衣替えが終わると体育の授業は球技大会に向けての練習ばかりになっていた。予想していた通り、刹那と那由多はソフトとバレーの掛け持ちになり、クラスで半分に分かれて練習する際に一時限おきで交互で入っていた。雨降りの多い月である為、ソフトはなかなか外での練習にならない。なので大半は体育館の片隅でキャッチボールをしている。同じ体育館内という事で時間を区切って両方を行ったり来たりを繰り返している時だった。

「っわ!…びっくり…したぁ…」

耳元でばしんっという大きな音が鳴ってクリスが首を縮めた。驚いた面々が振り返れば刹那の手にボールが握られている。

「あれ?ソフトボール?」
「あぁ。こっちに飛ばしてしまったらしい。」

そう言って振り返れば壁際からこちらに向けて「ごめーん!」という叫び声が聞こえる。それへ刹那が片手を高く掲げて見せるとボールを投げた。

「…なんだか、多いね?」
「え?」
「ボールが飛んでくるの…」
「あ〜…そういえば…」
「みんな慣れない事をしているからな。真っ直ぐ投げたつもりでも指を滑らせて違う方向に飛んでいったりするのだろう?」

そう言って微笑みを漏らし、バレーボールのネット際にいた那由多が呼んでいる方へと足を向けた刹那をフェルトはじっと見つめている。

「そっか…」
「フェルト?」

どこか寂しそうな雰囲気を纏うフェルトにクリスが首を傾げるが、彼女はなんでもない、と言うだけだった。

 * * * * *

放課後。ニールのクラスは学年トップを本気で狙うとかいって一致団結すると雨の上がったグラウンドの貸し出しを申請してクラスの練習に精を出している。それというのも、学食の食券が副賞として付いてくるからであってディランディ姉妹はどっちでもいいのだが、クラスで決まった事なので反対することも出来ず、部活の方にも伝言は頼んである。なので心行くまでクラスの練習に付き合っていた。
女子ばかりでソフトのバットとバレーボールのサーブの練習をしている時にグラウンドの端に見慣れた少女が立っていた。目敏く見つけたニールが断りを入れて駆け寄っていくとその少女はフェルトで、珍しく困ったような、悲しそうな表情をしている。それに首を傾げると消えそうな声がおずおずと話しかけてきた。

「どうした、フェルト?」
「ロックオン…」
「うん?」
「少し…お話…いい?」
「お?おぉ。」

フェルトがこんな風に積極的に話をしたいなどというのは今まででも初めてなことで、何事かと無意識に身構えてしまう。雰囲気からして少し話の内容が深刻そうなので人気の少ない水道の方まで移動する事にした。汗の伝う顔を冷たい水で洗って一息ついたところで改めてフェルトへと向き直る。

「何かあったのか?」
「うん…あのね…」
「あぁ。」
「刹那が優しいの。」
「…うん?」

ようやく答えてくれた言葉に思わずぱちくりと目を瞬かせてしまった。何が言いにくかったのだろうと思わず首を傾げると、悲しそうな表情が一層深まり、泣きそうなまでに歪められてしまう。

「刹那がね…優しくて…悲しいの…」
「え?」

今にも零れそうな涙にタオルを出してやるとふるふると首を振られて言葉が続けられた。その内容にまたニールは混乱を招かれる。

「この頃ね…ずっと…刹那に嫌がらせが続いてるの…」
「!」
「なのに…刹那…何も言わないの…なんでもないように…いつも通りにするの…」
「…」
「だから…悲しいの…」

スカートの裾をきゅっと握り締めるフェルトの頭にそっと手を重ねてやった。
誰かから嫌がらせを受け、それを我慢し続けている事にフェルトが気付いたのは、フェルト自身も同じ経験をしたからだ。今でこそ言いたい事を伝えたい相手にしっかり伝えられるようになってきてはいるが、彼女も中等部に上がる少し前くらいから女子による嫌がらせやイジメにあっていた。

引っ込み思案で人見知りが激しく、なかなか人と話そうとしないフェルトを鬱陶しいと感じた子が影で嫌がらせを繰り返すのだ。その頃くらいからディランディ姉妹と交流を持ち始め、少しずつ開いていた心をある時期からまた閉じ始めてしまったのをニールが聞くと、彼女は2人の前でぽろぽろと涙を溢しながら自分の身辺を語り始めた。
二人はじっと聞き入って話し終えると頭を撫でてやった。そうして「がんばったな」と、「一人じゃないよ」と言って寄り添ってくれる。
2人に抱き締められて一頻り泣くと今度は少し怒った顔で、「どうしてもっと早く言わなかったんだ」と言われ、「心配してたんだ」と付け加えられてまた泣いてしまう。そんな2人に勇気つけられ、励まされてフェルトは凛とした強さを手に入れられた。そうしてフェルトが中等部一年、2人が三年と同じ棟に通うようになる頃にはイジメはなりを潜め、小学生の時は違うクラスで全く交流をもてなかったクリスとも仲良くなって今に至る。

きっとフェルトはあの頃の自分を刹那に重ねているのかもしれない。そして、その時のニールとライルの気持ちを思い知って悲しんでいるのだろう。
そんなフェルトへニールは優しく微笑みかけてやる。

「フェルトも強くなったな。」
「え?」
「刹那を…助けたいんだろ?」
「……ん。」

少し頬を染めながら頷くフェルトにニールはもう一度微笑みかけて頭をそっと撫でてやった。

「刹那は自分でどうにかしなきゃって思いつめるタイプだからさ。」
「…うん。」
「周りにはちゃんと自分がいるよ、って事話してやりな?」
「…話す…?」
「そ。言葉にして、フェルトがどうしたいのか伝えるといい。」

ニールの言葉を受けて不安げな表情をしていたフェルトだが、次第にそれは決意を固めた表情へと変わり力強く頷くまでになった。

 * * * * *

球技大会が近づく中、生徒会では当日、生徒のモチベーションを上げるべく昼休憩時に応援パフォーマンスをする事になった。それに伴い空いた時間を縫って再び製作が開始したわけだが…羽織を作っていると布が足りなくなってしまい、刹那はフェルトと一緒に買出しに出た。いつもならミハエルやヨハン、ハプティズム姉妹など、足の速い面子で行くはずなのだが、今回はちょうど作業の手がすいていたフェルトと刹那になった。
布地を買うついでについでに糸や針などの補充もして無事に全て購入できた帰り道。穏やかな水音を立てて流れる川に掛けられた橋の上でフェルトが立ち止まった。

「あ…」
「?どうかしたのか?」
「うん…ここだな、って思って。」
「?この河川敷?」
「ここでね…ロックオンとジュニアに初めて出会ったの。」

そういうとフェルトは小走りに道を逸れて下りて行ってしまった。それを刹那が慌てて追いかけるとちょうど橋の影になって死角になる場所でころりと寝転んでしまう。驚いて目を瞬いているとフェルトが楽しそうに手招きをしてくる。少し首を傾げて近づいていくと隣を指差されたので同じように寝転んだ。ころり、と向き合うようにするとふわりと微笑みを浮かべるフェルトが話し始める。

「私ね…小学生の頃…苛められてたの。」
「え…?」
「…合同の寮に帰っても嫌がらせされて…それでね…何もかもがイヤになって抜け出したんだ。」

ぽつりぽつりと話されるフェルトの過去を遮ることなく、刹那はじっと聞き入っていた。

「ここでこうやって蹲って…誰にも見つからず…探してもらえず…死を向かえられたら楽になるのにな…って…」

そっと瞳を閉じてしまったフェルトに刹那は胸がきゅっと締め付けられた気がした。何故だか置いて行かれるような気持ちになったからだ。

「そうしたらね?ふと暗くなって…そっと目を開いたら、全く同じ綺麗な顔が2つ並んで覗き込んでたの。」

びっくりしたんだ。そういってくすくすと笑い始めた。

 * * * * *

迷子かと聞かれて首を振って、帰りたくないのかと聞かれて頷くと二人は顔を見合わせて同時に手を差し出してくる。

「「一緒においで。」」

まるでそれは天国から迎えに来てくれた天使の誘いのようだった。導かれるように手を握ると二人の間に挟まれて歩き始める。歩いてる間に2人は色々と話してくれる。自分たちは今から買い物に行く途中だったこと、夕飯を何にするか口論しながら歩いていた事、今から買出しに行くのに連れて行ってごめん、とも。お店に着くと、少し大きいカートを押す役割を与えられて二人に手助けしてもらいながら店の中をよろよろと歩き回る。歩いている間にも2人は会話を途切れさせることはなく、今度はどっちのジャガイモのほうが大きいか、調理は焼く方が美味しいか、煮る方が美味しいかなど言い争い始めるものだからつい笑ってしまった。

帰り際に買出しへ連れてきたお駄賃だといって棒の付いた飴を渡される。きょとりと見つめていると2人も同じものを口に含んでいたから真似してみた。口に広がる甘い桃の味に思わず頬が綻んでしまう。パスタの入った袋を持たせてもらってまた三人並んで道を歩み始める。

その道のりは徐々に学園とへ続いている事に気付き俯き加減になっていった。よくよく見てみれば2人の服も同じ学園の中等部の制服で、自分もまだ制服姿なのだから、2人が自分の住んでいる所などすぐに分かるはずだ。小学生5・6年の合同寮の前に到着すると周りを見渡している寮監督のスメラギ先生が見えた。彼女の顔がこちらに向けられると少し驚いた顔をされる。もう他の子たちはとっくに寮に戻って宿題をするなり、仲の良い友達と遊んだりしている時間だ。その中自分だけ戻っていないことに心配をされたのだろう。どう言おうかと迷っていると…

「お久しぶりです、ミススメラギ。」
「久しぶり。見ない内に随分大きくなったわね?」
「成長期ですから?」
「そうねぇ…もう中等部だものねぇ…それで?何か言う事は?」

随分と親しげに話し出した三人にぱちくりと見上げていると、にっこりと笑みを浮かべるスメラギが切り出してきた。それにぴくんっと肩を跳ねさせていると…

「はい。こちらの少女を買出しにお借りしておりました。」
「パスタ持ち?」
「そ。荷物を半分に割ったら丁度それが余っちゃって。」
「ありがとな?」
「…ううん…」

腕からパスタを持ち上げられるとふわふわと頭を撫でてもらえた。それがなんだか擽ったくて、でも気持ちよくて思わず瞳を細めてしまう。ニールとライルと2人分のお礼を受けて手を離されると2人は自分達の寮へと足を向ける。

「今度は知らないお姉さんに付いてっちゃダメだからなー?」
「あんた達こそ幼児誘拐なんてしないでよー?」
「犯罪者なんかにゃなりませんよー!」

そんな会話を繰り広げながら手を振ってくるのに小さく振り替えしていると角を曲がって見えなくなってしまった。

「…まったく…相変わらずねぇ。」
「…先生…知ってるの?」
「うん?んーと…担任に持ったことはないんだけどね?よく目立つし、悪戯っこなのよ。だからよく追い掛け回してたわ。」

そう言って笑うスメラギに背を押されて寮の中へと入っていった。

 * * * * *

翌日。相変わらず続けられるイジメに昨夜温かかった心は一気に萎んでしまった。ぐっしょりと濡れているような気分でようやく授業が終わるとため息と共に校門を潜る。本来ならこのまま合同の寮へ向かって宿題とか明日の予習をすればいいのだろうけど、帰ればまたイジメる子達が邪魔をする。そして心を痛めてしまう…そんなことをうっすらと考えて、足は自然と寮とは反対へと向かっていった。足元を見つめてとぼとぼと歩き、校門から少し離れた角を曲がると目の前に見慣れない靴を履いた足が二組ある。ちらりと見上げると明るい笑顔が迎えてくれた。

「よ!」
「今から帰るのか?」
「…う…ん…」

この2人なら寮の場所を知っているだろうに、こんな嘘をついてもすぐにばれるに決まっている…けれどもう頷いてしまったから後戻りは出来なかった。

「そっかぁ…じゃあ寄り道しない?」
「…寄り道?」
「そ。俺らの部屋。」
「…昨日…知らないお姉さんに付いていくなって…」
「俺らはもう『知らないお姉さん』じゃないだろ?」
「もしかしてもう忘れられた?」

ショックだというように言われて慌てて首を振った。太陽のような微笑を浮かべてくれる2人にフェルトの心は温かくなっていく。改めて「来る?」と聞かれてこっくりと頷けば頭を撫でてもらえた。

その日からフェルトは学校が終わるとディランディ姉妹の部屋を訪ねるようになった。名目とは名ばかりの勉強会では2人の会話が耐えない。宿題をしつつテレビの話だとか、部活の話だとか…互いの失敗談なんかも飛び出すから退屈はしなかった。五時を過ぎると2人で合同寮まで送ってくれる。スメラギには『家庭教師をしている』と言ってあったらしく、すんなりと入れてもらえた。

こうして温まった心も次の日になってイジメに合うとまた冷たく萎んでしまう。けれど学校が終われば2人に会えると思えばフェルトの気持ちは前向きになる。そんな頃だ…イジメの質が更に悪質になってきた。今までわざとぶつかられたり特に何もおかしなこともしていないのにくすくすと笑われるだけだったのが、上靴をゴミ箱に捨てられたり、体操服を隠されたり…果てには教科書に落書きまでされるようになった。ディランディ姉妹の前で目に付くものといえば宿題のプリントくらいなのでそれだけは死守して2人と会うことは続けていた。

一日になんども泣きそうになり、ぐらぐらと揺れる心を奮い立たせていたある日…少し足早になりながら校門へ向けて歩いているときだった。

「ッ!!」
「あ、ごめーん。下にいるなんて思わなかった。あんた影薄いから見えないしさー。」

きゃらきゃらと笑う声に見上げればクラスの女の子達がバケツの水を自分に目掛けて掛けたようだ。地面にぽたりぽたりと落ちる水滴と周りの笑いを含むざわめきにフェルトは走り出した。どこをどう走ったかなんて分からない。けれど気付けばいつも独りで蹲っていた橋の下に来ていた。
胸の中を覆い尽くす悔しさにフェルトは声もなくその場に蹲り泣き続けた。

そのまま消えてしまえばいいのに…死んでしまえばいいのに…

そんな事を考えながらどのくらいの時間を過ごしただろう?流す涙も出なくなったのだろうか、ひくひくと小さくしゃくり上げる程になってきた頃、傍に誰かいる事に気付いた。そろりと顔を上げればニールとライルが立っている。ぎゅっと体を縮めると僅かに見える視界に2人の手が見えた。

「「おいで?」」

初めて会った日と同じように言ってくれる声に枯れたと思った涙がまた溢れ出してきた。手を繋ぎしゃくり上げるのをあやしてもらいながら2人の部屋へと迎え入れてもらった。

 * * * * *

「あの日初めて2人に私の学校での出来事を話したんだ。」
「…うん…」
「いっぱい耐えたんだな、って褒められて…なんでここまで我慢したんだって怒られた。」
「…怒られたのか?」
「うん。もっと早く話してくれたら応援して、何かアドバイス出来たのにって。日に日に元気がなくなっていくから心配したって。すごく悲しそうな顔して怒られちゃった。」

いつにも増して饒舌なフェルトの話をじっと聞いていた刹那は意外な事を聞かされて思わず聞き返してしまった。するとその内容に反してフェルトは嬉しそうに笑いながら答えてくれる。不思議そうな顔をしてしまったのだろう、そっとフェルトの手が伸びてきてニールのように頭を撫でてくれた。

「自分みたいな子でも…心配してくれる人がいるんだって…嬉しかったの。」
「……」
「まるで…生まれ直したみたいな気持ちだった。」
「…うん…」

そう言って微笑むフェルトはとても綺麗で…思わず見とれてしまう。無造作に置いていた手にフェルトの手が重ねられる。

「だからね、刹那も…我慢しないでね?」
「…フェルト…」
「辛い時は辛いって言ってね?いっぱい力になりたいから。私も…」

祈りを捧げるような言葉に聞き入っていると、不自然に途切れてしまった。どうかしたのかと手から顔に視線を移すとフェルトの瞳は少し上を向いていた。

「こぉんなとこでなぁにやってるかね?」
「かくれんぼしたいんならもうちょっと小さくならないと丸見えだぞ?」
「ロックオン…ジュニア…」

フェルトにつられて視線を上げれば双子が苦笑を浮かべて覗き込んできている。自分達に向かって差し出される手を握れば立たせてくれた。

「まったく…帰りが遅いと思えば…」
「変な人に声掛けられたらどうするんだよ?」
「いや…それは…」
「大丈夫だよ。」
「フェルト?」
「格好いいお姉さんしか来ないから。」
「褒めても何も出ません。」
「ほら、帰るぞ。ティエリアがお待ちかねだ。」
「はぁい。」

女王様は怒らせると怖いんだからなぁ…なんて言ってる二人のあとへ大人しく付いて行こうとすると、袖がつい、と引っ張られた。

「さっきの続き。」
「…あぁ。」
「私も…あの2人みたいにすぐに刹那を見つけて助けたいんだ。」
「……フェルト…」
「「おーい!」」
「さ、行こう?」
「……うん…」

じわりと胸に広がる温かさに刹那は目頭が熱くなった。無造作に繋がれたフェルトの手をきゅっと握り締めて涙が出そうなのを耐えるべく俯き加減で歩いていく。


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