煙管を持っての撮影も順調に進んだ。いくつか手の形を変えて撮っていたが、流し目になる度にクリスとミレイナの黄色い声が響いている。集中力が切れるのでは?とも思うがそこはプロ…というか…没頭し過ぎて気にしていないようだった。

「よし…カメラの設定を変えたいから。その間ちょっと休憩しようか。」
「了解した。」

何度かシャッターを切ったところでアレルヤから指示を受ける。小休憩を挟めるようだ。

「…ふぅ…」
「?…どうした?」

スメラギから言い渡されたままにずっと階段の影にいたニールがため息を漏らしている。首を傾げつつ覗きこもうとするとそれよりも先に顔を覗かせた。

「見えないとこのはずなんだけど…緊張する。」
「…現場の空気…というやつだな。」
「うん…かな?」
「出てきたらどうだ?」
「え?」
「体を伸ばした方が楽になる。」
「…そっか。」

顔を出すだけのニールに提案をしてみればずるずると這い出してきた。その動作は本当に気疲れをしているように見えて苦笑が浮かんでくる。さきほどまでスメラギとティエリアと一緒になってあれやこれやとさくさく話しあっていたのに…とちょっとしたギャップに…まだ子供なんだな…と妙な安心感を味わった。

「…仲良いわねぇ…」
「見てる方も楽しくなりますよね。」

うんと大きく伸びをしたニールが首の筋を違えただのと賑やかに話しているのが聞こえてくる。それに対する刹那も特に邪険にすることなく、落ち着かせるように何か話しかけているようだ。そのほのぼのとした光景が現場の空気を和ませていた。

 * * * * *

「は〜い、これが最後の一枚〜…ハイ、OK!お疲れ様〜!」

アレルヤの掛け声を最後にスタジオ内へ張り詰めていた空気が和らいだ。各々に声を掛け合い、仕事の出来を労っている。

「…ふぅ…」

ずっと隠れたままだったニールが這い出してくると、段の上に腰掛けたままの刹那が一つため息を溢していた。

「…さすがに刹那でも疲れた?」
「あぁ…慣れない事はやはり気を張ったままになってしまうからな。」
「そっか…お疲れ様。」

普段はいかなる事に対しても特に表情を動かす事のない刹那が珍しくそのポーカーフェイスを崩した。本当に気を張りすぎて疲れてしまったのだろう。座ったままの刹那の方が低い位置に居る為、手を伸ばせばすぐに届く頭をそっと撫でてやると、驚いた顔で見上げてきた。それでもにっこりと笑って撫で続けるとほわりとその表情が動く。

「…ニールも、お疲れ様。」

微笑み返してくれる顔が嬉しくて笑みを浮かべると手を滑らせていった。ウィッグとはいえ、それなりの代物を使っているだろう、手触りのいい髪に…作り物とはいえ手放しがたく感じてしまう。指を軽く絡めてするりと滑っていく毛先を追いすがることなく見送った。

「さ、片付けるわよー!」

つい今しがたまでの軽い疲労感など吹き飛ばす勢いのある声に二人は顔を上げた。セットをばらさなくてはならないだろうと、早々に撤退する事にする。

「アレルヤ?」
「え?あぁ、片付けですよね。」
「うん。そうだけど。」

再び賑やかになったスタジオ内をそれぞれが己の仕事に入っていく様を見つめていたスメラギは満足気に笑っていた。しかし、ふと横を見てみると、アレルヤが再生機能を使っているのかカメラのモニタをじっと見つめている。声を掛けてみると何もないように答えて片づけへと入っていったのでそれ以上は何も聞けなかった。

「ね、ね。この後みんなで御飯食べに行くんだけど。一緒に来ない?」
「え?」

セットの中から引き上げる刹那の衣装をさり気無く持ちながら裾を踏まないように、とゆったり歩いていた。すると、エスコートするように横へとやってきたクリスからぽん、と尋ねられる。ふと腕時計を見てみるともう五時前だった。

「どうかな?」
「…えーと…刹那はどうする?」
「俺の方はどちらでも構わない。遅くなるかもしれないことを想定して夕食も作ってきてある。」
「え!刹那ってお料理作れるの!?」
「そんな大したものではないが…」
「ケーキとか焼き菓子がめちゃくちゃ美味いよ。」
「あーんっ!食べてみたぁいぃ〜!」

さり気に言葉を添えると身悶えるような動きをするクリスに、なんだか同級生の女の子と変わらないなぁと笑ってしまう。

「ニールはどうするんだ?」
「んー…行ってみようかな…色んな話とか聞けて楽しそうだし…」
「うん、うん!おいで、おいで!おうちに電話するなら事務所の使えばいいし!」
「えと…じゃあお邪魔します。」

ぺこりと頭を下げると、クリスはやったぁとばかりに両手を上げて万歳までして見せる。そんな彼女に刹那が小さくほほ笑みを浮かべたのをニールはちらりと見上げていた。

「ニール、早めに電話しておいた方がいいと思う。」
「へ?」
「そろそろ夕食の準備を始める時間だろう?この衣装にも慣れたから1人でも歩ける。」
「あー…うん、分かった。」

刹那の助言にクリスと一緒にニールがフロアから出て行ってしまう。小走り気味になる二人の背中を見て刹那はもう一度微笑んだ。

「…ごめんね?」
「え?」

先ほどまで持ってもらっていた裾を持ち上げようとすると、スメラギの声がかかる。顔を上げれば苦笑を浮かべる彼女がさり気に持ち上げてくれた。

「本当はもうあと…最低2年は待てるつもりだったんだけどね。」
「…何か…事情が変わった…とか?」

ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げる。ゆったりと歩きながら問いかけると、苦笑は更に苦々しい色を強めてしまった。

「えぇ。ちょっと…他の支部がねぇ…」
「…アメリカと…ヨーロッパ?」
「そ。アメリカの方は慎重に進めることに異議はないし、構わないって言ってくれてたんだけどねぇ…ヨーロッパの方がさ。」
「…痺れを切らせた…と。」
「うん。さっさと旗揚げして市場を牛耳ってしまいたいって考えなのよ。」
「……強欲…とでも言おうか…」
「ホントにね…って一応同じ社内の人間だからあんまり言えないけどさ。」

素直な感想を口にすると彼女も同感なのか、まったく…とため息交じりにそんな事を言ってのける。その言葉に小さく笑って見せると彼女もいくらか和らいでくれた。

「大人の事情に巻き込んじゃって申し訳ないなぁ…って、ね?」
「…気にしないでくれ。」
「うん?」
「正直に言うと…俺自身もかなり焦っていた。」
「?刹那が?」

あまりよく見えない足元に注意を払いつつ歩く刹那は自然と俯き加減になってしまう。その横顔を見上げて今度はスメラギが首を傾げた。その瞳がどこか遠くを捕らえてぼんやりと、先ほどまでの強い光を失ってしまったように見えるからだ。

「ニールは…これからあらゆるものを取り入れてどんどん成長できる年齢だと思うが…俺の方は…」
「…大人だから変に経験とか知識が邪魔して無理じゃないか…って?」
「…あぁ。どんどん自分の世界を広げていくニールを見て…不安だった。」

ともに歩むと、同じ夢を目指すと言ったものの次々と色々な形を作り上げて見せるニールに対して、刹那はいつだって受け身でその形を作る手伝いしかしていなかった。自分自身で作り上げること…自分で『世界』を広げていくこと…それらの点について酷く後れを取っているだろう刹那は自身に対して苛立ちを覚えている。
その小さな体に多くのものを取り入れて見せてくれるニールについていくのが精一杯の刹那はいつだって焦りを感じていた。

「そっか。」
「………」

刹那の独白を聞いてスメラギはただこくりと頷いてくれた。すべての思いを理解してはいないだろうけれど、共感してくれただけでも心はいくらか軽くなる。

「…でも…ま、人間誰しも不安なんてのはあって当然なんだし。今自分が出来る事を100%の力でこなして行く。…それでいいんじゃない?」
「………」
「ね?」

ぽつりと紡がれた言葉に刹那は思わず立ち止まってしまう。そんな彼にスメラギもぶつかる事なく立ち止まって、先ほどとは打って変わった満面の笑みで見上げてきた。さらには念を押すように首を傾げて見せる。

「…ふ…あんたのその前向き思考…勉強になる。」
「ふふ。ありがと。」

いつまでも立ち止まり、悩んでばかりでは前に進めない。完璧でなくていい…自分の実力が足りないと分かっていなくても…今の自分で精一杯することが間違っていない…むしろ先に進むために必要なこと。そう言った意味でのスメラギの言葉に刹那は柔らかく微笑みをこぼすのだった。

「私はね…あなたに惹かれたんだと思うの。」
「え?」

唐突にぶつけられた言葉に刹那はきょとりと振り返った。スメラギの表情は決して茶化すような色ではなく…真剣そのもの。

「あなたの故国の事知ってるわ。」
「!」

肌や髪、顔の作りなどから割り出したのだろう…スメラギの言葉に刹那は顔を強張らせた。

出てきた故国は…多くの負の感情に溢れかえっていた。奪い奪われ…無くし…失い続ける国…そんな国で生まれた刹那は幼くして戦争孤児となった。廃墟と化した街を素足で走りまわり、いつ敵国の兵に見つかり殺されるか分からない…抗う術も、戦う術も持たないただの子供…アリーに見つけられたのは、そうやってただただ逃げ惑っているだけの時だった。

アリーは母国の末端兵だった。白兵戦を主に行う兵であるが…革命軍でもあり、彼を中心とする軍の暗躍部隊のリーダー…延々と続く負の連鎖を断ち切るべく立ちあがったのだ。
軍の上部から敵の抹殺命令を出されても…分からない様、装いながら、敵軍の人間を殺さず仲間として通じ、戦場で傷つき倒れた人間を救い上げてきた。更に、敵国の皇女であったマリナと通じて終戦へと向かうきっかけとなったのだ。
彼は部隊に引き取った上、『生きる』こと…生きる為に『戦う』ことを教えてくれ、さらに自身の持てるすべての生き残る術を教えてくれた。サバイバルの仕方…他人になりすます方法…ナイフの使い方から銃の使い方まで…もともと運動神経、動体視力ともに優れた刹那はすぐに教えられた事を吸収していく。
さらに俊敏性に長けていたので暗躍部隊の中でも最も危険とされる諜報員として敵地に潜り込み、必要ならばそこにいる人間の命も摘み取ってきた。その活躍は部隊の中でも1・2を争い、アリーの右腕として認められるようになっていく。
いつしか、ナイフを握り、銃を引く自らに違和感を持たなくなり、心の中が空洞を生み出すような感覚に陥っていった。毎日繰り返し見る人の顔は一様に無表情で…瞳に光を宿さない死の貌ばかり…部隊の人間は皆、疲れ切った顔はするものの、いつか訪れる平和を夢見て輝きを失わなかったが…刹那には『平和』そのものが分からない。何に希望を見出せばいいのか…それすらも分からず、ただ生きる為に戦い続けていた。

そんな戦いばかりの日々がようやく終わりを告げた。故国は吸収される事になるが、マリナの言葉により、その文化、生活は今までと変わりなく…共存という形で治まることとなる。アリーも刹那も…故国の裏切り者というレッテルを張られる存在になるはずだったが、マリナの取り計らいによって彼女の護衛を務めることになり、部隊の人間すべての素性を伏せられた。それどころか、支配をしない事を象徴するべく国を出る彼女に付いてニホンに来る事が出来たのだ。
本来ならば、人殺しとして牢に繋がれていたはずの人間…その考えからも刹那はこの国に馴染めないでいた。何より…戦いのない生活というのが分からない。物心ついた頃にはすでに戦場の中だったから…

「たくさんの悲しみ、怒り、苛立ち、苦しみ…そういった多くの負の感情を味わっていながら…失っていない、人の温もり、優しさを感じ取れる。久しぶりに見た時はもっと驚いた。無表情の中に押し込めてしまった優しさや温かさを滲みださせていたから。」
「…」
「きっと…ニールが教えてくれたんでしょうね。誰かといる喜びや安らぎを。」

彼女の言う通り…いつだって死は隣り合わせであり、温かな感情など味わったことなどなかった。けれど…このニホンに来て…ニールに会って…くるくると変わる表情や微笑掛けられる顔に心の奥から柔らかな温もりが滲み出していく感覚を知る。それは間違いなくニールの存在があったからだ。
その思いを胸にそっと瞳を閉じる。脳裏に今も鮮明に描き出されるのは…廃墟ばかりではなくなった。滅びた故国…その風景は死ぬまで忘れることはない。けれど…それらの白黒な景色を…色鮮やかに染め変えてしまえるだけの色彩を知った。
太陽の輝きを含む大地の色…美しい湖面のような碧色…白い肌に映る…生命の色。
知らなかった色をすべて持ち合わせた少年…ニール。
刹那の持つ世界を大きく広げるきっかけをくれた存在。小さいのに…とても大きく感じる彼に、刹那は新たな世界を与えられる。

「…そう…だと思う…」
「…やっぱり?」
「俺より小さいのに…誰かを包み込める温もりを持っている。横でいてくれるだけで落ち着けるんだ。」
「…そう…」

素直に言葉に紡ぎだして見せると嬉しそうに微笑んでくれた。この国に溢れるその表情…『平和』というものがどういうものか…具体的にはまだ分からない。けれどこうやって微笑み、笑い合えることが出来る。それだけでも刹那は満足だった。

「…何か…返してやれたらいいんだが…」
「……そこは心配ないと思うけどな。」
「え?」
「ま、自分で探してみなさいな?」
「?…あぁ。」

常々考えていたことをポツリと呟いてみると、スメラギは首を傾げる。何を言わんとしているのか分からずにこちらも首を傾げるとはぐらかされてしまった。そうなると聞き込むことも出来ずに結局流されることとなる。

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