「先生……頭のスキャンをしてください……」

 ようやく合流出来たマイスターが傷を負っていた為、急を要する治療をしたのは先日のこと。無理を押して出撃した後、検査の為に何度かスキャンした数値を見比べていると深刻そうな顔をした男が訪ねてきた。
 けれど、『先生』と呼ばれたアニューはきょとりと瞳を瞬くばかりだ。

「え……と?……頭痛がする……とか?」
「んーん……」

 ゆるりと首を振る男はゆっくりと肩に額を押し当ててきた。甘えるようなその仕種は普段の彼からは全く想像の付かない行動だ。凭れかかるように体重をかけて腕も回される。抱き込まれる感覚に驚いたが、声音が酷く落ち込んでいるようだ。そっとミルクティーブラウンの髪を撫でてどうしたものか、としばし悩む。

「俺さ……ここに来てからちょこちょこおかしいんだよな……」
「?そうかしら?」
「取り繕ってるから分からないと思うけど……」
「そうね……全然気付かなかったわ。」

 アニューがトレミーに来たのは彼よりもだいぶ遅い時期だ。その頃は全員揃っていたし、彼、ライルも他のメンバーと何の問題もなく接していたように思う。そんなライルが自覚するほどに自分はおかしいのだと言った。ますます困惑するアニューに、ライルは少しずつ打ち明けていく。

 事の始まりは……ソレスタルビーイングと接触した時までさかのぼる。

−「お前を迎えに来た。」

 呼び出された場所に現れたのは黒髪にスレンダーな体つきをした青年だった。
 どこかデジャヴを感じてしまうが、印象的な紅い瞳を見詰めて思い浮かばないことから思い過ごしだったと考えを改める。
 何年も会っていなかった兄の事と、その青年の正体を明かされるとともに1本のデータスティックを渡された。そこには、件のソレスタルビーイングの情報が入っているという。どうするかは自分で決めればいい、という割には随分危険な事をしでかす青年に冷やかしかとも疑ったが、煌めく瞳がその疑いを打ち砕いてしまった。
 しばし悩みはしたが、結局ライルはソレスタルビーイングに来た。道中、青年の、刹那の秘める覚悟と意志を見せつけられながら。

 ようやく辿り着いたトレミーでは予想通りの歓迎が待っていた。
 誰もが兄と重ね、誰もが『ライル』ではなく『兄』を呼ぶ。
 その中ではっきりと分けて捕らえていたのは刹那とティエリアの二人だけだった。
 ティエリアはどちらかというと存在の完全否定に近いが、刹那はライルをライルとして見ているようだ。

 最初はそんなイメージだけを受けていた。
 だが、ライルの言う、『問題』が起きたのはもう少し経ってから……−

「刹那がさぁ……ふとした瞬間、めっちゃくちゃそそられるんだ……」
「……はぁ……」
「こう……抱き締めたい……とか……独り占めにしたい……とか……」

 表情がまったく見えないので冗談なのかとも思ったが、声音が酷く真摯だった。どうやら真剣に悩んではいるのだが、恥ずかしいとか、格好悪いとか。男のプライドが傷つきそうなものだから顔を上げられないらしい。ずっとアニューの肩に凭れたままに『自分が可笑しいと思う症状』を連ねていく。

「……この前もさ……へこみそうだったんだ……」
「この前?……刹那さんが帰った時?」
「……ん……」

−「刹那!大丈夫なの!?」
「刹那!コクピットを開けて!」
「返事をして刹那!」

 アレルヤと二人、Mr.ブシドーに追い込まれているダブルオーを見つけて救援に向かった。その時から刹那の様子がおかしいと思えば、どうやら傷を負ったらしい。駆けつけた時には戦闘による体への負担からまともに操縦も出来ない状態になっていた。とりあえずは引いてくれはしたのだが、着艦後、ぎりぎり保っていた緊張が切れたのだろう、コクピットの中で刹那は気を失ってしまったらしく、まったく反応を返さない。
 自らもケルディムを着艦させると、一目散にダブルオーの元へと走った。小脇に相棒を抱え、ダブルオーの前に出来た人垣を掻き分けていく。

「ハロ、緊急事態だ!ハッチを開いてくれ!」
「リョーカイ!リョーカイ!」

 混乱のあまり上手く思考が回転していないだろう、スメラギ、フェルトを尻目にハッチの横まで来ると優秀な相棒はすぐに開いてくれた。重々しい音を立てて開いた途端、コクピット内に広がる鉄のような匂いに思わず顔をしかめ、その中でぐったりと横たわる刹那を見た瞬間血の気が引いた。どこを怪我したのか分からないので出来るだけ体には触らずにヘルメットを脱がしにかかる。不安定な首を支えながら外せば汗を滲ませる青褪めた顔が露になった。

「ロックオン!刹那は!?」

 最後に着艦したアレルヤが近くにまで来たのが分かった。人の気配が少し多いことからティエリアもいるだろう。汗で額に張り付いた髪を掻き上げてやると、ふと足元に転がっている物に気付いた。そっと屈んで取り上げると、どうやら麻酔らしい。使用済みであることから痛みを誤魔化してここまで帰ってきたのだろうけれど、先程のフラッグに絡まれて体に余計な負担をかけたようだ。

「……無茶しやがって……」

 自分よりも遥かに細い線を描く体のくせに。小さく舌打ちをしてそっと指を伸ばす。頭部を怪我していたら、と思ったが、どうやら違う場所らしい。徐々に視線をずらしていくと、右腕の辺りのスーツが焼けているのに気が付いた。切断の痕がないことから、刃物ではない。しかも穴が開いていないことからレーザーガンで撃たれたようだ。

「……とりあえずは命に別状があるほどの重症じゃない。」
「……そっか……」

 何か手伝えることはないか、とすぐ傍まで来ていたアレルヤに簡単な状況説明をすると、ほっとした声が聞こえてきた。

「あと、コレ持って先に医務室へ連絡入れてくれ。」
「なに……これ……?」
「麻酔の一種だろ。痛みを押さえつけてここまで来たらしい。」
「……分かった……」
「あと治療をすぐに始められるように準備もしといてくれって言っといて。」
「了解。」

 なるべく負担をかけないように運ぶべく狭いコクピットに入っていくと、アレルヤが他のメンバーに伝えるとともに道を開けてくれる。
 アレルヤに代わってサポートをしてくれるようで今度はティエリアが傍まで来てくれた。

「……気を失ったままか?」
「あぁ。どっちかっつーと発熱でぐったりしてるって感じだな。」
「……それでも……帰ってきてくれたならそれでいい。」
「……そうだな……」

 ぽつりと呟かれた言葉に彼が刹那をどれほど心配していたかが窺える。他のメンバーから聞く限りでは犬猿の仲だったというが、それらしい雰囲気はまったくなかった。それどころか互いに大事にしあっている感じさえ漂っている。むしろティエリアなんかは過保護なくらいだ。
 どこかおもしろくない気持ちが湧きあがるがあえて気付かないフリをして刹那の上体を自分へともたれかからせる。右肩への負担をなくすとなると横抱きだろうな、と足を掬い上げると思った以上の体の軽さに目を瞬く。

「?……どうかしたのか?」
「へ?あ、いや……」

 思わず固まってしまったことにティエリアが不思議そうな声音で話しかけてきたので正気に戻った。狭いコクピットの中では方向転換が出来ないので後ろ向きに出て行くとハッチの角に頭をぶつけないようにとティエリアがさり気に手でカバーしてくれる。細心の注意を払いながらダブルオーから出るとシステムダウンすらしていなかった機体の方はティエリア達に任せて医務室へと急いだ。

「……っ……」
「もうちょい辛抱な。」

 歩く振動が傷に障ったのか首元で息を詰める声が聞こえる。すぐ横で荒々しい呼吸が聞こえることに生きている安堵と悪化したらどうしようという心配が鬩ぎ合いを始めた。力の限り走ってしまいたいが、傷口が広がったりするとまずいと早歩きに近い状態である。パイロットスーツ越しにも熱い体に更なる焦りが滲み出てきた。

「ぁ……っ……」

 それでも多少は起きてしまう振動に小さな呻き声が耳を擽る。けれどそれは痛々しいというよりは熱に浮かされた艶めかしい声音に聞こえた。

「っ!」

 更に何かに縋りつきたいのか首筋に額を擦り付けて来られて思わず足を止めてしまう。そろりと視線を下ろすが特に変った様子はない。
 運ぶ際の振動があまりに辛いようなら少しずつ運ぶべきかという考えから刹那の様子を窺うべく、通路で座り込む。そっと体を下ろしてみると相変わらずぐったりしたままだが、頭が縋るように首元へと押し付けられてきた。意識が戻ったかと思ったが投げ出されたままの手足を見る限りではその可能性は低そうだ。

「……刹那?」

 低いと分かってはいるが一応呼びかけてみた。けれどやはり反応はない。ふと小さく震えている事に気付きもしかして発熱による悪寒から温もりを求めているのかも、と考えついてパイロットスーツの上体だけを脱いでしまう。袖を腰に括りつけて再び抱え上げるべく上体を凭れかからせると刹那から体を寄り添わせてきた。

「……おい……?」

 今度こそ意識が戻ったかと呼びかけるがやはり返事はない。無意識かと思っていると首元で……ほぅ……と安堵にも似たため息が吐き出された。途端に背筋を走るぞくぞくとした感覚に目の前が真っ白になる。

−……お、お、お、お、お、お、お、落ち、着けっ俺ッ!!!

 無意識に震える手にぐるぐると回る頭で呪文のように同じ言葉ばかりを繰り返す。すると目の前の通路を折れた方向から足音が聞こえてきた。きっとなかなか来ないから心配をされたのだろう。硬質な足音に正気を取り戻すと全く力の入っていない体を再び持ち上げたのだった。

−「…俺…ノーマルなんだけど…」
「………」

 とりあえず椅子に座らせたもののがっくりと項垂れているのは相変わらずで……それでも全てを話しきって今に至っている。そんなライルの旋毛を見ながらアニューは感心していた。
 ライルは本能的に刹那を女だと解っているようだ。
 アニューはトレミーに来た時に医療面も出来る事をスメラギに報告をした際、『刹那が女である』事を聞いていた。そしてその事実は伏せてあるという事も。当人の希望であると言われれば反対することも出来ず、了承の意を告げるしかなかった。
 そうして当の刹那が負傷して帰還。さっそく診ることになった相手を初めて見た時は内心酷く驚いたものだった。スメラギから聞いていなければ男性として接していただろう。けれど表情や顔の造りを見ていると女性と言われても分かる気もする。それほど中性的な顔をしているのだ。

「……はぁ……」

 重々しいため息を吐き出すライルをちらりと見て視線をあさっての方向へと飛ばす。男としてなんら可笑しいことはないのだが……それを告げられないのは少々可哀相な気分にさせられる。どう言っておこうか、と悩んでいると来客があった。

「あ……」
「あら……」
「……あ……」

 来たのは件の刹那だった。そういえば検診の結果と経過を診る約束をしていたな、と思い出す。三者三様に吐き出された声とびしりと面白いくらいに固まっているライルに小さく笑いが漏れてきた。

「邪魔した……」
「あ、大丈夫ですよ。」
「え!?」

 二人きりの時間を堪能していると思われたのか、刹那が出て行こうとするがアニューがすかさず引き止めに行った。そんなアニューにライルは驚愕に満ちた声を上げてしまう。

「もう終わりますから。」
「お、終わりって…」
「……大丈夫……なのか?」
「えぇ。」

 至極にこやかなアニューにライルはあわあわと意味もなく手を挙げたり下げたりしている。そんな彼に刹那も少々心配気味にしていた。

「ほら、ライル。その椅子空けて。」
「う……あ……はい……」

 どの辺が大丈夫なのか分からない刹那は有無も言わせず連れてこられ、ギクシャクと挙動不審気味に椅子を空けたライルを見上げた。

「……顔色がおかしいぞ?」
「へ?いや……そう……かな??」

 引き攣った笑みを浮かべてしまいますます訝しげにされてしまう。じっと見つめられる瞳に金縛りにでも遭ったように動けずにいるとそっと手が触れてきた。

「……熱はないな……」
「〜〜〜ッ!!!」

 前髪を上げられたかと思えばこつりと額を合わせられる。間近に迫った顔にライルは声もなく絶叫した。そんな様子をアニューは可笑しげに眺めている。ライルがこれほどまでも慌てふためく姿というのは中々見れないものだし、何よりその光景が可笑しくてならない。

「えぇ、大丈夫なんですよ。」
「……あんたがそういうなら……そうなんだろうけれど……」
「……う……ん……」

 そっと離れた刹那にアニューは肩を叩きながら微笑みを浮かべる。ライルはようやく解放された事に残念なのか、安心していいのか、と複雑な表情を浮かべていた。

「ライル、病は気から、よ?」
「へ?」
「ゆっくり落ち着いて考えればいいの。ね?」
「あ……は、い……」
「はい!では刹那さんの治療をしますので退室してくださーい。」
「あ、と……お邪魔……しました。」

 ぱぱっと言いくるめて押し出していくとまだ混乱しているのか、素直に従ってくれる。扉が閉まる前に笑顔で手を振って見送った。

「それにしても……刹那さんて天然クラッシャーだったんですね。」
「?てんねん??」
「こちらの話ですのでお気になさらず。」

 先程まで見ていたスキャンデータを引き寄せて椅子に座ると立ったままだった刹那も椅子に座ってくれた。

「傷なんですけど……悪化の兆候は見られません。……それ以上に……」
「…そ…れ以上に?」
「擬似GN粒子の数値が減ってきています。」
「……減る?」
「えぇ。原因は分からないんですけど……確実に減っているみたいです。」
「……そうか。」
「で・も。」

 治癒に悪影響を及ぼしていた擬似GN粒子が減っているということは、傷が順調に回復するということだ。その結果に刹那はほっとした表情を浮かべる。しかし、アニューにはまだ言いたいことがある。

「傷の完治はまだしていません。」
「あぁ。」
「ですから無茶なことをしないでくださいね。」
「……善処する。」
「……そうおっしゃると思った。」
「え?」

 予想通りの答えにアニューは苦笑を浮かべてしまう。本当なら完治の兆候すら見え始めているが、今のCBの、世界の現状を考慮すると刹那がゆっくり休める時間はほぼないも同然だった。出来るなら完治してしまうまでカプセルに入って欲しいところだが、それらを理由に毎日数分照射治療をしている状態だ。

「戦争をしているのだから……仕方ないのだけど……」
「……あぁ……」
「メメントモリでもかなり冷や冷やしました。漸く合流したのに傷の手当てを満足に出来ないまま出撃なんて……」
「……」
「本当に……心配したんです。」

 溜めていた言葉をゆっくりと紡ぎながら刹那を真っ直ぐに見つめていると無表情の中にも憂いを帯びた色を見出した。そんな顔を見ながらアニューは刹那の人となりを理解していく。ただ無表情だとか、無感動なのではなく、それを表現する術を知らないのだと。けれど4年前にも一緒に居たクルーは口を揃えて言う。表情が柔らかくなった。それはきっと『誰か』が刹那に『あらゆる感情』を教えたからだろう。
 困ったように黙りこむ刹那にアニューは苦笑を浮かべた。

「……戦うなって言いません。」
「……」
「ただ……体をもっと大切にしてください。女性なんですから。」

 せめてものお願いを、と思って口にした言葉に、少し驚いた表情を浮かべた刹那の瞳が揺れたように思えた。けれど一瞬の事に判断が付かない。気に障ったかと内心ハラハラしているとすぐに苦笑へと切り替わってしまった。

「……そうだな……」
「……」

 ぽつりと囁かれた言葉はどこかとても悲しそうに聞こえる。まるで『女性である』ことを悔いているようだ。

「あ……の……」
「そう言ってもらった直後ですまないが……哨戒に出なくてはならない。」
「……あ……はい……お気をつけて……」

 微笑みを浮かべて立ち上がる彼女を引き止めることも、悲しげな雰囲気について尋ねることも出来なかった。

「……刹那さん……」
「?」
「好きです。」
「………そうか。」

 突然投げかけた言葉にきょとりと瞬いた刹那だが、すぐに苦笑を浮かべて部屋から出て行ってしまった。
 静かに閉じた扉をじっと見つめ、深いため息を吐き出す。
 刹那に向かってかけた言葉は、常に凛と佇む彼女に対する素直な好意の表れだった。

 彼女に出会ってからほんの少ししか経っていないのだが、アニューの目にはとても危うげに映っている。
 それは負傷をしたからではなく……『何か』に焦っているように見えるのだ。
 『何』という内容は分からない。けれどそれは『一人』で成し遂げなくてはと躍起になっているようだった。
 すぐ傍に心配をしている人がいると分かっていながらも止められない衝動が刹那自身を苦しめている。そんな不安定さにますます傷つきそうなその姿に胸を痛める。

「誰か……包み込んで上げられる人がいればいいのに……」

 ぽつりと呟いた言葉は誰に届くこともなく、儚く宙に散って消えた。


10/12/25 脱稿
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