゃあ……どう想ってるの?」

 小首を傾げて聞いてくるマリーアを、蛮は一度顔を上げて見つめました。そうして少し笑うと瞳を閉じ、銀次の額にそっと口付けます。

「好き……だったよ……」
「……」
「こいつの言葉を借りるなら……
 『好きって言葉じゃ足りないくらい好き』だ」
「……それは……」
「……愛してる……」

 口から出る言葉は止まるところを知らないように蛮から溢れてきました。その言葉を呟いた蛮がどこか嬉しそうに…でもとても悲しそうに笑ったのをマリーアは見つめています。
 僅かな沈黙を破ったのはマリーアでした。

「蛮……渡したい物があるの」
「?」

 再び顔を上げるととても優しい笑顔を向けられました。そっと片手を取られるとその手に『赤』が置かれます。

「……バラ……?」
「そう……最後のバラ」
「!?」

 マリーアの言葉に蛮の目が見開かれました。じっと見つめる先でバラは微かに赤く光り始めています。

「蛮がここから貰ってきたバラよ」
「え?でも……」
「このバラは『散った』わけではないわ
 『散らされた』わけでもない
 『切り離された』のよ」
「……じゃあ……」
「タイムリミットに間に合ったの」

 マリーアの言葉を待っていたかのように手の中でバラが輝き始めました。どこからか風が吹き光を銀次の体へ……城全体へと運んでいきます。

「この魔法は私が彼に魔法をかける前の状態に戻すもの」
「……前の?」
「そう……魔法をかける前……つまり……
 彼がまだ普通の人の姿で生きていた時の状態に戻るのよ」

 風が止み光が消え失せました。マリーアがふと顔を上げると空の雲は消え去り、月の光が輝いています。次いで城へと視線を送ると、黒と灰色の城塞は、白い城壁の明るい姿へと変わっていました。
 それをぼんやりと眺めていた蛮の足元で動く気配がありました。慌てて視線を下ろすと閉ざされていた琥珀の瞳が開かれるところでした。

「……蛮……ちゃん?」
「……銀次」
「蛮ちゃん?……泣いてる?」
「いや……目にゴミが……」

 慌てて目を擦ろうとした手を銀次にどけられると瞼の上からキスを与えられました。目尻に滲む涙を吸い取られると自然と唇同士が重なります。あまり長くなくそっと離れると二人は笑い合いました。

「……魔女……さん?」
「お久しぶり、王子様」
「この前は……どうも……」
「夜も遅いし……泊まらせていただけないかしら?」
「うん、もちろん。こんな城でよければ」

 そうしてこの二人も互いに笑い合います。銀次の後ろで動く気配がしました。

「あれ?蛮ちゃん??」

 ようやく上体を起こして座った銀次が振り返ると蛮がつかつかとどこかへ歩いて行くところでした。

「どこ行くの?蛮ちゃーん」
「もーう……限界だッ!これ以上付き合ってられっか!」
「えー?」
「どうしてー?もう少しで終わりよ蛮ー?」

 早足で歩き去ろうとする蛮に銀次とマリーアが追いついて来ました。

「ここまで付き合っただけでも上等だろが!」
「えー?でもあと1シーンで全部終わりなんだよ?」
「そうよ蛮 あと結婚式だけじゃない」
「あ!ウェディングドレス着るのが
 嫌だったら二人ともタキシードでもOKだよ?」
「式自体が嫌だっつーの」
「え〜」
「でもねぇ蛮、ギャラ引かれちゃうわよ?」
「!」
「……やっぱりそこで止まっちゃうんだ……蛮ちゃん……」
「あったり前だろ……なんの為に受けたと思ってんだ」
「えーと……全10本で最後の1本が途中放棄って事だから……
 ギャラは一割引きになると思うよ?美堂くん」
「何!?」
「まぁそれが妥当だろう……どうする?美堂」
「う……ぐ……」
「雷帝はもちろんするつもりだろうが……あとはお前次第だ」
「ばーんちゃーん」
「それにここまで来たら最後までしなければ
 小道具係の朔羅とワイヤーアクションチームの
 士度と笑師の苦労が報われないだろう」
「うぅ……だ……だいたい!
 バーチャルセットが懲り過ぎなんだよ!
 余計にやり辛いじゃねぇか!」
「あぁ……確かにすごいよねぇ」
「さすがマクベス」

 そんなに誉められても何も出ないよ?

「あ、ナレーションだったんだ」

 えぇ。僕自身は出ないで済むので話しながら場面調整ができるんです。丁度良かったですよ、このポジション。

「おいこら!パソコン小僧!さっさとここから解放しやがれ!」

 え?じゃあ最後のシーンは放棄するんですか?

「……収録なしでならやってもいい……」
「蛮ちゃんVv」
「良かったわね〜銀ちゃんVv」
「収録なし……ですか……」
「記録を残すのが嫌なんだろう」
「……まぁ分からんでもないが」

 困ったなぁ……記録は残しておきたいんだけど……

「放映はなし……っていうのはどうですか?
 それなら美堂さんも妥協出来ると思うんです」
「うわぁ!マドカちゃんのドレス可愛いVv」
「あ……ありがとうございます
 バイオリンの演奏を頼まれたので動きやすいものを
 選んだんですが……」
「全然OKよVvマドカちゃん」
「ほら美堂くん、マドカちゃんもこう言ってる事だし……」
「放映なしでどうだ?」
「うー……」
「蛮ちゃん、最後までしようよ〜」
「もとはと言えばお前がこんな事したいなんか言い出すからだろ!」
「はぅッ」

 美堂くん?僕は記録が残ればいいわけだから放映なしでもちゃんとギャラは払うよ?

「……分かった……本ッ当に放映すんなよ?」

 OK。もし誤って放映した場合は賠償なりなんなり払うよ。

「よし……んじゃとっとと終わらせるか」




 互いの愛を確かめ合った天野銀次と美堂蛮はめでたく婚約し……

「ちょっと待て!タキシードでいいって言わなかったか!?」
「え?だって放映なしならOKなんでしょ?」
「ドレスまで許可した覚えはない!」
「でも蛮ちゃん、ほら結構みんな待たせちゃってるし……
 さ!行っくよ〜Vv」
「あッこら!抱き上げるな!スキップするな!
 着替えさせろぉ〜!!」

 ………
 何はともあれ無事に婚約を果たし今なお幸せにくらしております。……とさ?

―END―

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