ダブル・オー学園。
幼稚園から大学までエスカレーター式のこの学園は実に様々な国から生徒が集る名校だ。また、入学試験は明らかにされていない変わった学園でもある。それ故に様々な人種が集まるのだが…

広い敷地は、幼稚園と小学校、中学と高校、大学と3分割にわけられ、その周りをぐるりと寮が立ち並ぶ。部屋は高級マンションの一室と変わりなく、フローリングで防音に優れキッチンや冷蔵庫からバストイレまで完璧に設備されていた。
ただしハウスキーパーはいないので掃除や片付けは各々の責任となる。寮が使えるのは中学以上なので自立精神を養うのに役だっていた。食事は各自で作ってもいいし、寮毎にある食堂を利用してもいい。とはいえ、ほとんどの学生は食堂を利用している。


そんな中、一度も利用したことのない生徒が二人。

くつくつと煮える鍋を焦げないようにゆっくりかき回しながら、もう片方の手はレモン汁やオリーブオイル、酢などを手際よくかき混ぜていた。チン、と軽やかな音を立ててトースターの中からパンが飛び出す。それを確認すると鍋の火を消してスープ皿に手際よく盛り付けていった。サラダに手作りのドレッシングをかけて机に並べると壁掛け時計を見上げる。
ちょうどいい時間だ。
緩く纏め上げていた髪からヘヤゴムを外すと手櫛で梳きベッドルームを覗く。
カーテンを閉めた薄暗い部屋の中にベッドが一つ。よくよく見ると真ん中が膨らんでいる。

「7時だぞー、そろそろ起きろ」
「んー…起きてる…」
「半分な。飯出来てるからさっさと顔洗ってきな」
「あ〜い…」

返事は返ってきたもののまだ完全に覚醒していない声音だ。10分待っても出てこなかったら今度はシーツを捲り上げようとだけ考えてリビングへ引き上げる。
こんがりと焼けたトーストにマーマレードジャムを塗りひと噛りしたところでリビングの戸が開いた。

「はよ、姉さん」
「ん。おはよう」

まだパジャマのままで欠伸を噛み殺しつつぺたぺたと近寄り、向かいの椅子に腰を落ち着けた。
もう一枚のトーストを渡してマーマレードではなくピーナツバターを渡した。するとなんの疑問もなく受け取りトーストの上に落とす。バターを置くと今度は横に置いてあるポットを手に取った。そうすると向かいでコーヒーカップが差し出される。静かに注ぐとポットを元の位置に戻し二人してパンを口に運んだ。
全くといっていいほどの自然な動きをする二人はまるで鏡に照らし合わせたかのようにそっくりな双子。彼女らは不思議なことに多くを語らなくとも互いの考えを感じ取れるらしい。言葉を操らずして相方の気持ちをなんとなく読み取ってしまうのだ。
今、片方は学校の制服、もう片方はパジャマを着ているが、それ以外にこれと言った違いがない。一つ上げるならば、制服の方は若干後ろの髪が長いように見える。栗色の髪は緩やかなウェーブを描き、陶磁器のように白い肌に切れ長の青碧色をした瞳が際立っていた。誰もが憧れるすらりと伸びた手足に引き締まったボディは優雅な曲線を描く。迫力美人といった部類に入る二人は涼しげな印象を与える顔立ちに反してかなりオープンな性格をしている。アーチェリークラブに所属している二人はその凄腕から『ロックオン・ストラトス』というあだ名が付けられた。ただ成績はいつも僅差でニールの方が高いので、ライルは『ロックオンJr.』と言われ、みんなからはジュニアと呼ばれている。「ニールの子供じゃないんだから…」とぼやいていたが悪い気はしないので呼ばれるがままだ。そんな二人はかなり人気がありファンクラブだって作られていた。
粗方食べ終わり、姉のニールはまったりとコーヒーを口にしている。まだサラダを突いている妹のライルがふと思い出したように声をかけてきた。

「そういや、姉さんは見た?」
「何を?」

わざとらしく主語を抜いた質問に軽く首を傾げる。その表情はどこか楽しい事を見つけたと言わんばかりに輝いていて少し引いてしまった。

「この時期に珍しい転入生」
「へぇ…どこのクラスだ?」
「中等部二年」

返答に思わずずり落ちてしまう。彼女達は現在高等部一年で、いくら中等部棟が近いとはいえ知るわけがない。

「見るどころか知るわけないだろ」
「まぁまぁ。」

眉間にシワを寄せ不機嫌そうに言ってもニコニコした表情は崩れない。一つため息をついて先を促す事にした。

「で、その転入生がどうしたんだ?」
「なんと!…女の子だってさ!」
「ふぅん…」

ライルのもったいつけた物言いをさらりとかわし、壁掛け時計を確認するとまだ時間に余裕があった。せっかくだからこの前もらった林檎でも剥くか、と席を立つ。そんな姉の反応にライルはぶぅーぶぅーと不機嫌顔を作った。

「ふぅん…ってそれだけ??」
「絶対関わるってこともないからな」
「まぁねぇ…でも興味はあるでしょ?」

なおも食い下がられふと考え込む。『中等部二年』と聞いて脳裏に掠めた少女の姿に頬を弛ませた。

「そうだなぁ…フェルトみたいなら可愛がるかな」
「あー…和むもんねぇ」

淡い桃色のふわふわした髪を持つどちらかと言えば無口な少女だ。ひょんな事から知り合い、なかなか懐いてもらえなかったが、今では妹のように接している。
彼女は二人の庇護欲を刺激してやまない存在で、姿を見かけては構い倒していた。とはいえ、一人っ子の彼女にとって嫌なものではなかったようだが。

「…手、出してないだろうな?」
「まっさかぁ。フェルトは俺にとって可愛い妹だよ?だからそのナイフこっちに向けないで」
「ならいいけど」
「心配しなくてもそこまで見境ないわけじゃないよ」
「どうだか…」

じと目で睨み付けるニールの視線に着替えてくる!と言って逃げ出した。今ライルには『彼女』が三人いる。それぞれ全く別のタイプなのだが、関係は良好らしい。とはいえ、本人曰く、本命ではない。しっくりくる相手が未だに現れないのだという。
そんなライルの背中を見てニールは小さくため息をもらした。ライルのことだからどの子にもそれなりの筋は通すので、泥沼には陥らないだろうが…それでも…と複雑な表情をしていた。
ニールもライルも、恋愛の対象は異性ではなく、同性の女の子だった。昔は男も好きだったが、年を重ねるにつれ、自分達は可愛がられるより、可愛がる方がいい、と気付いた。年下の男の子とも付き合ってみたが、やはり心に違和感が滲み、どれも長続きはしなかったのだ。女の子の柔らかさや甘い香りに酔い痴れるようになり、男のような行動をとるようになった。
その結果、現在に至る。
見た目や女であることを否定せず、むしろ磨きをかけて至極紳士的な立ち振舞いをしている。おかげで女子生徒からは『王子様』と黄色い声を上げられるようになった。かといって男子にも態度は変えず、分け隔てなく人付き合いをしているからか、男子からの人気もかなりのものだった。むしろ、男子の恋愛相談にも乗ったりしているから頼りにされたりもする。

ウサギ林檎も平らげたニールは食器を洗い終え、手袋と鞄を手に玄関へと向かう。靴を履いたところでライルが出てきた。戸締まりのチェックをすると二人して当校していった。



寮から高等部棟までは徒歩5分ほど。中等部の門前を通り過ぎたところにある。二人が門の前を通りかかると登校中の女生徒が挨拶をしてきた。もちろん男子も。それらにひらひらと手を振ったり軽く掲げたりして挨拶を返す。
日常的な光景だ。
中等部と高等部の制服はエンジのチェックのアンダーに茶色のジャケット。白いブラウスに男子はネクタイ、女子はリボンタイを着用する。同じ形ではあるが、中等部は青色のネクタイと赤色のリボン、高等部は紺色のネクタイと紅色のリボンだ。更に、ラインの数で学年も振り分けられていた。
風紀はさほど厳しくはなく、全校集会や学校行事ではきちんと規定通りにしていれば特に問題はない。それ故、ニールとライルは膝上のスカートにリボンではなく、ネクタイを堂々としめている。また、その姿に違和感はなくごく自然に見えるので更に人気を上げていた。

「お、フェルト!」
「あ…おはようございます」
「ん、おはようさん」

校門の隅にぽつりとたたずむ少女を見つけた。今朝名前が上がっていたフェルト・グレイスだ。ぺこん、と頭を下げて挨拶するとその頭をニールが優しく撫でる。くすぐったそうに瞳を細めるとはにかんだ表情で見上げてきた。

「こんなとこに立ちっぱなで…どうしたんだ?」
「うん…友達…待ってるの」
「クリスか?」
「うん、クリスと…もう一人いるの」

もじもじと照れながら言う様に二人の目じりが下がる。フェルトは元々、人付き合いが苦手で友達と呼べる人物も今のところクリスティナ・シエラしか知らない。そのフェルトに新たな友達が出来たと言うのだから二人が喜ばしく思うのも無理はない。

「そっかあ、仲いい子が増えたのかぁ」
「うん」
「どんな子なんだ?」
「うん…カッコいい子」
「「……………」」

頬をほんのり染めてはにかむように呟いた言葉に二人の表情が固まった。笑顔は崩れていないが、口元が引きつっている。

「その子は…男の子なのか?」
「ううん、女の子。」
「…でも…カッコいいのか?」
「うん」
「体育の時間、すごかったもんね?」
「「お」」

突然会話に声が増え、首を動かすとライルの後ろにちょこん、と立っているクリスがいた。ふわふわの茶髪を一纏めにして瞳を爛々と輝かせている彼女はフェルトと対照的な性格だが、二人はとても仲が良かった。寮の場所が校舎から正反対に位置しているらしく、こうして待ち合わせをしているのだった。

「おはようございます!ロックオンにジュニア!」
「あぁ、おはようさん」
「なぁクリス、体育の時間がどうしたって?」

にこやかに輪の中へ入り、フェルトの横まで来ると腕を組んだ。いつもの光景ではあるが、これはクリスがフェルトに悪い虫が付かないようにと警戒と警告を表しているのだ。フェルトが大切で仕方ないクリスにとってそれは無意識からくる行動なのだが、ニールもライルも彼女の気づいていない本心が見えるので苦笑して見守っていた。

「うん!昨日の体育は陸上だったんですけど、すっごく身軽で足も早くて柔らかくって!」
「短距離走も一番だったし高跳びも身長より高いところまで飛んでたの」
「へぇ…身体能力抜群なんだな」
「でも笑うととーっても可愛いの!」
「滅多に笑ってくれないけど…」
「ふぅん」

目の前の二人が手に手を取り合いきゃっきゃっと噂をしていると、ニールの視界の隅に走ってくる人影が見えた。ふと顔を向けるとつられてライル、フェルト、クリスも同じようにその方向を向いた。反対側の歩道をかなりの早さで走ってくる人影は校門が近くなると車を素早く確認してガードレールをひょいと飛び越してきた。

「あ、あの子だよ」
「おっはよー!刹那ー!」

刹那と呼ばれた少女はこちら側のガードレールも難なく飛び越えるとフェルトの横までやってきた。あれだけ走っていたのに息が全く乱れていない。

「おはよう、刹那。」
「おはよう。辞書を忘れて取りに戻ったら遅くなった。すまない。」
「大丈夫だよー、そんなに待ってないし」
「そう…か…」

気難しそうにしかめられていた表情が幾分柔らかいものになるのをまじまじと見つめていると、その顔が不意に向けられた。
蜂蜜色の肌は滑らかで大きめの瞳は蘇芳色をしており、艶やかな髪は真っ黒で癖毛なのか、あちこち跳ねている。意思の強そうなきりっとした眉にチェリーピンクの愛らしい唇があどけなさを醸し出している。体のラインは華奢でスカートから覗く足は程よく鍛えられた筋肉がつき、女の子なら誰しも憧れるであろう細さですらりと伸びていた。
あまりにじっと見てしまっていたようで、眉間にシワが寄ってしまった。その表情の変化にいち早く気づいたニールは曖昧に笑ってクリスへと視線を投げ掛ける。

「あ、刹那、この二人はね?フェルトのお姉さんみたいな存在で…」
「高等部一年のニール・ディランディだ。こっちが妹の」
「同じく高等部一年、ライル・ディランディ」

ニールの肩に凭れかかってにっこり笑いかけると、違いを探すように二人をちらちらと見比べている。

「みんなは『ロックオン・ストラトス』って呼んでるの」
「二人とも同じじゃわからなくなるから、ニールは『ロックオン』、ライルは『ロックオンJr.』。『ジュニア』って呼ばれてるんだよ」
「よろしくな」

クリスの説明にこっくりと頷くとニールが手を差し出した。その右手をじっと見つめて数秒経過すると刹那の顔が上げられる。

「刹那・F・セイエイだ」

ぽつりと呟き頭を下げる。差し出した右手はそのままで、行き場をなくしてしまった。それを何でもなかったように頭へと持っていって誤魔化し笑いを浮かべる。その光景をクリスとフェルトは苦笑しながら見つめていた。
そんな周りに気づいていないのか、刹那はちらりと腕時計を確認すると視線をフェルト達に移した。

「そろそろ行かないと教室に着く前に本鈴が鳴ってしまう」
「え!嘘?!」
「ロックオン、ジュニア、また…」
「あぁ、またな」
「行くよー!二人とも!」
「あ、ちょい待ち。ゴミが…」
「っ!駄目!」
「へ?」

振り返った刹那の髪にゴミが付いているのを見つけたニールが取り除いてやろうと手を伸ばすと、珍しくフェルトが声を張り上げた。驚いたニールとライルがフェルトに目を奪われた瞬間…

―バシッ
「俺に触るなぁッ!!」

悲鳴に近い叫び声に時間が止まった。登校時の騒めきが水を打ったようにしんっと静まりかえる。弾かれた手が宙に浮いたままのロックオンは刹那の表情に目を見張った。大きく見開いた目は焦点が合っておらず、弾いた手が、その体が目に見えて震えている。何か言葉を紡ごうとする唇からは短く引きつった声と荒々しい呼吸が繰り返されていた。

「〜〜〜ッ!!」
「刹那!」
「ごめんなさい!ロックオン!ジュニア!またあとで!」

急に走り出した刹那をフェルトがすぐさま追いかけていく。その後を慌てて追いかけようとクリスが挨拶もそこそこに駆けだしていった。

「大丈夫か?姉さん」
「あぁ、ちょっとビックリしただけだ」
「訳ありって感じかな」
「ずいぶん深刻な内容っぽいな…」

ライルは三人が走り去った方向を見て思案顔をし、ニールは弾かれた手をぼんやりと見つめていた。ライルがふと腕時計を確認してふっとため息を漏らす。

「俺達もそろそろ行きますか」
「あぁ」

中等部の校舎を一度振り向くとニールは前を歩くライルの後を追って歩き出した。

 * * * * *

靴箱の横まで来ると刹那の足からかくんと力が抜けた。走っていた勢いが殺しきれずそのままどさりと膝をぶつけて蹲る。全てを拒絶するように丸まって震える体を必死に抱きこんでいた。そんな刹那にどうしたのかと声をかけようにもかけられずにうろたえる生徒が少しずつ増えている。その輪が大きくなり始めた頃ようやくフェルトとクリスが追いついた。

「刹那!刹那!?大丈夫?」
「〜〜〜ッ」
「顔上げて?刹那」
「ッ!」

二人は刹那の両脇に座り込みなんとか表情を確認しようとして地面すれすれまで顔を下げ覗き込もうとしている。だが、震える腕の中に深く埋められた顔は全く窺えることはない。本当なら肩を掴んで顔を上げてもらって自分達を見てもらいたい。けれどそれは出来なかった。

「どうしたの?」

ふんわりと柔らかな声が三人の頭上から落ちてきた。反射的に顔を上げると柔らかい表情を浮かべたマリナ・イスマイールが立っている。彼女は刹那がこの学校へ転入する少し前に中等部の保健医として勤務しているのだが、刹那のことを色々教えてくれたのも彼女だ。刹那と仲良くしてる彼女達にマリナは起こり得る事態を話して聞かせていた。そう、まさに今彼女が教えてくれたような状況に陥っている。

「マリナ先生…」
「何かあったの?」

彼女なら刹那を助けてくれる、と二人はほっと安堵の息をついた。その明らかな嘆息にマリナは首を傾げる。そうして漸く二人の間で蹲って震えている刹那を見つけた。

「刹那が…その…」
「誰かに触られちゃった?」
「えと…先輩がゴミをとろうとして…」
「そう…刹那?」

そっと柔らかく呼びかけると刹那の肩がぴくりと跳ねた。見る間に震えてた体も治まって来る。それを確認するとマリナは刹那の正面に移動して視線を合わせられるように座り込んだ。そうしてもう一度優しく名前を呼びかける。

「刹那?」
「……ぁ…」

ゆるゆると上げられた顔は血の気が引いていて、瞳もまだ完全に焦点が合っていない。それでもマリナはにっこりと笑いかけ刹那の意識が現実に戻ってくるのを待っていた。数回瞬きを繰り返す内に刹那の瞳へ光が戻る。ようやく目の前をきちんと認識出来るようになってきたらしい。その様子にフェルトとクリスが小さく安堵の息を漏らす。

「…まり…な…」
「『マリナ先生』でしょ?」
「…まりなせんせい」
「うん。立てる?刹那」
「…立て…る…」

目の前に差し出された手をじっと見つめてから恐る恐る手を重ねた。するとマリナは勢いをつけて刹那を一緒に立たせてしまう。服についた埃をぱたぱたと叩き落とすと膝に擦り傷が出来ているのに気付いた。その膝をフェルトが痛々しく見ている。

「刹那…膝…擦りむいちゃってる…痛そう…」
「…痛くはない」
「でもバイキン入ったら危険だよ?」
「問題ない」

両側から心配そうに声をかけられるが、当の本人は素っ気無く返事を返している。元に戻ってきている証拠なのだが、刹那のその返答は二人にこれ以上心配はないと言いたいのであって、さらに心配をかけさせたくはなかったのだ。けれどそれをどうやったら上手く伝わるか分からない刹那は「問題ない」と返すしかない。

「傷を甘く見ては駄目よ?保健室に行きましょう。消毒します」
「え…」
「うん!そうしてもらって?刹那」
「大丈夫。先生には私達から伝えておくから」
「だが…」
「ほら!カバンは私が持っていってあげる!」
「マリナ先生、よろしくお願いします」
「えぇ、任せて。ほらみんなも、教室に行きなさい!もう本鈴が鳴るわよ?」

クリスが素早く刹那のカバンを取り上げてフェルトと一緒に「あとでね!」と言いながら走っていってしまい、マリナは周りに出来た人だかりを散らすように手を叩くと渋々と生徒達は従って教室へと向かっていく。下駄箱前には刹那とマリナだけが残された状態になった時、学校のチャイムが鳴り響いた。クリスとフェルトが走っていった後をじっと見詰めたままだった刹那がようやくマリナへと振り返った。

「行きましょうか」
「…あぁ」



「おはよー!ロックオン姉妹!」
「その呼び方はどうにかならないのか?」
「なんだよ?間違ってないだろ?」

二人が教室に着くなり陽気な声が声高に挨拶をしてきた。それが誰であるかなど確認する必要など全くない。クラスメイトのパトリック・コーラサワーだ。高等部になって初めて同じクラスになったのだが、最初の頃は酷かった。一方的に。
ディランディ姉妹の人気は生徒に留まらず、教員にも人気があった。素行には少々問題があるものの、努力を惜しまない優秀な生徒であったからだ。その為、彼が愛してやまないカティ・マネキン先生にも一目置かれているので存在自体が面白くない。何かにつけてケチつけるようなことばかりしてきていたのだが、ちょっとした事から恋愛相談に乗ってやると態度が一変してしまった。今では一方的な良き相談相手と化し、仲のいい友達の一人となった。…のだが、あまりに騒がしいものだから度々ライルの制裁が落ちているのは事実だ。

「間違ってはないけど相手は二人なんだからちゃんと名前呼んであげないと。ね?ロックオン、ジュニア」

パトリックの後ろから現れたのは緑がかった黒髪の美丈夫、アレルヤだ。彼女はきちんと制服を着込んでいるが、自分のことは『僕』と呼んでいてディランディ姉妹の数少ない類友である。更に彼女も双子で隣のクラスにハレルヤという妹がいた。左目は灰色、右目は金色のオッドアイの持ち主で、同級生であるにも拘らず常に敬語を使い物腰が柔らかく人当たりがいい。だが、若干空気が読めなかったり、思った事をずばりと言うところがあり、肝の据わった人間だ。

「いや、それもあだ名であって名前じゃねぇから」
「でもこの名前の方が馴染んでますよ?」
「なんだよ?この前からかったから仕返しか?」
「まさか?」
「あー…もういいよ、好きにしな」

にこにこと返されるその言葉にニールは降参の意を告げた。不貞腐れた顔のニールにアレルヤはにっこりと勝ち誇った笑みを浮かべる。

「あら、珍しい。ロックオンがお手上げだなんて」
「俺にだって分の悪い時はあるさ」
「そうなの?」
「詰めが甘いんだよ、姉さんは。おはよう、アニュー」
「おはよう、ジュニア」

薄紫の髪を揺らし、アニュー・リターナーがライルの横へ寄ってくる。その彼女の腰へごく自然に腕を回すとこめかみにキスを落とした。ライルの彼女の中で一番付き合いが長く、仲がいい。かといって本命ではないのだと本人は言う。だが二人のやり取りを見る限りは幸せ絶頂の恋人同士にしか見えない。

「ね?中等部の校門でなにかあったの?何か騒いでたらしいけど」
「あぁ…ねぇ?」

子首を傾げてアニューが聞いてきた内容にライルは曖昧な笑みを浮かべた。ついでにちらりと横にいるニールへ視線を投げる。その視線にニールは眉間へシワを寄せた。

「ふるなよ。」
「だって当事者じゃん、姉さんは」
「ロックオンが原因だったんですか?」
「なんだよ、何しでかしたんだ?」
「まだ何もしてねぇし」
「「「まだ?」」」
「揚げ足取るな!」

アニュー、アレルヤに続きパトリックまで同じ方向に首を傾げられうっかり怒鳴ってしまう。だが、そんなニールにもめげず、三人は一様に訝しげな目をしてきた。

「お前達、本鈴はとっくに鳴っている。席に着け」

五人がつい立ち話に花を咲かせていると担任のカティ・マネキンが割って入ってきた。「はーい」と声を揃えて返事をした中で一人だけうるさいくらいの元気な返事をした奴もいたが…

「…ロックオン」
「ん?」

カティが出席を取る中で後ろの席のアレルヤがひそひそと呼びかけてきた。ばれないようにとこちらも声を潜めて返事を返す。

「後で何があったか聞かせてください」
「なんだよ、やけに引っ掛かるじゃん」
「そりゃあマリーもいる中等部のことですから」
「…あぁ」

マリーとはアレルヤが恋い焦がれる中等部の幼なじみだ。ほぼ兄弟のように育ったせいか、それとも同性だからか、イマイチ恋愛には発展出来ずにいる相手でもある。その子の名前が上がったところでニールはなるほどな、と納得してみせた。

「それにそんなに落ち込まれては心配になるでしょ?」
「!」
「アニューやパトリックは誤魔化せても僕は誤魔化されませんよ」

「降参」という代わりに肩をちょっとだけ上げてみせた。後ろから小さく笑う気配が伺えて、数少ない親友の存在に心から感謝をする。そうしてふと窓の外へと視線を移す。

―俺は…何に落ち込んでいるんだろ?
「ニール・ディランディ!返事をしろ!」
「はッはい!!」



「そんなに落ち込んでいるのね」
―こくん
「相手の手を払ってしまったことに」
―こくん

あれから保健室に連れられ足の消毒をしてもらったのだが、何故か教室には戻らせてもらえず…そのまま話し込んでしまっている。とはいえ、喋らされたようなものだが。
マリナは刹那がこの学園に来る機会を与えてくれた人間だった。いわゆる恩人といった立ち位置であり、そんな相手に色々聞かれては無下にすることも出来ず、刹那はぽつぽつと事のあらましを話した。
両手に包み込んだホットミルクの入ったマグカップは少し温くなり、猫舌な刹那でもすぐに飲めるほどになっていた。途端にしんっと静まりかえる室内…けれども決して居心地が悪いわけではなく、穏やかに感じるのはきっと目の前にマリナが座っているからだろう。

「…それに…」
「うん?」
「…握手しようと差し出された手も無視してしまった…」

しょんぼりと、きっと猫ならば耳と尻尾がぺたんと下りてしまっているだろうその様子にマリナは微笑みを浮かべる。
刹那は人が傷ついている気配に敏感だ。けれど、そうと分かっていながらも言葉を添える事も出来ず、その上無表情なので誤解を受けやすい。しかし、その不器用さの下に隠された素のままの刹那は人一倍優しい。ただ優しさをどう表現するのかが分からないのだ。
だから一度理解してもらった相手は刹那の不器用さにいとおしさを感じる。
今のマリナのように。

「ねぇ、刹那。その相手にはもう会うチャンスはないの?」
「…フェルトが仲良くしていた」
「じゃあ、会えるように頼んで少しお話ししてみたら?」
「…話?」

マリナの提案に刹那は首を傾げてみせた。人付き合いの苦手な刹那には会って何をするかなど、まったく見当がついていない。ましてや話をするなど、何を話せばいいのやら…そんな困り果てた顔をしている。

「そう。『触れられるのは苦手だ』って。それだけでいいの。」
「…それだけでいいのか?」

ますます曇っていく表情にマリナは苦笑を浮かべた。
「大丈夫よ」と安心するように告げると一限目の授業が終了する鐘の音が響いた。



一方ニールは昼休みにライルとアレルヤに屋上へ誘われ朝の事を話せば、「女の子に拒絶されたのがショックだったんじゃないですか?」と納得の出来る言葉をもらって、落ち着きをみせた。それでもまだライルは何か考えているようだったが、それを話すことはなかった。


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