楽しげな笑い声に混じって布の破れる音が耳に届く。力の限り抵抗を試みるも、地面に押し倒されて体重を乗せて拘束されると大した抗いすら出来なくなった。

「あっはは!い〜い気味ぃ!」
「っ…く…!」

シャツをボロ布同然にした彼女は目標をズボンへと変更する。ゴムの部分が固いのか、ナイフを鋸のようにして切り刻み始めた。すると勢い余った切っ先が、脇腹や太腿を傷つけていく。
そうしてどれほど時間が経っただろう?…刹那が身に纏うものはすでに下着のみの状態に等しく、刻まれた布もあたりを転々としている。

「破るのってこんなに楽しいのね?」
「そうか…良かったな。」
「ごめんね?独り占めしちゃって。」
「構わない。こっちもこっちで愉しんでいたからな。」
「そぉ?」

離れていくナイフに、無意識の中で詰めていた息を吐き出すと、低く掠れた声が聞こえた。閉じていた瞳も開くと、ぎらぎらとした光を宿す切れ長の瞳が見える。肌を撫でる風にふるりと震えると、傷つけられたところがじくりと痛みを増した。

「滑らかな肌に描かれる赤い線…なかなかに興奮の出来る光景だ…」
「ふぅん…よくわかんないけど…」
「ッあぅ!」
「あは。いい声上げるじゃん。」

傷ついた部分を指先で引っ掻かれると…ずきっ…と鋭い痛みが四肢を駆け巡る。身を竦ませると恍惚とした笑みが浮かべられた。

「ひっ…いっ…!」
「…ん〜…味はまぁまぁね。」

おもむろに舐め上げられると、舌のざらつきが傷を嬲っていく。じくじくと疼く痛みに口から悲鳴が上がってしまった。味見をしたかのように唇を舐める彼女は酷く楽しげな表情と目付きで次に狙う位置を見定めている。

「噛み付き甲斐がありそうだな…」
「どれどれ〜…」
「あぁうッ!!!」
「…上等だな。」
「…ほぉんと…」

脇腹に歯を立てられて思いきり噛みつかれると、痛みに背が浮いた。見降ろしてくる男の呼気が僅かに乱れ出したことに気づくと、脇腹から顔を上げた女の方も頬を紅潮させていることに気づく。心の底から愉しんでいるのだろう…次に嬲る方法を鈍く光る瞳で見降ろしながら考えているようだ。

「泣き叫んでいいのよぉ?」
「っ…っ…」
「その方がそそられるから…ね?」

にこやかな笑みを張りつけた顔が間近に迫り来ると、胸元に両手が這わされた。ぞわり…と立つ鳥肌に肌を小さく震わせていると、ぎりっと音がしそうなほど強く掴みあげられる。

「ぅあぁッ!!」
「…ったく…なぁにこの質量?貧相なら貧相なりのデカさってもんがあるでしょ?」
「っく…ぅう…ッ…」
「…それはお前がまな板なだけ…」
「なんか言った?」
「…いや…」

指を立てられ爪痕が付くほどに掴まれた後は、ぐいぐいと引っ張り上げられた。体重をかけられて押さえこまれている以上、身動きはとれず…ずきり…ずきりと痛む肌に身悶え、歯を食い縛って耐えていくしかない。眼尻に涙が溜まり、つぅっと落ちて行く。けれど決して泣いてはいなかった。

「ふぅん…耐えるんだ?」
「いいんじゃないか?その方がヤリ甲斐があって。」
「まぁねぇ…でも、ここまで耐えるんだったらお道具でも持ってくればよかった。」

二人のやり取りをどこか遠くに聞きながら刹那はぼんやりと建物を見ていた。誰かいてくれたら…と思うが、こんな状態を見られるのも嫌だと思う。けれど延々と続けられる苦しみをただただ受けるのも嫌だった。

− いつでも助けを呼んでいいからな…

ふとその言葉が脳裏に浮かぶ。
着けておいて…と言われたピンバッチはどこかに持ち去られてしまった。
けれど…なぜだろう?
刹那の心は屈することはない。

ぼやりと霞む視界に建物の影からこちらを窺う人影が見える。おろおろとした様子に見えるけれど、何かするようには見えなかった。そっと瞳を閉じると浮かぶメンバーの顔…その顔を思い浮かべて刹那は小さく囁いた。

「…たすけて…」

 * * * * *

日が傾き太陽の光がオレンジ色を増してきた頃、生徒会棟の中を足早に歩く姿があった。

「待ちたまえ!眠り姫よ!」

二つある影の一つは不気味な仮面をつけたグラハムだ。手を差し伸べる先にいるのは…体操服のままのニール…

「何度聞かれたって同じだっつの!」
「いいやげせんな!かの乙女に対する君の態度!それはまさしく愛だ!」
「だぁから、仲間同士のスキンシップだからっ!」

朝方の開会宣言直後、刹那と一緒に生徒会棟へ移動していた様子を見られていたらしい。べったりと…少々過剰過ぎるスキンシップに勤しんでいたのだが…その態度から二人は付き合っているのか…交際しているのか…もしかして妖艶なる夜の営みまで達しているのではないか…と根掘り葉掘り聞き出そうと突っかかってきた。
もちろん言えることでもなし、下手に明かして変に興味を持たれたら堪らない。最悪二人同時にお迎えしたいだのと訳の分からないことを言われても厄介だ…と振り払いたかったのだが………
…この様だ…

「待ちたまえ!眠り姫よ!」
「だぁからっ眠り姫じゃねぇっつーの!」
「いぃや!この私の授業を抜け出し中庭で野花に囲まれ、鳥のさえずりが響く中に眠っていた…これを眠り姫と言わずなんという!?」
「単なるサボタージュだろがッ!」

まだまだ食い下がりを見せるグラハムに半ば切れながらも部屋に入ってくるとフェルトが駆け寄ってきた。

「っロックオン!」

フェルトの悲愴な表情に、はたとしたニールは室内を見回す。そこには実行委員としての仕事を終えて集まったメンバーがいた。ただ…その表情は一様に暗く、とても無事に球技大会を終えた雰囲気ではなかった。

「ん?あれ??みんなしてどうした?」
「なにやら神妙な空気…むむ…さてはっ私に何か聞きたいことでもっ…」
「今、ちょうど呼びに行こうとしてたところです。」

可笑しな解釈を始めるグラハムを余所にティエリアが声を上げた。その声音にニールはぴくりと眉根を跳ねあげる。

「…見つかったのか?」
「えぇ、校内カメラにしっかり現場が撮り押さえられています。」

そう言って壁に映し出された映像は今日の昼のものだ。校舎周りを歩いていたのだろう刹那が階段に差し掛かっているところを、後ろから女子生徒が突き飛ばしている。当然バランスを崩した刹那が足を踏み外したのだが、持ち前の運動神経と運動能力で未然に防いでいた。
このような画像は他の日にも録られていたのだが、どれもカメラの位置を把握しているのか顔が映ってはいない。しかも相手はよく考えるもので…帽子を被ったりパーティー用の被りものを身に付けたりと誰か判断できないようにして着ていた。
けれど、この映像を録り収めたカメラはこの数日の間に新たに設置されたものだ。ティエリアとネーナの指示のもと、とても巧妙に隠されている。そのようなカメラは校舎内にも仕掛けられ、いくつか上がっていた。これらを並べれば確たる証拠として言い逃れも出来ないだろう。

「…ビンゴだな。」
「…ほぉ…背後から襲撃とは…姑息なりッ!」
「…まったくな…」

一緒に見ていたグラハムの苛立った声に一同が頷く。珍しく全員の意見が一致したようだ。

「よし、じゃ、さっそく補導に…」
「残念ですが…」
「うん?」

証拠を突きつけて捕まえに行こうか、と意気揚揚とし始めるニールにヨハンの深刻な声が待ったをかけた。その珍しい雰囲気に首を傾げてしまう。いつも何事にも余裕のある雰囲気を保っていたヨハンが…と不思議に感じてしまう。

「僕達…後手に回ったみたいだよ、ロックオン…」
「…なに?」

アレルヤの沈んだ声にニールの眉間へ深い皺が刻まれた。そっと手を差し出したクリスが机の上にハンカチの塊を置いて見せる。瞳を眇めている内にもするりと解かれた布の中には芝生にまみれた刹那のピンバッチが光っていた。

「…刹那が…帰って来ないの…」
「…いつから?」
「体育館の片付けからだそうだ。」
「……ざっと一時間か…」

震えるフェルトの声に、きっとピンバッチを見つけたのは彼女なのだろう…今にも泣き出しそうな様子を纏っていた。小さく舌打ちを零すとすぐ横に立つグラハムへ視線を投げかける。すると彼はすぐに頷き返してくれた。

「おい、グラハム。」
「うむ、マネキン女史を招集してまいろう。」
「頼んだぜ。」

開け放たれたままになった扉を見つめてニールは苦虫を噛み潰したような表情になった。もう少し早く証拠を取りそろえられたら…その考えがどうしてもよぎってしまう。狙われている嫌がらせをされているのも分かっていた。その事に関して刹那は知らないふりを通そうとするものだから、警告を促すのは返って彼女の思いを踏みにじるような気がして出来なかったのだ。けれど…もしかすると、警告しておけば一人でどこかに行ってしまうこともなかったのでは…そんな後悔ばかりが浮かんでは消える。

「?おい!那由多!どこ行くんだ!?」

深い溜息を吐き出していると那由多がおもむろに立ち上がり部屋から出て行こうとしている。慌ててその腕を掴み取ると、鋭いまなざしで振り返ってきた。

「…離せ。」
「離せって…何する気なんだよ?」
「刹那を助けに行くに決まっている。」

率直に返される言葉に唖然とした。

「いや…それは分かってるが…居場所が…」
「俺は…刹那の気を感じ取ることが出来る。」

更に返ってきた言葉に瞬いた。
双子の性質なのだろうか…片割れの考える事がなんとなく分かったり、何をしようとしているのか分かったり…といったシンクロ現象はよく聞くのだが…どこに行ったか分からない相手の居場所を感じ取ることができるというのは…初耳だった。その思いは他のメンバーも同じらしく、同じ双子のアレルヤもきょとりとした表情をしていた。

「…なるほど…だから刹那が連れて行かれた場所がだいたい分かるってわけ?」
「そうだ。だから手を離せ。助けに行く。」

普段の彼女からは想像出来ないほどに焦りの感情が溢れだしている。今手を離せばそれこそ放たれた銃のようにすぐさま飛んで行ってしまうだろう。瞳にもその焦りが滲み出ていて、動揺からか僅かに揺らいですらいるようだ。
その瞳をじっと見つめてニールはゆっくりと口を開いた。

「お前さんの焦る気持ちもやろうとしてる事も分かってる。そしてそれが確実に刹那を助けられることも分かる。」
「だったら…」
「けどな?残念ながらこの敷地内で居る限り公共の場なんだ。」

その言葉に今度は那由多が怪訝そうな表情を浮かべた。

じっと見つめて説明を求める視線にニールは尚も落ち着いた声音で紡ぎ始めた。

「もしお前さんが今、手ぶらで一人突っ走っていったとする…犯人を取り押えるよな?」
「…もちろんだ。」
「けどな…きっとそいつはこう言うぜ?…那由多に襲われた…って。」
「ッ!?」
「そう言って騒がれたらきっとみんな集まってくるだろう。そしてみんな口を揃えて言うんだ…那由多が一方的に暴力を奮った…って。」
「なッ!?!」

信じられない内容に那由多の瞳が大きく揺らいだ。
けれどニールの言うことも納得出来た。今までのやり口や、今日録られた映像からも分かるが…首謀者は愉しんでいる。映し出された貌は歓喜の笑みに満たされていたのだ。
しかし…何の証拠も持っていない人間が首謀者を捕えても、取り押さえられた状況を見ただけの人間はきっとそう言うだろう。そして周りを味方に付けて被害者ぶった上でまんまと逃げられてしまうのだ。更に考えられるのは…弁解しようにも何の手だてもないのだということと…那由多が処罰対象にされるという事態。それはたとえ刹那を現状から救い出せても…別の形で傷つける結果になってしまう。
愕然とした顔をする那由多にティエリアはさらに言葉を付け足していく。

「更に厄介なのは…そいつらに何をされているか分からない刹那が多くの人間の目に晒される事…」
「…考えたくないけど…もし…暴力を受けているだけじゃなく…辱めを受けていたら…」
「刹那が心に負うダメージは計り知れないでしょう…」
「…ッだったらどうしろと!?」

打ちのめされるような想定事項をヨハンにも指摘され、那由多は叫んだ。今すぐに見つけ出してやりたいというのに、これでは出来ないのだと言われているようなものだ…その悔しさから声すら震えてしまう。

「…だから…俺たちみんなで行くんだよ。」
「こいつを着てな。」
「………これ…」

ニールの顔にふっと優しげな笑みが浮かぶ。きょとりと見上げると後ろから同じ声質が聞こえて振り返った。すると腕いっぱいに服を抱えたライルとハレルヤ、ミハエルがいる。
不敵な笑みを浮かべるライルが掲げて見せたのは…この前、お披露目会で袖を通した軍服だ。

「単なるコスプレ目的で作った制服じゃないぜ?」
「…え?」

何故今この衣装を…と疑問に思いぐるぐると悩んでいると、考えていることが伝わったのかライルが肩を竦めて笑い掛けてきた。訳が分からずに瞬いているとティエリアが近づいて来てそのジャケットを手に取る。ふわりと広げられる上着に釘づけになっていると静かに語り出した。

「生徒会役員が作るその制服は…学園外で言うところの警官と同じ存在になる。」
「…警官…」
「正義の味方ってやつね。」
「この制服を着ている間…私たちは一生徒ではなくなる。」
「……ということは…」
「堂々と取り締まれるってわけだ。」

確認を取るような声に欲しかった言葉を掛けられた。ゆるりと上げられた顔に輝きが戻ってくる…そんな那由多の顔を見降ろしジャケットを掴みとったニールがふわりと広げて体を包み込む。

「!」
「さ、助けに行こうか。」
「ッあぁ!」

しっかりと頷いた那由多を皮切りに皆が慌ただしく動き出した。それぞれに自分の軍服を受け取り着替えに走る。

「ティエリア、ネーナ!証拠を全て提出する書類に纏め上げてくれ!」
「了解。」
「らっじゃ!」
「クリス、フェルト!校内放送で生徒に呼びかけを!」
「「了解。」」
「全員、通信をオープンにしておけ!」

各々制服に身を包みロビーへと集まってくる。その中でロングコートを翻しながらニールは待機メンバーへと指示を出していった。そうして残りのメンバー全員で生徒会棟から出ていく。

「那由多。」
「?」

呼ばれて振り返ると、ライルがその手にアーチェリー用の弓を携え、腰から矢筒を下げている。近づいてくる彼女を見上げていると、襟元に留めたピンパッチを触られた。

「…このバッチには通信機能もあってさ、コードを巻きつければイヤホンが使えるんだ。」

説明をしてくれながらするりと耳にかかる手がマイク付きのイヤホンを取り付けてくれる。自分の手で触ってみるとイヤホン本体にボタンが付いていた。

「そいつを押しながら話せば全員に聞こえるから。」
「…分かった。」

試しに名前を告げてみるとイヤホンからみんなの返答が聞こえてきた。その声の数だけ心強く感じることができる。

「那由多、だいたいの位置が分かるって言ってたよな?」
「あぁ、建物や木が多いからかすかにしかわからないが…此処から南西の方向に感じる。」
「…倉庫の密集率が高い場所ですね…」
「それに、科目別教室の集まる校舎がある方向だ。」
「ちっ…面倒な…」
「…片っぱしから見ていくしかねぇな。」
「これだけの人数がいるんだからすぐ見つけられるよ。」
「…そうだな…」
「行くぞ!」
「らじゃっ!」

各々に返事を呟き駈け出して行く。その中で一番俊足である那由多がじわじわとみんなを抜いて行っていた。
僅かに顔を俯ける…刹那の気配を感じ取って走るスピードを上げた。


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