次に目を覚ました時には柔らかなベッドの上だった。ふるりと肌寒さを覚えて縋りつく事の出来る温もりを手探りで探すが全く見つからない。一頻り探りまわした後、むくりと上体を起こす。目を刺す光にしかめっ面を作りながら見回すと探していた温もりを持つ人物がおらず、だだっ広いシーツの波しかなかった。数回瞬きを繰り返していたが体中を襲う倦怠感に再びシーツの上へと倒れ込む。

「ソラン?」

 ベッドが弾む音を聞きつけたのか探していた色彩がベッドの向こう側に見えた。細身のスラックスを履き、上半身には何も纏わず首からタオルのみを下げて近づいてくる彼を気だるげに見上げていると微笑と共に頬へ口付けを落とされる。

「おはよう。気分悪いとかはないか?」
「……悪くはない……でも体がだるい……」

 むすっとしながら言えば苦笑を漏らしながら謝ってくれる。声を出してから気付いたが喉も相当やられているらしい。掠れているし少々痛みがあった。

「さっきルームサービス頼んだから。まだ寝てていいぞ?」
「……ん……」

 サイドテーブルに露の付いたペットボトルが置かれているのに気付いて眺めていると口移して飲ませてくれる。こくりと喉を流しながら嚥下すれば口の端から零れた水を舐め取ってくれた。しばらくその繰り返しをしていると小さなベルの音が響いてくる。

「ん。来たかな。ちょっと待ってな。」

 ぽんぽんと軽く頭を叩かれ、歩いていく後ろ姿を眺めながら刹那はもそりと起き上がった。そして部屋の隅に置かれた紙袋へ視線を走らせる。ロックオンが歩いていった方へ視線を走らせるとまだ戻ってくる気配はない。そろりと足をベッドから下ろして紙袋の中を漁り始めた。

「ソランー、飯きたぞー……っとあれ?」

 ひょこりと仕切りの端からベッドを覗き込めばそこにいるはずの人物がいない。トイレかとと思ったが扉の音はしていなかった。おや?と首を傾げていると長ソファの向こう側に見慣れた黒髪が見える。

「何やってんだ?」

 どうやらそこに蹲っているらしく、きょとんとしながら首を傾げた。するとソファから赤い瞳が覗いてくる。

「……予想外のことに驚いている。」
「は?」
「……ここまで薄くて短いとは……」

 僅かに目元を赤く染めているのに首を更に傾げていると観念したのか、おずおずと出てきたその姿に目を見開いて固まってしまった。

「昨日……貰った服を着てみようと思ったんだが……こんなデザインだとは思わなかった……」

 裾を僅かに引きながら出てきた刹那は巷でいうところの、ベビードールを身に纏っていた。刹那自身はきっとキャミソールワンピースだと思っていたのだろう、それは華やかなレースが施されたブラを象っておりその下からひらひらとピンタックで寄せられた薄い布が揺れている。細い肩紐のそれは丈が足の付け根が隠れるか隠れないか程の長さしかなく、その頼りなさが刹那の頬を染めていた。

「これまた……すごいの貰ったんだな?」
「……ん。」

 よく見ようとそっと近づくと腰に腕を回してまじまじと見下ろせばぷいっと顔を背けられる。てろん、とした白い布地を触ってみればどうやら素材はサテンの一種らしく、たしかブライダルベビードールと呼ばれるものもあったなぁ、などとぼんやり思い出していた。

「……もしかしたら結婚祝いだったのかもな?」
「え?」
「ウェディングドレスみたいじゃね?」
「……そう……か?」

 ひらひらの裾をちょいと摘んで見つめる刹那をソファに座らせて到着した食事を運んでくる。カートを押してきている間にも刹那は裾を掴んで広げてみたりはたはたと揺らしてみたりとしていて、珍しいものを見つけた仔猫のようだ。もう成人しただの言うが、こういう行動をすればぐっと幼く見えるのだからこの恋人にはいつまで経っても飽きさせてはくれないだろうと微笑みが漏れる。

「ウェディングドレスというものはスカートが長かったように思うが。」
「まぁ、こんな破廉恥なデザインではないな。」
「……破廉恥……」
「初夜専用ってやつ?」
「………」
「………」
「………」
「嬉しい?」
「……聞くな。」

 刹那の横に座りながら聞いてやればぷいっと顔をそらされてしまった。けれどその耳が赤くなっているのが見える。いつまで経っても照れ隠しが上手くならない彼女を抱き上げると膝へ下ろして横抱きにした。

「な。嬉しい?」
「っだから……!」
「俺は嬉しいけど。」
「!」
「ソランは?」
「……」
「……ソランは?」
「……ニールが……嬉しいなら……嬉しい……」

 更に赤みを増した頬に口付けて戯れにキスを繰り返した。
 刹那を膝に乗せたままに遅くなった朝食兼昼食を進める。腰に回したままのニールの腕は解かれなくて、仕方ないので刹那が食べさせてやる事になった。パンやサラダは運びやすいが、スープやコーヒーといった液体状のものはかなり難しい。震えそうになる刹那の手にニールが手を重ねて手伝ったり、顎の下へ差し出している手に雫が垂れてしまうとそれに舌を這わせて舐め取られてしまう。ようやく食事が終わると刹那は一緒に運ばれたスイーツに手を伸ばしていた。瑞々しく甘酸っぱいピンクグレープフルーツのタルトは初めて食べるもののさっぱりとしたカスタードの甘さで、よほど気に入ったのか刹那のフォークを進めるスピードが速く感じられる。

「……結婚かぁ……」
「……ん?」

 自分の分をぺろりと平らげてしまった刹那に己の分も食べていいと差し出すと、ニールはソファの背もたれに頭を乗せて仰け反った。ついでに無意識で呟いたかのような声が漏れる。

「……結婚がどうかしたのか?」
「んー?うん。したいなぁ……とか初めて思ったかも……ってな。」
「初めて?」

 ニールの口から珍しい単語が出たので聞けば更に意外な事を言われる。ニールほどの男なら今までに結婚したいと思う相手などいっぱいいただろうに。そう思って不思議そうに見上げていると苦笑が浮かべられた。

「なに?その意外そうな表情は。」
「いや……意外だから……」
「はっきり言ってくれたな……」
「や、あの……すまん……」

 思わず顔を背けると後ろからがばりと抱き締められて「お仕置きだ」と言って頭をぐしゃぐしゃとかき回されてしまった。一頻り好きに弄られた後、肩に顎を乗せられる。

「俺が結婚したいって思う女はお前さんが初めてなんですー。」

 ちょっと拗ねたような声が耳元で響いて思わず顔を染めてしまうと頬を突付かれる。少し考えれば分かることだったかもしれない。男性が結婚出来る18歳から今まで彼はCBに所属していたのだ。結婚なんて考えられるはずもない。女性関係があったとしてもそれはきっと一夜限りの逢瀬だろう。そんな彼が自分相手に結婚を考えるなど……なんて贅沢だろう……

「な……ソラン……」
「……なに……」
「この戦争……終わった時に結婚式挙げようぜ。」
「……にー……る……」

 突然聞かされる未来設計に目を瞬かせると抱きついていた腕の力が緩められる。体の向きごと向かい合わせにされてじっと真摯な瞳に見つめられて動けなくなった。

「ソラン。俺はお前に永遠の愛を誓うとともに一生を添い遂げたい。」
「……ぁ……」
「俺と……結婚してください。」

 そっと持ち上げられた両手の指先にそっと唇が落とされる。じっと見上げてくる瞳に揶揄する色は全くなく、本心のまま伝えているのだと言外に伝えてきた。自然と溢れる想いに目頭が熱くなり、震える唇を噛み締めて重なったままの手にきゅっと力を込める。

「……俺で……良ければ……ずっと一緒に……いてくださ……い……」

 途切れがちになりながらも言葉を紡げばニールが声もなく抱き締めてくれる。その腕の温かさに浸りながら刹那は泣き続けた。

 胸の内にある鈍い痛みとともに……

 * * * * *

 翌日は当初の目的通り、ラグランジュに向かいイアンの元、ニールの操縦する新たなガンダムの微調整が行われた。その間刹那はというと、彼の奥さん、リンダの元で新調出来た制服とパイロットスーツの試着をしている。
 それらが滞りなく終了すれば夕方にはプトレマイオスから連絡が入り、2人は艦へと引き上げられた。

「お帰り〜、初代、刹那。」
「ただ〜いま。っとに……毎回とんでもない事さらっと決めちゃってさらっと実行しちゃうんですね?貴女は。」
「あら、その方が楽しいでしょ?」
「当事者はね。」

 搬入口に乗り上げた小型艇から刹那をエスコートして下ろしているとスメラギが迎えに出てきてくれた。にこにこと笑う表情は4年前とは変わらない。変わったところを挙げるならばその手に酒が握られていないところだろうか?

「で?ちゃんと買ってこれたの?」
「あれだけ事細かに指示してくれてりゃ子供だってちゃと買えるっての。」
「だったらいいけど?」
「……ライル……お前……俺のことなんだと思ってるわけ?」
「ん?頑固な聞き分けのない兄さん?」
「うっせーよ。」

 刹那を下ろした後に紙袋を大量に抱えて出てくればライルの声が聞こえてくる。スメラギのすぐあとに来たようですぐそこで腕組みしながら見上げてきていた。服を選ぶのにぎりぎりまで悩んでいたらしく(いっそニールには買わせずに自分が今度降りて買ってこようかと思ってもいたとか……)彼なりの心配の仕方だが、少々口が悪いのはデフォルトだろう。
 そんな2人を刹那とスメラギで見上げていたのだが、ふと隣で俯いた気配があった。気付いたスメラギが振り返ると刹那が唇を噛み締めている。

「刹那?気分でも悪いの?」

 苦しそうに見えるその表情に心配が募り聞いて見れば緩く首を振られる。けれど前よりずっと読み取りやすくなった表情はなんでもないというには説得力がなさ過ぎた。

「……スメラギ……」
「うん?」

 どうしようかとスメラギがニールを呼び寄せようとしたその手首を刹那が掴みとめる。決して締め付けてはいないが、力強く感じるその拘束にスメラギは驚きつつも優しく先を促した。そっと上げられた瞳は強い意志とどこか辛さを訴えている。

「今後……もうロックオンと2人で外出する機会を作って欲しくない。」
「え?」
「な!?」

 ぽつりと囁かれた言葉に近くまで寄ってきてたニールが驚き、隣にいるライルも目を瞠る。

「……何かしたのかよ?兄さん」
「いや!何か……したっちゃあしたけど……」
「したんだ……」
「いやいやいや!でもよ!」

 じろりと横目に睨みながら問いただしてくるライルにニールは慌てる。そして咄嗟に誤魔化せなかったところへ突っ込みを入れられるとうろたえ始めた。そんな双子を放置してスメラギは刹那の両肩に手を付き、首を傾げる。

「いきなり……どうして?刹那。イヤだった?」
「違う……嬉しかったし……楽しかった……」
「じゃあ何故?」

 言い出した内容が内容だったのでストレートに聞けばどうやらこの線は違うという。ならばなおの事何故?と疑問が降り積もる中刹那は両手をキツク握り締めて再び視線を落としてしまった。

「彼と……ニールと2人だと……俺が本来しなくてはならないことを忘れてしまいそうで怖い……」
「……刹那……」

 絞り出すような声音に刹那の心情がはっきり表れているのが分かる。何よりも随分大きくなったのにその姿は小さく、頼りなく見えてしまう。

「幸せで怖くなるの?」
「そうだ。……自分が……戦うべき人間である事を忘れてしまう。だから……もう……」
「そう……」
「ミススメラギ?」

 ゆっくりと聞き返したスメラギの言葉に頷く刹那。彼女の言葉にスメラギもまた分かった、というように頷いて返すから思わずニールが声を掛けてしまった。けれど……

「だったらもっと一緒に出かけてもらわなくちゃ。」
「!?スメラギ!」

 続いた言葉に刹那の方が叫んでしまうことになる。先ほどまでの真摯な表情が柔らかな笑みに変えられて刹那は何故?と混乱してしまう。そんな彼女の瞳をしっかりと覗き込むように見つめて、ゆっくりと言い聞かせるように話し始めた。

「だってね?刹那。私は思うの。」
「……な……に?」
「人としての幸せも、誰かとともに生きる喜びも知らない人間に戦場に立って欲しくない。」

 その言葉は刹那にとって衝撃的なものだった。己にとって戦場というものは罪を償う為の場所であり、その場で命を散らせることが贖罪であるとも思っていたところがあったからだ。戦線離脱を言い渡しそうなスメラギに刹那の瞳が揺らぐ。

「……どう……して?」
「だって……知らない人間が武器を持って戦ってもそれは単なる殺戮だわ。」

 与えられた言葉を正確に解釈しようとじっと考え込む刹那の頭にぽんと手を乗せると苦しそうな表情を浮かべる。

「幸せの為に、他人と喜びを分かち合って生きる為に戦わなきゃ……単なる人殺しじゃない。
 戦って人を殺す事に喜び、幸せを見出してるみたい。刹那にそんなことして欲しくない。」
「……でも……」
「刹那、貴方がどうしてエクシアに乗っているのか、今また、ダブルオーに乗って戦っているのか。私は分かっているつもり。」
「………」

 再び俯いてしまった刹那に苦笑を浮かべ、自信に満ちた声で問いただす。

「失った命に償いをしたいのでしょう?もう同じように奪われないように。今ある命を救いたいのでしょう?」
「……あぁ……」
「だったら……もっと幸せを、喜びを知って…それを守る為に戦う意味を分かってほしい。」
「………スメラギ……」

 ゆるりと揺らぐ紅玉の瞳に今度は明るい笑みを浮かべてスメラギはそっと瞳を閉じる。そうして何かを思い描くように少しだけ上を向いて両手を合わせた。

「この戦いをみんな生き残って終わらせたら……結婚式挙げましょうね?平和の象徴として……
 真っ白な衣装に包まれるの。そうして祈りを捧げましょう。きっと……クリスもリヒティもモノレも……祝ってくれるわ。」
「……ん……」
「だから……その日まで、戦いばかりに心を枯らさないで。ちゃんと満ち溢れる心を知っておいて。
 ……分かった?」

 閉じた瞳を開くと頬を流れ落ちる雫を押さえようとしている刹那がいる。あふれ出す涙と温かい感情に言葉も出せず何度も頷く彼女を優しく抱き締めてスメラギは微笑んだ。

「……ありがとう……スメラギ……」
「どういたしまして。」


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