ふわりと広がったのは薔薇レースの縫いつけが成された真っ白なチュール布地だった。立ち上がっても尚床に擦る長さのそれは刹那にとって見覚えのあるものだ。

「……マリアヴェール?」

−「せっつなー?」

 それはトウキョウでの待機期間だった。待機2日目に突然訪れた男は勝手に持ち込んだソファの上から手招きをする。筋トレをしていた刹那にとっては中断させられた苛立ちもあるが、読書をしていたロックオンが構ってくれるのも僅かながら嬉しく感じるので素直に近寄っていった。

「……なんだ?」
「ここにおいで。」

 ちょいちょいと指差されたのはソファで寛いでいた彼の足の間だ。密着する座り方になるのは瞬時に判断でき、筋トレで汗をかいたこともあり少し気後れしてしまう。けれどじっと見つめて来る瞳は実行するまで待つ気のようで、仕方なく彼の目の前の床へ座り込んだ。

「なんで床なんだよ。」
「……別に。」

 苦笑を交える声とともに両脇から腕を回されて結局は彼の望むとおりに座らされてしまった。上着を脱いでタンクトップのみの状態で左肩に顎を乗せられてしまい思わず肩を跳ね上げてしまう。けれどロックオンは特になにも言わずに刹那の前へ見ていた雑誌を広げて見せた。

「な、どう思う?」
「………どう思うとは?」

 開かれたページは数人の女性が真っ白な衣装に包まれていた。ページの見出しをちらりと見てみると『ウェディング特集』なる文字が並んでいる。

「刹那だったらこういうふわっと広がるスカートのが可愛いと思うんだよな。スカートの長さもミニにしてもいいと思うし、このバルーンタイプっての?これなんかいいよな〜。」
「………」
「ヴェールもさ、これみたいに何重にも重なるタイプで真珠のティアラとかでもいいけど花付けても可愛い……って……」
「………」
「なんつー顔してんだよ、お前さん……」

 広げられた紙面の中から一人指差されたのは柔らかく波打つウェーブの髪をアップにした女性だ。彼女の纏うドレスは胸元にレースをあしらった愛らしいリボンとサテンで出来た薔薇のコサージュが付いており、ふわりと広がるスカートの後ろにはフリルを存分につかった特大のリボンと大輪の薔薇が存在を主張していた。しかも2WAYスタイルのドレスらしく、幾重にも重なる膝丈のフリルと大輪の薔薇を腰に着け直したスタイルが載っている。
 その写真を見ながらロックオンの言葉を聞いているうちに、刹那の眉間には皺が深く寄り瞼が半目になるほどに落ちてへの字口になってしまった。その表情を肩越しに覗いた彼は思わず驚いてしまう。そこまで明らかに嫌そうな顔をされるとは思っていなかったのだ。

「言うならば俺はこういう方がいい。」
「んー?マリアヴェール?これまた随分クラシカルな…」

 そう言ってひたりと刹那が指差したのは、レースの布地を重ねたマーメイドラインのシンプルなドレスだ。花やリボンはあしらわず、スカートを後ろの一箇所でのみ寄せ集めてドレープを作ってある以外にコレといった装飾はない。けれどドレスに相応しい細やかなレースの柄があしらわれていた。
 しかしロックオンにしてはシンプルすぎると言いたいらしい。渋った声を上げた。

「あんたの脳と目がどうなってるか知らんが、俺にふわふわの可愛らしい感じなど似合わない。」
「……何気に酷い言い方してね?」
「気のせいだ。」

 少し引っかかったものだから突っ込んでみたらさらりと流されてしまった。さらに突っ込もうかと思ったが拉致が開かないだろうと判断してやめておく。そして指差したドレスと今腕の中に納まる彼女を思い浮かべてみた。

「……うーん……」
「黒を選ばないだけマシだと思うが。」
「……あ〜……うん……」

 次に指差されたのはウェディングドレスとしては珍しい黒地のドレスだ。下に重ねられた柔らかなピンク色のスカートとビーズによる刺繍は映えてとても綺麗ではあるがやはりどちらかといえばシンプルな部類だ。

「じゃあ……マーメイドラインでいいからせめてこの辺りで。」
「………」

 渋りつつもロックオンが次に指差したのは確かにマーメイドラインのドレスだが、膝の辺りにリボンと花が付いておりドレープの下からはたっぷりと重ねられたレースが覗いている。それをしばらくじっと見つめてから彼の横顔を睨みつけた。

「……どうしてフリルやリボン、花を付いているものばかり選ぶ?」
「お前さんこそどうしてそこまですっきりシンプルなものばかり選ぶんだよ?」
「そんなの……似合わないからに決まっている。」
「んなことねーっつーのに……」

 ぷいっと顔を反らしてしまった刹那にロックオンは唸ってしまう。生い立ちからして女の子らしいものから離れて生きてきた刹那だが、ロックオンは知っている。密かに愛らしい小物に目を奪われるようになってきたのを。それに、当人は否定するが、決して似合わないものではない。ウェディングドレスを着る機会は一生に一度きりなのだから思い切ったデザインにしてもらいたいのだ。

「じゃ、妥協してこれ。」

 そう言って今度は刹那の許容範囲に入りそうなマーメイドラインのドレスだった。妥協、というとおり、リボンも花もない。フリルが折り重なり裾のボリュームを出しているとはいっても幅が広く大きなものだから愛らしい印象はあまりしない。ただし……

「編み上げるタイプなのか?」
「そうそう。胸元にシャーリングが寄ってるから胸のでかさは気にしなくていいぞ?」
「………」

 胸を強調しているようなデザインに見えてそこを指摘しようと思ったら先を越されてしまった。そうするともう気になる部分も見当たらないので刹那も妥協の元こくりと頷く。

「で、お色直しはこいつ着て。」
「……なぜフリルたっぷりのミニスカートを選ぶ?」

ようやく解決したところに更なる難題を吹っかけてくるロックオンに再び眉間に皺を寄せてしまった。−

 ふと脳裏に思い出された遣り取りにふと笑いを漏らしてしまった。あれほどティアラにフリルのヴェールがいいと駄々を捏ねたくせに用意したのはマリアヴェールと薔薇の花飾りだ。どこまでも甘い男の顔を思い浮かべて手に取ったヴェールを撫でる。
 箱の中には他にリボンが数本とパールやスワロフスキーのビーズなどが入っており、これらでブーケやアクセサリーでも作る気でいたのかイヤリングやネックレスの金具も見つかった。花嫁衣裳を手作りするとは……どこまでも器用な男だ、と感心しつつ出したものを片付けていると、あれ?と首を傾げる。

「……ドレスは……ないんだな……」

 片付けた箱の大きさからしてドレスの入る大きさではないのは分かっているが、もしかしてヴェールとブーケだけで式を挙げるつもりだったのだろうか?と考えてみた。しかし、アクセサリーの類の他にも白いサテンの長手袋を見つけたのでどうもこの考えは間違っているようだ。何せ刹那の服装は詰襟にストールを巻いて長袖の上着なのだ。その服に長手袋はないだろう。

「………」

 じっと見つめたのは始めに取り出したモスグリーンの抱き枕。そっと手を置いて押しつぶしてみるも弾力がさほどない。綿やクッション材らしきものは入っていないように思えて全体をもそもそと揉み解すように触り続ける。すると隠しファスナーが付いていることに気が付いた。恐る恐る開いてみると、中からレース布地、オーガンジーやしっとりとした艶のあるサテンがあふれ出てくる。

「……あった……」

 真っ白な布地の波の中に編み上げる為のハトメにリボンが通されたビスチェらしきものを見出した。繊細な薄い布地ばかりの中に埋もれたそれを取り上げると予想通りのデザインをしている。
 胸元はたっぷりシャーリングが寄せられ小さなレースを縫いつけられていた。アンダーバストの位置から腰にかけてトーションレースを縫いつけたビスチェが続き両サイドと背中に編み上げが出来上がっている。さらにその下からスカートが広がっているのだが、きっちりとマーメイドラインを描き途中からはフリルがふんだんに重ねられていた。立ち上がってもなおスカートの裾が見えず丁寧に床へ広げていくと長いトレーンが付いている。

「……………長過ぎないか?」

 本体のスカートの丈と見合わせると後ろに長く引いたトレーンの部分が随分とあるようだった。身長が伸びることも想定したとしても本当に長い。けれど多少の誤差でも調整しやすいようにとボディ部分は全て編み上げで調節できるようにしてあるのには驚かされた。

「本当に……いつの間にこんなものを作ってたんだか……」

 四六時中一緒にいたわけではない。待機期間もあったとしても別々の事は多々あった。きっとこれらはその時間を使って作られたのだろう。なのだとしても、どこまでも人を驚かすのが好きな男だ、と呆れ半分、感心半分。けれど込み上げてくる喜びと悲しみに瞳を伏せた。あふれ出しそうになる涙を耐えて膝に乗せたドレスにそっと手を沿わせる。

「……悪いな……着れなくて……」

 せっかく心を込めて作ってくれたであろうドレスは、その作り手が帰らぬ人となった事で今日までずっと袋の中に眠り続けていた。それに今日数年ぶりに取り出されたとは言え、決してこの先も使われる事はないのだ。
 何故なら着る人間がいても、迎えてくれる人間がいなくなったからだ。このドレスを着るべく機会ももうなくなってしまった。いっそ試着と称して着てみるのもいいかもしれないが、刹那にはその気がまったく起こっていない。

「……着てやりたいが……見てもらうべき人間もいないからな……」

 着てしまえばそれだけ苦しくなる事を分かっている。それにこれから戦いが始まるのだ。感傷に浸っている場合ではない。
 ……でも……

「少しだけ……このままで居させてくれ……」

 柔らかな布をきゅっと腕に掻き抱き頬を寄せる。すると布地に移っていた彼の匂いが鼻腔を擽った。

 * * * * *

「お疲れ様。」
「あぁ。そちらこそ。」

 目的の人物二人を無事にトレミーへと連れて来れた刹那は、格納庫のキャットウォークでこれから共に戦うガンダムを見上げていた。そこにティエリアがやってくる。刹那の横にまでくると静かに佇むダブルオーを見上げた。そのまましばらく時間が流れると、ふとティエリアが刹那へと顔を向ける。

「聞いてもいいか?」
「……何をだ?」

 神妙さが感じ取れるティエリアの声に刹那は目を瞬かせる。そんな刹那に彼は、別に説教をするつもりではないと笑って見せた。

「例の……鞄の中身だよ。」
「……あぁ。」

 出発前に話していた、彼の、ロックオンの残した鞄の事だった。中身を確かめて皆に教えてあげようと思っていたのだが、入っていた代物が代物なだけにすっかり忘れてしまっていた。憶測ではあるが、ティエリアの中でロックオンが刹那に残した何かだと思っている。それは確かに間違いではないのだが、プライベートに関わるかもしれないので少し聞きづらそうにもしている彼に刹那は小さく笑った。

「中身は抱き枕だった。」
「………抱き枕??」

 ティエリアの反応に刹那は苦笑を浮かべてしまう。何せ刹那自身も見た瞬間は同じように驚いたのだから。

「……なるほど……彼らしい。」
「?あいつらしいとは?」
「彼は大人ぶっていたが、その実とても寂しがり屋だった。違うか?」

 にやりと不敵な笑みを浮かべるティエリアの言葉に刹那はきょとりと瞬いたが、それは次第に笑みへと変わっていった。

「そうだな。」
「それに彼は……刹那を代わりにしているようだったし?」
「……言われてみればそういう気もする。」

 そんな遣り取りをしてまた二人で笑い合った。
 彼に教えた通り、抱き枕であるには違いないが半分間違いでもある。しかしあえて言わなかったのは自分の性別をばらしてしまうという事態もそうだが……

 手作りの真っ白なドレスを知っているのは自分だけでいいと思ったからでもあった。


10/11/21 脱稿
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