「4年前この宇宙の中に散った。」

 淡々と紡がれた『それ』は予想通りの答えだった。けれど聞きたくない答えだった。
 いつだったか……ルイスが刹那を飾り立てに連れ回している間、彼と話したことがある。あまり突っ込んで聞くのも失礼かとは思いもしたが、他に話題が浮かばず、刹那の家族の事を聞いた。

−「家族?」
「はい……その……良家のってのじゃなくて……」
「そっちじゃないの?」

 くすくすと悪戯っぽく笑う彼に苦笑を返した。
 どうしても納得のいく答えを強請ったルイスに『刹那は良家のお嬢様で駆け落ちしているのだ』という話をしていた。もちろん沙慈は信じていないが、夢見がちな彼女には堪らない内容らしい。

「良家の家族なら結構長くなっていい時間潰しだったんだけどねぇ。」
「いや……確かに潰すにはいいかもしれないんですけど……」
「例えば。メガネをかけた頑固親父にナイスバディな魅惑の婦人。気難しいインテリ美人な兄がいて、優しいんだけどちょっと残念なとこが惜しいお兄さんに、人見知りでふわふわした可愛い妹。賑やかな逞しいメイドさんに、お調子者のフットマンと寡黙なマッチョのSP……とかね?あと癖の強い主治医とかさ。」
「……なんだか妙に具体的ですね……」
「このくらいないと彼女は騙せそうにないからね?」
「あはは……」

 ひょいと肩を竦めて笑う彼に乾いた笑いをもらしてしまう。やけにスラスラと淀みなく出てくる設定にいったい何の仕事をしているのか?と横顔をまじまじ見詰めてもしかして俳優とか?と思ったが服装を見て却下してしまった。まぁスタイリストがいれば問題はないかもしれないが、テレビに出るような人物がこんな場所を堂々と歩いているのもおかしいということで改めて却下しておく。

「ま、冗談はさておき……」

 ふと明るい笑顔に陰りが見えぱちりと目を瞠ってしまう。急変してしまった雰囲気にやっぱりいいですと断るタイミングを失ってしまった。

「刹那の家族……いないんだよ。」
「……あ、……えと……」
「戦争孤児っていうのかな。兄弟はもともといなかったみたいでさ。戦争で両親を亡くして……一人ぼっち。」
「……すいません……」
「や、謝ることじゃないよ。」

 何故か彼自身が傷ついているような声音にやはり聞いてはいけないことを聞いてしまったようで俯いてしまう。謝る沙慈の頭を優しく撫でてくれるが、やはりどこか罪悪感が残った。

「10年近くも経つし……忘れてしまったなんてことはまずないだろうけど。割り切ってるからな、あいつ。」

 そう言って遠くに投げられた視線は前を行くルイスに引っ張られている刹那の背中に注がれている。同情の欠片も感じない慈愛に満ちた眼差しに本当に愛しているのだと見せつけられて少し頬が赤くなった。気まずげに視線を漂わせてどうしようかと迷い始める。

「だからかな……」
「え?」
「親に甘えられなかった分べったべたに甘やかしたいって思うし、何の不安も感じないように包み込んで守ってやりたいって思うんだ。」
「………」
「ま、これは単に刹那の照れ隠しが可愛いからってのもあるけどね?」

 途端に崩れてしまった神妙な空気にずるりと肩が落ちてしまった。つい今の今まで感動出来る雰囲気だったのに。とかなり惜しい気分にさせられる。苦笑いを浮かべていると横で手を掲げた気配があって顔を上げればかなり先まで行ってしまっているルイスがぶんぶんと手を振り回し、刹那と一緒に振り返っていた。その二人に応えるように手を振っているらしい。そっと視線をずらしたところにいる刹那の表情は無表情なはずなのだが、ロックオンが応えてくれている事にどこか安心しているように感じる。

「……あいつの新しい家族になれたら最高ではあるんだけど。」
「……ならないんですか?」
「ん?」
「えと……その……結婚……とか?」
「ははっ……相手があの刹那だからなぁ……まだ当分無理かな?」
「年齢ですか?」
「うん、そこは問題ではないと思うけどさ。刹那が俺を家族って認めてくれるかな?ってとこ。」

 彼の雰囲気に似合わず苦笑を洩らす横顔にらしくないなぁ、と思った。けれどそれだけ慎重であり、大事にしたいんだろうとも理解出来たので突っ込まないでおく。しかし……

「僕は……」
「ん?」
「刹那は……ロックオンさんのこと、家族だって思ってると思いますよ?」
「……そう?」
「僕の勝手な思い込みかもしれないですけど……刹那、ロックオンさんといると……その……雰囲気が柔らかいっていうのかな……安心してる……みたいな。そんなとこ……あるように見えますから。」

 自信のなさからしどろもどろになりつつも思ったことを素直に打ち明けると彼は少し驚いたような表情になった。余計なこと口走ったかなぁ…とドキドキしていると一拍遅れて破顔していく。

「だったらそういうことにしようかな。」

 そう言って笑った彼の顔はとても嬉しそうだった。
 心の底から喜んでくれた事に沙慈も自然と笑みが漏れてくる。

「さぁ〜じぃ〜!ロックオンさぁーん!」
「はいは〜い!」

 なかなか来ない二人に焦れたルイスの声が呼んでいる。ロックオンがすかさず返事をすると沙慈の肩を叩いて小走りに駆けて行った。

 * * * * *

「……うそだ……ほんとう……に……?」

 彼がガンダムマイスターだったということであの日の話の仕方の辻褄があった気がした。回りを偽る為には様々な人間にならなくてはいけなかったのかもしれない。それならば次々浮かぶ設定にも納得がいく。
 だが、それよりも……あの……優しげな笑みを浮かべていた彼がいないという事実の方が衝撃だった。
 それほど長い時間を共にしたわけではない。彼の事を色々知っているわけでもない。けれど、沙慈の中の『彼』はいつも刹那のそばにいて笑みを浮かべ彼女の頭を撫でているような……そんなイメージしかない。その『彼』が……もう、どこを探してもいないのだという。

「何かの……間違いとか……」
「それはない。」
「ッどうしてそう言い切れるんだよ!?」

 4年前に何があったのかは詳しく知らない。その頃はただ一人の家族だった姉を失い、傷ついたルイスに何もしてあげられなかった悔しさと…その二人を自分から奪った『ガンダム』がただひたすらに憎かったのだ。テレビに映し出される度に呪いのような言葉を投げかけてばかりいたと思う。そんな中で、ソレスタルビーイングのガンダムを撃破したというニュースは流れなかったはずだ。

「俺の目の前で爆破に飲まれて行ったからだ。」

 そうであって欲しいという願いは儚くも散ってしまった。
 はっきりと返された言葉に喉の奥が引き攣った。まるで切られたようにじわりと広がる血の味に似た苦く熱い感覚に目の前が真っ白になる。失った悲しみだけにとらわれていたあの頃。この宇宙でも刹那が同じ苦しみを味わっていたということだ。今ここで話を聞かなければいい気味だと思って嘲笑っていたかもしれない。けれどそんな気持ちなど欠片も湧いてこなかった。それほどまでも『彼』が惜しい人物だと感じる。

「………」

 あまりの事実に言葉が紡げなくなる。そんな沙慈をしばらく見ていたが、刹那は静かに踵を返すと今度こそ出て行ってしまった。閉じていくドアが酷くゆっくりと感じられるが、閉じ切るまでに再び声をかけることはできなかった。

 * * * * *

 背中に感じていた沙慈の視線がドアによって遮られる。誰もいない廊下に出た刹那はロックの掛ったドアに凭れ掛かり俯いた。視界に靴の先を映しこみ、ゆっくりと詰めた息を吐き出す。

「………ふぅ……」

 未だ呼吸の止まるような感覚が喉の奥を締め付ける。4年経った今もまだあの光景が瞼の裏に生々しく残っていた。普段通りに言えただろうけれど自分の心には嘘はつけない。ずきずきと痛む胸が治まるまでゆっくりと呼吸を繰り返した。

 手を伸ばし…届かなかった指先は……今もなお痛みを訴える。
 過去はどう足掻いても変えられないと分かっているはずなのに……
 心のどこかで諦めきれないでいる。
 ずっと……4年間……旅をしている間、言い聞かせてきた。
 ……あの瞬間を変える事は出来ないのだと。
 失ったものは……二度と戻らないのだと。
 それでも揺れる心に己の弱さを思い知らされる。

「……大丈夫……大丈夫だ……」

 きゅっと閉じた瞳をゆるりと開いてふと見降ろした先にあるのは左手。ソレスタルビーングに制服が出来た上に手袋の常時着用になったので、ほとんど首に掛けていた大事な物をあるべき場所につけている。
 そっと上げた左手の……薬指に口付けた。
 手袋の革の感触の下に皮膚とは違う固さが唇に触れる。

 そこにあるのは……彼からもらった指輪だった。


10/12/17 脱稿
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