時間は飛ぶように過ぎていき、日照時間が短くなってきたなぁ…と感じる頃。
青々とした葉をつけていた公園の木は日が経つにつれ、黄色になり、赤になりと色を変え、ついには茶色になってひらひらと落ちていった。気候が涼しくなったらまた公園の木の下で待ち合わせかと思いきや、ニールの勉強を見るためにも部屋の方がいいと判断したらしく、夏休みが終わっても刹那の部屋に通う日々だった。

「うー…んー…?………あれ??」

相変わらず通っているとはいえ、公園が下校の道にもなっている為、紐で行うサインはなおも続いている。今のところニールの都合が悪くなければ皆勤賞である刹那のOKサインを探すべく、木の根元に座り込んだのだが…お目当ての物が見つからない。OKであってもNGであってもサインは入っているはずなのだが、どちらも見当たらずにニールは首を捻った。

「…来てないのかな?」

上体を起こして腕組みをすると、サインを入れられない理由をぐるぐると考え込む。何か予定があるのならば前以て伝えてくれるはずだし、急用だったとしてもあの刹那が何の音沙汰もないというのもおかしい。何かしら手段を使って伝えてくれる…と思う。

「……???」

色々と考えるけれどやはりそれらしい理由は浮かばなかった。しばらく座り込んでいたが、一つ頷くと通い慣れた道を駆け出し始める。家を訪ねてみて留守だったら帰ればいい、とだけ考えて行くことにしたのだ。

 * * * * *

ぐらぐらと揺れる意識の中で自分を呼ぶ声が聞こえた気がして目を開いた。

「…?…」

いつも通りアリーと一緒に朝食を摂った後、ニールに何かお菓子を作るか…と料理の本を引きずり出してソファに座った記憶がある。ぺらぺらと捲っていつの間にか眠ってしまったのだろうか?部屋の中が薄暗くなっている。ぼんやりした頭でゆったりと部屋を見渡すとアンティークな音色が聞こえた。インターフォンの音だ。

「………」

誰だろう?と対応に出るべく立ち上がると視界が揺らいだ。

「…!?」

目の前がぐるりと回り足が縺れ、勢い良くソファへと体をぶつけて床へと倒れ込んでしまう。全く受身の取れない状態で倒れたせいか、肩を強打してあまりの痛さに小さく呻いた。起き上がることも出来ずに床へ無様に転がっていると玄関の方で扉が開く音がする。

「刹那!?」

涙が出ているからか、ぼやけた視界に見慣れた姿が映り込む。慌てて近寄ってきた彼の表情が強張っているように見えて首を傾げた。

「…にぃる?どうしたんだ?」
「どうしたんだ?はこっちのセリフ!」
「そういえば…がっこ…」
「もうとっくに夕方だよ!」
「ゆうがた?」

そこまで言われてようやく部屋の中が薄暗い理由が分かった。ぼんやりと瞬きを繰り返していると近くに座り込んだニールが額をぺたりと手を当ててくる。

「あっつ!熱あるんじゃん!」
「…ねつ…」
「刹那立てるか!?こんなとこに転がったままじゃダメだ!」
「ん…」

必死の形相をしたニールの言葉に頷いて上体を起こしてみたが、またくらりと体が揺らいでしまう。また床に転がりそうになったが、ニールが慌てて支えてくれてなんとか座る事に成功した。支えてもらっての状態ではあるが…

「…ちからがはいらない…」
「そりゃそうだろうよ…こんなに熱いんだもん…」

肩口に凭れかかっている刹那は布越しでも分かるほどに触れた部分が温かい。これは相当な熱を発しているようなのに、未だ自分の状況をちゃんと把握出来ていない刹那に呆れてため息を吐き出してしまう。いつまでも床に転がしておくわけにはいかないと思っても運ぶことも出来ず、動けるか確認してみればどうやら座るので精一杯のようだ。どうしたものか…と考えを巡らせているとリビングの扉が開かれる。

「さっきからガタガタ騒がしいってんだ、静かに寝かせやがれ!」

突然現れた男にニールはまるで豆鉄砲を食らった鳩だ。あまりにビックリしすぎたせいか言葉はおろか指一本動かせずに固まってしまった。そんなニールのことなど微塵にも気にかけていない強面の男は、寝起きだとすぐに分かるぼさぼさの髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと、考え込む風に両腕を組んですぐ横の壁に凭れた。

「…何モンだ?ガキ?」
「へ!?」

ドスの効いた低い声を掛けられて背筋がびりっと震える。同時にぶわっと噴出した冷や汗が背筋を滑り落ちた。震えそうになる手をぐっと耐えて何とか見つめ返す。けれど見つめ返すだけで他に何も出来なくなった。すぅっと瞳が細められて全身が粟立つと同時に視界ががくりと揺れる。

「わっ!?」
「………」

何事かと焦れば刹那がその胸にニールを抱え込んでしまった。顔を埋めるように抱き込まれ、訳が分からずパニックに陥りかけたが、深いため息が聞こえて暴れるのを止める。

「あぁ、はいはい。分ぁったよ…」

どこか呆れたような口調にぱちくりと瞬きを繰り返す。しかし目の前に広がるのは刹那の着ている上着の白一色で何が起きているのかさっぱりだ。顔を上げようにも抱き込まれたままでは不可能である。

「んで?てめぇらは座り込んで何やってんだ?」
「…おれがころんだのにてをかして…」
「ッ刹那!熱、ある!」

問われた内容に刹那はなんでもないような返事をしているので、慌てて拘束から顔を抜け出して片言になってしまったが適切な言葉を叫んだ。ニールのその言葉に男は片眉をぴくりと持ち上げ、刹那は渋面を向けた。機嫌を損ねたであろうその表情に…うっ…と喉を詰まらせたが、真実を告げているんだ、と開き直りぐっと見つめ返す。

「あ〜あ〜…ったく…面倒な…」

静かな攻防が繰り広げられかけた時、のそのそと近寄ってきた男がこれまたさも面倒だと言わんばかりに傍へ座り込んだ。何をされるのだろう?と内心ドキドキしながらじっとしていると…

ドスッ…
「ッぐぅ…!」
「ぅわー!!!!????」

刹那の頭をぽんぽんと軽く叩いたと思うといきなり手刀を首に打ち込んだ。あっという間の出来事で一瞬凍りついてしまったが、ずるりと倒れていく刹那にニールは真っ青になって頭を打ち付けないようにと抱きかかえる。

「うっせぇぞ、ガキ。」
「いやいやいや!病人に何してんだよ!?」
「あん?何って…気絶させた方が運びやすいだろ?」

しれっと返された答えにニールは思わず眩暈を引き起こしてしまった。

 * * * * *
「で?どう思う?」
「はい?」

あれから気絶した刹那をベッドに寝かせつけることに成功した。というのも、この男…アリーが意図も簡単に刹那の体を俵担ぎにして運んだからだ。それからとにかく頭を冷やそうと洗面器に水と氷を放り込み、タオルを絞って額に乗せてみると刹那の表情がいくらか和らいだ。目を覚ました時に飲ませる水を用意して、汗をかいた後に着替える物を用意したところでアリーがぽつりと尋ねてきた。刹那同様、この男も肝心な主語を抜かす癖があるらしく何のことだ?と問い返すと刹那の顔を指差しながら振り返る。

「風邪だと思うか?」
「そんなん俺に聞かれても分かるわけねぇだろ?」
「…だよな〜…」

ちょこまかと動き回っているニールを尻目にアリーはベッドの枕元に座り込んで刹那の顔をじっと見つめるばかりだ。本音を言えば邪魔だし、「刹那をじろじろ見てんじゃねぇよ、おっさん!」とか言いたいところだが、乗せたタオルの面を変えたり滲み出ている汗を拭ってやったりとしているのでぐっと我慢する。何せ刹那が先ほどから随分苦しそうな表情を浮かべているので気が気でないのだ。

「医者んとこ行かないとまずいよなぁ…」
「何?何か医者に行くとまずいことでもあるの?」

盛大にため息を吐き出しているアリーの様子が気になり刹那の様子を伺いがてら横まで来るとちょこんと座り込んだ。刹那は一応魘されてはいないようだが、熱の高さから頬が赤く染まり、薄く開いた唇から荒々しい呼吸が聞こえる。出来ることは全てやり尽くしてしまった今となっては、何の病気か分からない以上、何も出来ないのだ。質問の答えを促すようにちらりと横へ視線を投げれば頭をかき回しながらも答えてくれる。

「こいつよぉ…医者っつーか…白衣が嫌いでな…」
「白衣が?」
「怪我した時に連れて行った事があったんだが…大暴れしてな。」

そんな事を聞いて意外だ、と思ってしまった。
ニールの中で『刹那』とは…何事にも冷静沈着で全てにおいて一定の調子で物事に接しているような完璧な大人…そういう位置づけだった。そんなイメージの彼が白衣が嫌いで大暴れ…なんだが想像がつかない…と思わず宙を眺めてしまう。

「やっかいな病気になってたらなってたで困るしな…」
「…あ。」
「あん?」
「白衣じゃなきゃいいんだよね?」
「…心当たりあるのか?」
「うん。サングラスに金髪のオカッパで良ければ。」

 * * * * *

「……ん…」
「あ、気付いた?刹那。」

ぼやりと滲む視界の中に見慣れた温かい色彩を見つけて思わず、ほぅ…と小さく息を吐き出した。ゆったりと瞬きを繰り返し見つめていると小さな手が上の方へ伸びて額の上から何かを取り去っていく。何だろう?と見ているとそれはタオルで、サイドテーブルにある洗面器まで運ぶとその中に張った水でざぶざぶと洗い一絞りしてまた額の上に乗せてくれる。

−…あ…気持ちいい…

ひやりとしたタオルの冷たさに瞳を細めるとニールが笑顔を浮かべて覗き込んできた。

「気分はど?」
「……ん…?」
「苦しくない?」
「…ん…」
「気持ち悪くない?」
「…ん…」
「喉、渇いてない?」
「…のど…?」

聞かれる内容に小さく…こくり…こくり…と頷いていたが最後だけこてん、と首を傾げる。そんな状態の刹那に思わず小さく笑いを漏らしてしまった。まるで小さい子供を相手にしているような気分だ。

「そ、喉。水あるし…お腹が気持ち悪くないならリンゴもあるよ?」
「……りんご…」
「リンゴがいい?」
「…ん…」

リンゴが好物なのか、頷く仕草がどこか嬉しそうだ。思わず頭を撫でてしまうが、熱がまだ高くぼんやりと見つめ返すだけだった。逆にニールが恥ずかしくなってしまう。ギクシャクしそうな手を誤魔化すように持ってきておいたリンゴをしゃりしゃりと手早く摩り下ろして少しだけ蜂蜜を足してやる。器を片手に枕元へ戻ると刹那が起き上がろうとしていた。

「座れる?」
「…ん…たぶん…」

たぶんて…と心の中で突っ込みを入れて様子を窺っていると一応座れたようだ。けれど僅かに体が揺れているように見えるのでさり気無く支えるように寄り添って座る。ぴたりとくっ付いた腕が布越しにほんのりと温かい。

「はい、あーん。」
「…あ…」

文句を言われたり、自分で出来るとか言われそうだと思いながらもスプーンに掬って口元に運ぶとあっさりと開いてくれた。少し拍子抜けした気分で横顔をじっと見つめていると首を傾げつつ振り向く。

「あ…いや、なんでもないよ?はい、あーん。」
「…あ。」

にこにこと笑顔で誤魔化してスプーンを運ぶとまた口を開けてくれる。雛鳥にえさを与える親鳥の気分を味わいながらも、リンゴ1個分をぺろりと平らげた刹那に安心感を覚える。

「これだけ食べれるならもうすぐ熱も引くかな。」
「…そうなのか…?」
「あれ?…風邪引くの初めて?」
「……多分。」
「…たぶん…」

お腹が満たされたからか、いくらかはっきりとした調子で話せるようになってきている。少々引っかかるものの、まぁいいか…と追求するのを諦めておいた。聞いても分からないような気がするからだ。サイドテーブルに皿を置いて刹那を寝かせ付けるべくベッドから立ち上がろうとしたが、シャツがくっと引っ張られる感覚に振り向いた。

「…刹那??」
「どこにいくんだ?」
「いや?どこも行かないけど。」
「じゃあこのままいればいい。」
「……うん??」

じっと見つめて来る刹那の瞳と視線を合わせたままニールは頭の中をぐるぐると回転させ始める。ここ数ヶ月一緒にいたおかげで、刹那は話す時いくらか言葉が足りない事は分かってきている。今現在もそれは健在なわけで…何を言わんとしているのか考えさせられていた。

「………」
「………一緒に寝ろってこと?」
「ん。」

足りない言葉はいつも行動になって示されている。その点からちらりと服を引く指先を見下ろしていくつか選択肢を出した結果それらしいものを聞いてみるとビンゴだった。風邪を引いて寝込んだ時は…一人寝が寂しい…というのは理解出来る。

−…一緒にかぁ…

ただニールにとって問題なのは、『病人と一緒に寝る』ことではなく、『好きな相手と同じベッドで寝る』ということだ。…果して自分は眠れるのか?…と視線を明後日に飛ばしかけた時、ふと引っ張る力が緩くなっていった。

「…迷惑ならいい…」

強引かと思われる言葉は予想以上に拘束力が弱く、他人を優先させる事を常とする刹那はすぐに引き下がってしまう。ニールにとってどちらかといえば憧れの…夢にまで見た展開をあっさり捨て去るのはあまりに惜しい。

「いやいやいや!迷惑なことないし!」
「………」
「電気消したいし、あと靴下とかベストとか脱ぎたいなぁ…って…」
「ん。」

返答に詰まった事を訝しげな瞳で見つめられたが、言い訳を連ねてみれば納得してくれた。えらくあっさりいったな…とも思ったが相手は病人だ。深く考えない方がいいだろう。手早く薄着になると電気のスイッチを切ってベッドへともぐりこむ。すると待っていたと言わんばかりに刹那の両腕が包みこみにきた。

「…っ…」

ぎゅっと抱き締められる形になって顔を赤らめているとものの数秒で寝息が聞こえてくる。あまりの速さにきょとりと瞬きを繰り返していたが、僅かに見上げる先にある穏やかな表情を見て笑みを漏らした。

「おやすみ、刹那。」


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